私はラスタファリアンでした
私の髪の毛は長く,目はマリファナの影響で赤く濁っていました。くしや紙の皿やコップなどは私にとって無用の長物で,両親からもらった名前さえ用のないものとなっていました。『でも,なぜそのような実用的で有用なものを退けるのですか』とお尋ねになることでしょう。それは,私がラスタファリアンだったからです。ラスタファリ信仰は,ジャマイカ島の土着の宗教運動です。私がどのようにしてラスタファリアンになったのか,そしてそのグループの人たちが何を信じているのかをご説明しましょう。
そもそもの事の起こりは,ある日,私が木の下に座って聖書を読みながらガンジャ(マリファナ)の葉巻を吸っていた時に,一人のラスタファリアンが近づいて来て一緒にたばこを吹かしだした時にまでさかのぼります。言葉を交わしながらその人は,死なずに生きつづける方法があるということを強調しました。私はもっと聞きたいと思いました。こうしてその人からラスタファリアンの基本的な信条を学びました。
ラスタファリアンが信じている事柄
後に,ラスタファリアンにもそれぞれ独自の考えを持つさまざまなグループがあることを知りました。しかし,その種々のグループも基本的に一つの点では意見の一致をみています。すなわち,エチオピアの前皇帝ハイレ・セラシエが,イエス・キリストの生まれ変わりで,王の王,主の主,征服を遂げる「ユダ族の者であるライオン」だったという点です。―啓示 5:5。
私の師はラスタファリアンのうちのクリエーション・ハイツ(“創造の極み”)と称するグループと交わっていました。それで私もそのグループと交わるようになりました。私たちは自分を動物や植物と少しも変わらない創造物の一部とみていました。稲妻や雷鳴やその他の自然現象には畏敬と恐れの念を抱きました。あたかも神が語りかけておられるかのようにみたのです。
私たちは肉や魚など,その種の物は何も食べませんでした。それらは死んで腐るので,それを食べる者も同じようになるというわけです。一方,ホウレンソウなどの野菜はその茎が切り取られた後も生長しつづけます。それで,そのような物を常食とする人は永遠の命を持つ可能性がある,と考えていました。かなり重い罪を犯した場合にのみ,死を経験するのです。
私たちのグループは,白人は創造物の一部ではあっても『創造物の主』である黒人よりは劣っているとみなしました。しかし,ラスタファリアンの中には,白人たちが奴隷売買に関連して数々の悪事を働き,黒人奴隷を殺したり手込めにしたり虐待したりしたので,白人をひどく憎むグループもあります。そのようなグループに属する人々は,黒人を奴隷にしたことは必ず革命と流血によって報復されなければならず,やがて黒人は皆アフリカの故郷に帰ることになる,と信じています。黒人はその地からむりやり連れ去られたのです。
私にとって,自分が受け入れた哲学は単純なものでした。“神聖なる”ハイレ・セラシエ以外に指導者はいません。即位前の彼の名はラス・タファリ(これからラスタファリアンという名が生じた)といいました。私の人生の目標は,創造物に対する正しい見方と,自分は神の子であるとの認識を得ることでした。それは,神がお造りになった物のみを最大限に用い,人間が造り出した物の使用は最小限にとどめるということでした。くしを使用しなかったのはそのためです。それは人間のこしらえたものです。それで,木に葉が茂るように,髪の毛が伸びるままにしていました。
同じ理由から,皿もコップも使いませんでした。中味をくりぬいたひょうたんをその代わりに使いました。紙でできた物もやはり処分しましたが,その中には聖書も含まれていました。私は,神がお造りになった物はだれが所有し管理していようと私のもので,自由に取って構わないと信じていました。そういうわけで,他の人の作物は事実上私のものだ,と考えていました。人々には所有権を主張したり作物に値段を付けたりする権利はなかったのです。
言葉の障壁
この新しい生き方のために,ラスタファリアンでない人との間に言葉の障壁ができました。私たちに関する限り,親からもらった名前でさえ,工業化された世の産物で,退けられるべきものでした。こうして,“I”(私)という人称代名詞は特別な意味を帯びるようになりました。神は第一の“私”であり,ラスタファリアン各人もまた“私”でした。一人一人を区別するために,体格,背丈などを表わす形容詞を“私”という語に付けました。例えば,私は小柄だったので,“小さな私”と呼ばれました。食べ物の名前まで,“i”という文字が代入されて,変えられました。それで,“banana”は“ianana”となりました。
私たちはほかにも様々な仕方で英語を変えていました。例えば,私たちの見解では,時をさかのぼることは不可能なので,「帰る」という意味で「戻って来る」ことはできません。それで,“coming back”(「戻って来る」)は“coming forward”(「出て来る」)となりました。単語も私たちの考え方に合うように変えられました。“oppressor”(「圧制者」)は“down-pressor”になりました。というのは,この語の第一音節の音が何となく良い意味合いのある“up”(「上」)に通ずるのに対し,そこを“down”(「下」)にすれば圧制者という意味合いがよく出るからです。このような教えを吹き込まれたため,やがてごく簡単な文章でさえ標準英語ではほとんど話せなくなりました。モンテゴベイの町にあるコーンウォール大学に5年も通っていたのにそうなってしまったのです!
