大会社での生活
終身雇用制,継続的な教育,昇進,ボーナス,社宅,レクリエーション施設 ― これらをはじめ他の数多くの特典は,世界中の勤労者の夢見る事柄です。日本ではこうした事柄が勤労者の多くにとって,日々の現実になっています。実際のところ,こうした事柄は,日本の奇跡のさまざまな側面の中でも,他の国の人々の間で特によく話題にのぼり,称賛される点と言ってもよいでしょう。
しかし,外部の人にはほとんど知られていないほかの側面もあります。例えば,人の生活はどの程度大会社に管理され,影響されているでしょうか。人の結婚,家庭生活,社会生活,さらには宗教観までが,どの程度影響を受けるのでしょうか。会社に自分を合わせてゆくためにどのような犠牲を払わなければならないでしょうか。こうした事柄は繁栄や成功によって覆い隠されてしまうので,外部の人には見過ごされがちです。しかし,人が本当に幸福で,満たされていて,それゆえ成功したと言えるかどうかは,最終的に,かなりの程度こうした事柄に左右されるのではないでしょうか。
職場での礼儀
終身雇用制の帰結のひとつは,年功序列という扱いにくい問題です。上に立つ人たちには,長年その会社に勤めてきた経験があります。当然のことながら,そうした人々は部下である年下の人たちが敬意と協力的な態度を示すことを求めます。それに対して,年若い,あるいは会社に入って日の浅い社員は,勤続年数によって序列が定められています。そのためいくらか格式張った雰囲気が職場に生じ,それは人々の言動に反映されます。
日本語には3種類の話し方があります。人の言葉の選び方に耳を傾けているだけで,その人が目上の人に話しているのか,同輩に話しているのか,目下の人に話しているのかが分かります。「目上の人に向かって,その人の名前を呼び捨てにするのは,よくよく無礼なことになる」と,管理職にある一日本人は説明しています。その代わりに,社長あるいは部長というような役職名や名字に,“さん”あるいは“さま”といった敬称を付けた形が使われます。
「ありがとうございます」,「失礼します」,「すみません」,その他さまざまな事柄を意味し得るおじぎは,会社での礼儀作法には欠かせません。また,うなずきながら口にする「はい」という言葉も欠かせません。しかし,この「はい」は,必ずしも「はい,その通りです」ということではなく,「はい,おっしゃることは分かります」という程度の意味であることもあります。それは,話している人に対して敬意を示す儀礼的な言葉なのです。
その結果,ひとたび職場を離れると,陸に上がった魚のようになってしまう男性もいます。勤務先の違う人に会うときは,相手の地位が分かってふさわしい話し方ができるようになるまで,会話はぎこちなくなりがちです。会話を始める前にその点を確かめるため,名刺や巧みな質問が用いられます。そうした人々にとっては,自分の妻や子と打ち解けた,形式ばらない話をすることさえ容易ではないようです。自分の勤める会社という小さな交友関係の中でしか,気が休まらないのです。
集団に対する忠誠
連帯感を強化するために,大抵の会社は従業員に制服を支給しています。従業員もまた,より良い労働条件やより高い賃金を獲得する交渉のためではなく,能率や生産を向上させる方法を話し合うために,自ら小さなグループを組織しています。25年来ストを経験したことのない,日本のある大手鉄鋼メーカーの専務は,自社の職場集会について,「活発な話し合いが行なわれますが,最後には全員が協力します」と,述べています。自分たちにも問題に対する発言権があると感じると,会社の方針を支持したいという個々の従業員の気持ちは強まります。「社員は自分のためではなく,集団のためにものを考えます」と,この専務は語っています。
日本の一経済学者は,日本式の経営と米国式の経営の違いを次のような例を挙げて説明しています。「わたしたちのシステムはどちらかと言うと電車のようなもので,各車両にそれぞれモーターが付いています。一方,みなさんのシステムは,二,三両の強力な機関車に牽引されている長い列車のようなもので,ほかの車両にはモーターが付いていません。みなさんは労働者に付いて来るようにと告げますが,わたしたちは人々がそれぞれ自分の動機づけを持ち,一丸となって進んで行くほうがよいと思っています」。
