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  • “ただの友達”でいるのがどうしていけないのだろう
  • 目ざめよ! 1985
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目ざめよ! 1985
目85 6/22 14–16ページ

若い人は尋ねる…

“ただの友達”でいるのがどうしていけないのだろう

「親しくなれる異性がいることをどれほど大切に感じていますか」。しばらく前,クリスチャンの若者多数にこのような質問がなされました。ある十代の少女は,『私にとってそれはとても大切なことです。時々落ち込んだりすると,必要なのは手を握ってくれる人です』と答えました。

真の友情は確かにすばらしい贈り物です。しかし,本誌の前号から分かるように,若者が異性と親しい友達になろうとするのは,自ら進んで心痛や悲嘆を味わおうとするようなものです。さらに,見たところ無邪気な友情として出発したものが,身体的,精神的,感情的に大きな災いに終わる場合も珍しくないのです。

なぜ危険なことか

ヒルトンという名の若者は,「どこへ行っても人々は[性]のことを話しています。職場でも学校でも,会話といえばそのことです。テレビは性を売り込んでいます」と語っています。今日,性が非常に強調されているので,「若さに伴いがちな欲望」に屈する若者がますます多くなっているのも少しも不思議ではありません。(テモテ第二 2:22)アラン・グットマッヒャー研究所が行なったある調査の推定によれば,「[米国の]13歳から19歳の若者2,900万人のうち約1,200万人は性交を経験しており……15歳から17歳の男子のほぼ半数,および同年齢層の女子の3分の1は性活動が活発である」ということです。

こうしたことを考えると,異性との親しい交友は確かに危険なことです。なるほど二人は最初,ひととなりや共通の関心事によって互いに引かれるかもしれません。しかし若い男女が交際を続けるなら,何らかの身体的な接触を持つ結果になることはまず間違いありません。レイチェルという名の少女は学校で一人の男子と自分との間がどうなっていったかを振り返ってこう述べています。「最初はただの友達でした。その後,ボーイフレンドとガールフレンドという色彩の濃い関係になっていきました。やがて私たちは手を握ったり,互いの体に腕を回したり,一緒に歩いて授業へ出たりするようになりました。そしてついにはキスをしたのです」。

連鎖反応

『だからって,それがどうしてそんなにいけないのだろう』と疑問に思う人がいるかもしれません。異性が互いに触れ合うなら,しばしば強い性的な欲望が起きるのです。すると,一連の出来事,つまり連鎖反応が引き起こされ,ついには性関係を結ぶという結果になりかねません。そのような親密な関係を結ぶ資格があるのは結婚した夫婦だけです。ですから聖書は「淫行から逃げ去りなさい」と述べています。―コリント第一 6:18。

ところが,「そんなこと僕には絶対起きません! ほかの子が楽しんでいるのに,どうして僕にはできないのですか」と言った若者と同様に感じている人は少なくありません。確かに二人はそうしたことをするつもりはないかもしれません。しかし,「今日の心理学」誌が行なった調査結果をよく考えてください。それによれば,「友情が発展して性関係を結ぶようになったケースは回答者のほぼ半数(49%)に上っている」のです。事実,「先月友達との性交を経験したと報告したのは,ほぼ3分の1(31%)」でした。―下線は本誌。

確かに,単に手を握るというようなことから連鎖反応がいったん始まると,それをとどめるのはたいへん難しいことです。手を握ったりキスをしたりすることが正しく性の不道徳につながりかねないというのは「ちょっとこっけいだ」とかねがね思っていたことをある若い女性は認めています。しかし今では考えを変えました。なぜでしょうか。「正にその通りのことが私に生じたのです」とその女性は打ち明けています。

たとえ性関係が避けられても,愛情の表現を制御し切れなくなると,感情面で打撃を受ける結果になりかねません。ある若者は,個人的な問題を自分に打ち明けた友達の女の子を慰めようとしました。間もなく二人はペッティングにふけっていました。その結果ですか。良心の苦しみと二人の間の「気まずい思い」です。

友情を境界内に保つ

アラン・ロイ・マクギニスは自著「友情の要素」の中で,異性との友情については「自分を過信してはならない」という一つの実際的な忠告をしています。独身の若者が連れ立って人けのない所へロマンチックな散歩に出かけるのは賢明でしょうか。異性から問題を打ち明けられたとき,手を握って同情を示す必要があるでしょうか。聖書は,『自分の心に依り頼んでいる者は愚鈍である』と警告しています。―箴言 28:26。