この新しい哲学の影響で,親に対して敬意を示さなくなり,この上なく汚い言葉でののしったため,両親とのいさかいが生じました。私の外見や振る舞いにより,家名に傷が付いていました。とうとう父から家を出るようにと告げられた私は,わずかばかりの持ち物をまとめて,本当に満足をもたらすと自分で確信していた生き方を続けるために家を去りました。
『創造の実』を取り入れる
その後,私はマリファナのヘビースモーカーになり,それによって人生の憂さを晴らしていました。自分が創造物の一部となって自然界と一体になっているかのように感じるまで,座って瞑想したものです。座って瞑想したいという欲求は怠惰につながりました。私は音楽家でしたがその仕事をやめ,神との親しい交わりを持とうとして丘陵地帯で多くの時間を費やすようになりました。そこでは一つの小屋に他の二人のラスタファリアンと一緒に住みました。
時たつうちにお金が底をついてきました。自分たちの信念によれば,人々は勝手に所有権を主張し,値段を付けていたので,その人たちのところから“み父の創造物”を幾らか集めることに取り掛かりました。こうして,夜になると近くの農場を襲いました。こうした襲撃は警察に通報され,私たちと警察とは公然の敵対関係になりました。私たちは警察のことを“創造物”から私たちを追い払おうとする敵とみなしました。昼間は警察が私たちの小屋を包囲し,私たち目がけて発砲し,打ちたたき,町から出て行くよう脅すのが常でした。しかし,夜になると事情は違いました。私たちは“創造の実”を取り入れるため攻勢に出たのです。
ある時,私は逮捕され,誘拐の罪に問われましたが,後に釈放されました。この事件によって私は大胆になり,自分は神の子であるという確信を一層強めました。ところが,二度目には五つの異なった罪状で逮捕されました。すなわち,凶悪強盗,暴行,盗品所持,ガンジャ所持,そして整備不良車両運転の罪です。
この度は神に見捨てられたように思えました。警察でひどく打ちたたかれ,保釈も認められずに3か月間投獄されていたからです。やがて裁判に掛けられましたが,幾人もの有力な知人が私のために慈悲を求めて嘆願してくれたおかげで懲役刑は免れました。一方,親しくしていたラスタファリアンの友人二人の場合はそれほどうまくゆきませんでした。一人は4年の重労働の刑を言い渡され,もう一人はずっと自分の郷里にとどまっていなければならないという制限のもとに置かれました。別の二人の仲間は後に,縛られて麻袋の中に入れられ,死体で発見されました。どうやらその二人は外国の麻薬密売人と関係を持っていたようです。
自分の信念に疑問を抱く
こうしたやっかいな問題にぶつかって,自分の信念が正しいものなのかどうか考えざるを得ませんでした。加えて,仲間のラスタファリアンの中には自分たちはもはや神の子ではなく神そのものである,という新しい考えを持ち出す者がいました。私にはとてもそのような考えを受け入れることはできませんでした。このことや他のことでの意見の相違のため,私たちの間には争いが生じました。それで,とうとう家に戻ることにしました。といっても,考え方は依然としてラスタファリアンのままでした。仲間のラスタファリアンとは,折にふれて接触を持っていました。
さて,だれかに話しかけたいのですが,ラスタファリアンでない人は私の言葉を理解することはできません。私はかつて聖書を読んで味わったあの慰めを思い起こし,再び聖書を読み始めました。読むにつれて,考えさせられる幾つもの聖句に出くわしました。例えば,詩編 1編1節には,「不敬虔な者の計り事に歩まぬ者は幸いなり」(ジェームズ王欽定訳)とありました。友人のラスタファリアンが自分は神であると主張するようになっていたので,私は彼らを「不敬虔な者」とみなしました。また,コリント第一 11章14節には,「自然も汝らに教うるにあらずや,男もし長き髪あらば,恥じなることを」とありました。しかし私は長髪でした。
やがて自分の信念になお一層の疑問を感じるようになり,まことの神を正しい方法で崇拝したいという気持ちが高まってゆきました。ラスタファリ信仰では自分の必要は満たされないということがはっきりと分かってきました。その必要とは,だれが創造者であるかについての明確な理解を得ること,永遠の命のための確かな根拠を持つこと,愛と思いやりに基づく純粋な兄弟関係に入ること,そして世の社会体制にひどい不公平が見られる理由を理解することです。