従業員はだれしもしかるべき動機づけがあることを示すために,長時間,一生懸命働くものと期待されています。政府は1985年までにすべての会社が週休二日制を採用することを目標として掲げていますが,週六日労働はいまだに広く見られます。銀行が月に一度土曜日を休みにしたのはつい最近のことです。奇妙なことに,一般の反応は冷たく,読売新聞の社説は,それを,「日本人は仕事中毒だという外国の批判」を封じる手段と見ています。
残業手当の付かないことが多い残業も日常茶飯事になっています。社員が午後11時,場合によっては真夜中に退社することも珍しくはない,と伝えられています。しかし,それも当たり前のこととして受け入れられています。最近の高校および大学の卒業者を対象にして行なわれた調査によると,「回答者の79%は,求められれば,デートをとりやめても残業をする」ことが明らかになった,とジャパン・タイムズ紙は伝えています。
管理職も決して楽ではありません。会社で長時間働くことに加えて,晩だけでなく,週末にも,会議に出たり,得意先や仕事仲間を接待したりして夜遅くなることは珍しくありません。これはすべて,会社に忠誠を尽くすために行なわれます。妻と4人の子供を持つ若い幹部社員は,「接待は嫌いですが,もうしきたりになってしまっているのです」と述べています。
報酬と昇進
日本には,長い休暇を取るという習慣が全くありません。政府の報告の示すところによると,ほとんどの勤労者には年間15日の有給休暇が与えられているにもかかわらず,実際には平均して,8.3日しか休暇を取っていません。主な休日があるのは,年末年始と,先祖の墓参りをすることが習慣になっている8月です。それに加えて,従業員全員が参加するものとされ,実際に全員が参加する社内旅行があります。これは通常週末の二日をかけて山や温泉や会社の保養所へ出かけてゆくもので,飲み食いするものがふんだんに出されます。社員はくつろいで,共に楽しみ,互いのことをよりよく知るようになります。
日本の勤労者にとって大きな楽しみになっているのは,会社の業績に応じて支給される半期に一度のボーナスです。実のところ,これは社員の俸給の一部を会社が取っておいたものです。会社の業績がよければ,社員はボーナスをたっぷりもらうことになります。しかし,業績が悪ければ,俸給のこの部分が減らされます。これは社員にやる気を起こさせる効果的な方法です。
俸給と昇進は一般に年功序列に従って定められます。どんなに適任だったとしても,勤続年数の短い人が自分よりも勤続年数の長い人に先んじて昇進するということはあまりありません。そういうことが起きた場合には,気まずい思いをしたり,面子<メンツ>を失ったりすることがないようにと,先を越された人に何らかの新しい肩書きが与えられるでしょう。それによって摩擦は最小限に抑えられ,集団の利益が図られることになります。
女子社員の場合に状況はかなり異なっています。日本の労働人口の約39%は女性ですが,女性の賃金は普通,男性の俸給の約半分にしかなりません。事実,ほとんどの会社は,たとえ適任者であっても,女性に前途有望な役職を提供することはありません。女性は結婚するまで働いて,家庭に入るものとしか見られていないからです。
結婚と家族
週六日労働やいつもの残業というような仕事の厳しい要求のために,勤め人には自分の家族と過ごす時間がほとんど残りません。中には,子供が起きる前に仕事に出かけ,子供が床に就いてから帰宅するという人もいます。日曜日は例外としても,そうした人々はめったに子供と顔を合わせることがありません。日本ではサラリーマンと呼ばれている典型的な会社員の生活は,その人の仕事を中心に動いていると言えるかもしれません。家庭や妻子は,食べたり寝起きしたりする場所や社会的な地位を提供するささやかな副業のようなものです。
