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目ざめよ! 1985
目85 9/8 22–25ページ

目が見えなくても充実した人生を送る

その事件が起こった時,私はエクアドルに住む,成長期にある10歳の少年でした。事故で爆発が起こり,私は右手と右目を失ってしまいました。左目も冒されましたが,手術のお陰で左目の視力の約50%は失われずにすみました。

それから良いほうの目の視力も徐々に失われてゆきました。検査をしてもらった時には,数か月もしないうちに全盲になると言われ,打ちひしがれてしまいました。その時の憂うつな気分はとても言葉で表わすことはできません。

その時期に父が死に,母と二人の息子,つまり私より2歳年上のエディーと私だけが残されました。母が示してくれた愛と,兄のエディーの理解ある態度に助けられてしばらくはうまくいったのですが,自分は家族の重荷になっているように感じました。それで,母が死んだら自分は自殺をしようと決めていました。

23歳から30歳までは最も困難な時期でした。来る日も来る日も何かの仕事について考え,仕事を探しつづけましたが,判で押したように,働くためには手と視力が必要だという答えが返ってきます。母は繰り返し私に,「慰めを与えてくださるよう神様に祈ることよ」と言いました。

「神が存在するなら,僕の手や目がなくなるはずないじゃないか。10歳の僕が,神から罰を受けてかたわになるほどの一体どんな罪を犯したと言うんだ」と,私はよく毒づきました。このような話になると,いつも決まって母は泣き出し,私の憂うつな気分は深まるばかりでした。

自分の状況を黙想して,『信仰さえあったら人生の悲しみが和らげられるのに』と思いました。そう思って私は,家の近くにあった修道会を訪れました。その修道会から,兄のエディーに読んでもらうようにと何冊かの本をもらいました。その本は全く慰めにはなりませんでした。それで最後に聖書を頼んだところ,1冊貸してくれました。エディーが読むのを聞きながら,書かれていることを十分には理解できなかったものの,深い心の安らぎを覚えました。しかし,その聖書はすぐに返さなければなりませんでした。

初めての光

その後しばらくして,プロテスタントかどこかの信者と思われる人と聖書を研究していた友人の所を訪れました。そのベアトリスという女性は非常に親切で,私を話に加わらせようとしましたが,私はよそよそしい態度を示しました。プロテスタント信者は資本家の帝国主義の手先だと思っていたのです。私は当時エクアドルの共産党の党員でした。

ベアトリスはエホバの証人であり,私の態度にがっかりすることもなく,親切に話を続けました。その上,住所を教えてくれ,何か質問があったら連絡して欲しいとまで言ってくれたのです。その後ほどなくして私は幾つかの質問を持って彼女の家を訪れました。

ベアトリスは不在でしたが,やはりエホバの証人であるそのおばさんのカストリーナが私を非常に親切に迎え入れてくれました。この女性が神のことを私に話してくれた時,「僕は神も,聖処女も,聖人も何も信じていません。信じさせるためには証拠を出さなくては駄目です!」と答えたのを覚えています。そして,その時の答えに驚かされ,また高慢の鼻を折られて,聖書研究のために再び来ることを約束して家を出ました。

1965年1月には,「神を真とすべし」という本を使って聖書研究を始めました。「私にする質問は全部どこから手に入れるのですか」と尋ねたことを覚えています。その時ベアトリスとそのおばさんは,ページの下に印刷された質問があり,その質問は節の主要な点を引き出すために設けられていることを説明してくれました。それは私にとって一つの問題となりました。自分の研究のためにどのように予習したらよいのでしょうか。私は真剣に勉強しようとしていました。いや勉強しようと心に決めていたのです。ですからこの時もまた私は兄のエディーに,声を出して読んで欲しいと頼みました。

失明してから20年たって,初めて“光”がさすようになりました。目を通してではなく,耳を通してです。悩みに満ちていた私の思いも安らいで徐々に静まり始めました。私は自分が学んでいる新しい事柄について他のどんな人々にも話しました。「神を真とすべし」の本の研究を終えるころには,神が確かに存在しておられることを確信できました。