満足のゆく答えを見いだす
しかし,どこへ行ったら真の満足を得られるのか分かりませんでした。座り込んで,泣いて助けを求め,だれだかは分からないものの,創造者なる方に援助してくださるよう懇願することがありました。その後,ある日,二人のエホバの証人が両親の家にやって来て,聖書について話しだしました。ハルマゲドンの話が出るまで私はほとんど注意を払いませんでした。
私は,「そのことなら全部知っているさ。生きてその目撃証人になるんだ」と言いました。
「あなたはエホバのための証人になると信じているのですか」と一人が言いました。
「エホバってだれですか」。
そこでその人はすぐに詩編 83編18節を開きました。そこにはこう書いてあります。「それは,人々が,その名をエホバというあなたが,ただあなただけが全地を治める至高者であることを知るためです」。
私にとって初めてエホバの証人という名前が意味のあるものとなりました。それまでは,他の教会を退けていたのと同じように証人たちをはねつけていました。教会組織はすべて偽り物だとして,念頭に置いていなかったのです。しかし,その時は喜んで証人たちから「とこしえの命に導く真理」と題する本を受け取り,直ちにそれを読み始めました。
「神とはだれですか」と題する章はたいへん興味深いものでした。ちょうど新しい単語を学ぶ赤子のように,座り込んで,「エホバ」という名を大きな声で何度も何度も繰り返し言ったのを覚えています。ついに,まことの神とはだれかを知りたいという私の欲求は満たされました。
次に,「正義の支配は地上を楽園にする」と題する章は,この地には義にかなった公平な事物の体制が必要だと感じていた私の心を満たしてくれました。本当にうれしいことに,間もなく全地が清く汚染のない空気で満ちるパラダイスになるということを知ったのです。そして,邪悪な文明世界から逃避するために人里離れた丘に移り住む必要もなく永遠に生きられるという見込みに胸が躍りました。―詩編 37:9-11,29。ルカ 23:43。啓示 11:18。
こうして,かつて自分が神を崇拝する道として選んだものは不満足なものだったという結論に達しました。それで,親族の一人に頼んで長髪を切ってもらい,仲間のラスタファリアンとの関係をいっさい絶つようにしました。しかし,これは容易なことではありませんでした。私は裏切り者とみなされ,殺すと脅されました。それでも,そのことは私を思いとどまらせるものとはなりませんでした。何物も私の聖書研究を中断させることはできないと感じました。私は自分の必要を真に満たす重要なものをやっと見つけたからです。
身なりをきちんと整えた後,地元の王国会館を探し当てました。その後間もなく,ある開拓者(エホバの証人の全時間伝道者)が私と定期的な聖書研究を行なう取り決めを設けてくれました。その人はたいへん親切で忍耐強い人でした。そうでなければなりませんでした。ラスタファリアン用語のゆえに,私の言っていることさえ理解できないことがあったのです。
霊的な必要を満たしてくれる真理を見いだした私は,ぜひともこの良いたよりを両親に伝えたいと思いました。母は好意的にこたえ応じ,すぐに私と共に王国会館での集会に出席するようになりました。父も私の外見や人格の変化にたいへん驚きました。学び始めてから6か月ほどして,私はエホバ神に仕えるために自分の命を献げ,バプテスマを受けました。数か月後には母がバプテスマを受けるのを見て,喜びもひとしおでした。
親しくしていたラスタファリアンの友人のうち二人は殺害され,ほかの者たちはまだ刑務所にいるということを思い起こし,考えるにつけ,自分が今日エホバに仕えていることに対してエホバに感謝する気持ちでいっぱいになります。他の人々に神の言葉の真理を伝え,愛するクリスチャン兄弟姉妹と交わることは,確かに,私にとって幸福で満足のゆく生き方となっています。その上,全人類の必要が永久に満たされる義の新秩序で永遠の命を楽しめるというすばらしい希望もあるのです。(詩編 145:16)― 寄稿。
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私は,神がお造りになった物はだれが所有していようと私のもので,自由に取って構わないと信じていました
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永遠に生きられるという見込みに胸が躍りました