ほとんど例外なく,家庭の中のことは一切妻が切り回しています。これには日常の家事だけでなく,どこに住むか,何を買うかといった大きな決定,さらには子供の教育や懲らしめまで含まれます。ですから,男性は自分が一家の頭であることをなおも言動で示すかもしれませんが,大会社に勤める人の家庭は大抵の場合,事実上,母権制度とも言えるものになっています。
独身者にも独身者なりの悩みがあります。仕事が忙しくて,接待以外に人と付き合うための時間がほとんどないのです。会社を出ると,友達と呼べる人があまりいないかもしれません。ところが,日本の社会には晩婚を見下すところがあります。30代に入るまでに結婚していない人は少し変わっているとみなされます。これで,お見合いの習慣が広く見られる理由が分かります。今日でも,日本の結婚全体のほぼ60%は,見合い結婚です。
大会社は,一つの支店から別の支店へと,社員を各地にしばしば転勤させます。これは,二,三年に一度転居しては新しい隣人や環境に慣れてゆくことを意味しています。転勤の都度,昇進や昇給の伴うのが普通であるとはいえ,子供の学校や老齢の親の世話などの点で家族に問題を引き起こしかねません。しかし,こうした事柄は,日本の大会社における年功序列と終身雇用制の望ましい点と表裏一体になっています。
仕事と宗教
集団の一員であるという意識と,和を保ちたいという気持ちは,宗教に対する日本人の態度を形成する上で重大な役割を果たしています。周囲に合わせてゆくには,自分の信条に固執し過ぎてはならず,寛大で,妥協する用意がなければなりません。そのため,日本人の道徳観念は,正邪にではなく,人に受け入れられるかどうかに基づいている,と言われてきました。
ですから大会社では,結婚式や葬式などの行事があると,仏教や神道やキリスト教の別なく,儀式に参加することが社員に求められます。ほとんどの男性は,そのような儀式に形だけ参加することについて良心の呵責を感じません。個人としての信条や信念を持たずに生きてゆくことを体得したか,そうしたものを会社の望むところに屈従させたかのどちらかです。その結果,宗教には無関心な男性が少なくありません。そうした人々にとって,宗教的な事柄や霊的な事柄について考えるのは容易なことではありません。先祖代々の儀式や習慣をいまだに守っているかもしれませんが,実際のところ,宗教的な信条と呼べるほどのものは持っていません。
それに対して,女性,それも特に母親は,学校の勉強・道徳・宗教のいずれの分野でも独りで子供を教えていかなければならないので,当然のことながら宗教に引かれます。しかし,女性の場合,もう一方の極端,つまり多ければ多いほどよいという考えに走ります。一人の若い母親は,タイム誌のニュース記事の中で,典型的な宗教観ともいえるものを次のように言い表わしています。「先祖に敬意を示さなければなりませんから,仏教でその敬意を示します。わたしは日本人ですから,神道の儀式はほんのささいなものまで守ります。それに,キリスト教の結婚式ができたら本当にすてきだと思っていました。矛盾してはいますが,それでいいではありませんか」。国勢調査によると,日本の人口は1億2,000万人ですが,仏教徒は8,700万人,神道の信者は8,900万人でした。自分は二つ以上の宗教の信者であると公言してはばからない人々が多いことは明らかです。
このように日本の大会社での生活を簡単に考慮してみると,外国でほめそやされている明らかな利点ばかりがすべてではないことが明白になります。実際には,そのような利点は誇張され過ぎていると感じている権威筋もあります。それどころか,経済面でも科学技術の面でも力のある大企業の群がるこの理想化された国において,すべてが順風満帆というわけではないことを示す兆候をそうした人々は見て取っているのです。その兆候とは何でしょうか。また,日本の奇跡の将来はどのようなものでしょうか。
[19ページの図版]
だれしも,長時間,一生懸命働くものと期待されている
[クレジット]
米国の日本情報センター提供
[21ページの図版]
大会社の機能の中には結婚式も含まれている
[クレジット]
米国の日本情報センター提供