また,独りでいる異性のところを訪問するのはどうでしょうか。ピーターは以前のことをこう語っています。「僕の両親と彼女の両親は仲が良く,僕たちにも同様に“ただの友達”になってほしいと思っていたようです。僕たちがごく幼い時にはそれでもよかったのですが,十代の初めになると,お互いに対する見方が違ってきました。親たちは僕たちを二人きりにして遊ばせたりレコードを聞かせたりしたものですが,その時僕たちがキスをしたり抱き合ったりして時間を過ごしているということに少しも気づきませんでした」。幸いピーターとその友達は性関係を持つところまではいきませんでした。しかしピーターは,「ちゃんと付き添いがいたら,始めから何も起きなかったでしょう」と語っています。

付き添いですって? それはあまりにも時代遅れだと考える若者がいます。しかし国によっては,娘が結婚するまで親は必ず娘に付き添いを付ける所があるのをあなたは知っていましたか。それは保護となります。ですから,たとえ“ただの友達”であっても,決して異性と二人きりにならないように気をつけるのはよい考えではないでしょうか。

しかし,これらの提案をすべて当てはめても,なおロマンチックな感情が募ってくるならどうでしょうか。結婚の用意ができていないなら,箴言 22章3節の「災いを見て身を隠す者は明敏である」という助言に従うのは最善でしょう。つまり,「友情の要素」という本が述べているように,「必要なら身を引くのです。どんなに努力しても,異性との友情が制御できない感情となり,それがどこへ行き着くか分かることが時にあります」。その場合は同書が述べているとおり「身を引く」時です。

友情の面で『自分を広くする』

ゲイルという名の若者は,「私は結婚して落ち着く用意ができていません。自分という者がまだ分かりませんし,達成しなければならない霊的目標もたくさんあります。ですから実際,異性のだれかと過度に親しくなる必要がありません。そうすることは妨げとはなっても助けにはならないでしょう」と正直に語っています。しかし,それは友情を結ぶことが許されていないということでしょうか。決してそうではありません。なぜなら,コリントの会衆に書き送った際,使徒パウロは互いに対する愛情の点で「自分を広くしなさい」と勧めているからです。―コリント第二 6:12,13。

例えば,スーザンという名の若い女性はこう語っています。「私は会衆内の年配のクリスチャンの婦人と親しい友達になることを学びました。それらの方は交わりを必要としておられましたし,私はそれらの方の落ち着いた物腰から影響を受ける必要がありました。ですからコーヒーを飲みに立ち寄り,一緒に談笑したものです。私はその方達と生涯にわたる真の友情を結びました」。

しかし自分の気持ちを聞いてくれたり手を握ってくれたりする人が必要な場合はどうでしょうか。そういうときに力になってくださるのがご両親です。(箴言 23:26と比較してください。)分別のある若者があなたに良い助言を与えてくれるということも恐らくあるでしょうが,「老人の中には知恵があるのではないか。長い日々には理解力が」というヨブの言葉を思い出してください。(ヨブ 12:12)確かに,助言を求めて同じ年ごろの仲間のところへ行くと,多くの場合「盲人が盲人を案内する」ような結果になります。(マタイ 15:14)しかし年配の人やご両親は,はるかに信頼できる親友となってくださるかもしれません。友情を結ぶ相手をなぜ同じ年ごろの仲間だけに限るのですか。特に美しい友情として記録に残っているものの一つはダビデとヨナタンの友情です。(サムエル第一 18:1)ところがヨナタンはダビデの父親ほどの年齢でした。

友情に関して注意深くなると,確かに自由は制限されます。しかし,わたしたちは,若い人々が絶えず不道徳な影響にさらされている時代に住んでいることを覚えていましょう。そうした影響に抵抗し,『今あなたの偉大な創造者を覚える』ほうがはるかに勝っています。なぜなら,神の友となるなら,存在する友情の中で最も満足のいく友情を結べるからです。―伝道の書 12:1,英文新世界訳。

[15ページの図版]

友情として始まったものが心痛や性の不道徳に終わる場合は少なくない

[16ページの図版]

年配の人々とご両親は,信頼のできる,理解ある友ともなってくださる

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