この時から私は,以前には夢にも思っていなかったようなことを行ない始めました。出かけて行って,聖書について他の人に話すようになったのです。ある日のこと,家々を訪問している時に一人の婦人が,「ドクターに話してくださいませんか」と言いました。ドクターと言うので医師のことかと思いましたが,驚いたことに,出て来たのはカトリックの司祭でした。その司祭は,今は忙しいので夜にもう一度来て欲しいと言いました。

その晩,司祭は私たちを親切に迎え入れてくれました。最初に,「聖書を使っても構いませんか」と尋ねたところ,もちろん構わないと司祭は言いました。私たちは地獄の火の教理について話しました。話し合いの初めから,司祭は,地獄が火の燃える,責め苦を受ける場所であることは聖書から証明できる,と自信たっぷりに主張しました。話し合いは2時間続いたのですが,司祭は聖書から自分の言いたいことを証明できませんでした。次の3週間その問題を続けて話し合いました。

訪問していたある時に司祭はこう主張しました。「今日こそ,火によるとこしえの責め苦があることを聖書から示してみせます。マタイ 25章でイエスはやぎに向かって,『わたしから離れて,悪魔とその悪霊たちのために備えられているとこしえの火に行け』と述べています」。

私は答えました。「でも,火が悪魔とその悪霊たちのために備えられているのであれば,悪魔や悪霊たちと一緒に火の中に投げ込まれるかわいそうな動物たちがいるのはなぜだと思いますか」。

「ここで言われているやぎとは文字通りの動物ではありません。悪い人々の象徴です」と司祭は答えました。

「では,火も象徴的なものに違いありません」と私は答えました。

結局司祭は,「地獄が責め苦の場所であることは聖書から証明できないかもしれませんが,哲学的には確証されるのです」と言いました。ひどい話です! この人が真理を持っていないことがはっきりと分かりました。

その後,プロテスタントの一宣教師と話している時にも似たことがありました。その人とは三位一体の教理について話し合っていたのです。長時間にわたる話し合いの末,その人はこう言いました。「聖書は,父のほうが子より偉大であると確かに述べていますが,それでも私はイエス・キリストが神であると信ずるほうが性に合っています」。聖書を信ずることのほうが私の性に合っていました。私は自分が真理を見いだしたことを悟りました。そして1965年9月25日に,エホバの証人としてバプテスマを受けました。

他の人を教える喜び

他の人に聖書を教えるのは非常に楽しいことが分かり,私はその業を行なうために自分の時間の大部分を費やすようになりました。もちろん,聖書から聖句を読んでもらうために同行する人が必要でした。いつものように,敬愛する兄のエディーが,前もって私の準備を助けてくれ,声を出して出版物を私に読んでくれました。

1966年4月に私は正規開拓者(全時間の伝道者)になりました。そのような価値ある仕方で命を用いることができて私はたいへん幸福でした。4か月後には兄が結婚し,そのしばらくあとに私は良いたよりを宣べ伝えるために毎月150時間を費やす特別開拓者になるよう招待されました。しかし,どのようにその奉仕ができるでしょうか。どのように一人で聖書研究を司会できるでしょうか。

1968年に「とこしえの命に導く真理」という書籍が発表された時,私は22の章全体の質問の答えを暗記しました。このようにして,他の人を教える際にこの本を用いることができました。それに,ものみの塔協会が発行した他のさまざまな聖書研究の手引きに載せられている質問の答えも暗記しました。1978年に,さし絵が豊富に用いられている「わたしの聖書物語の本」が発表された時には,さし絵のあるページをすぐに暗記しました。

そのあと,1982年に,「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」というさし絵入りの新しい研究用書籍が発表された時,同じような教え方を用いました。絵は一度も見たことがありませんが,他の人を教える時にその絵を説明できるよう,それらの絵を全部頭の中に入れています。この書籍を使う場合には,あるさし絵の記されているページを指摘し,それから説明を加えるだけです。その方法を用いると,この出版物の助けを得て聖書研究を司会するのが非常に容易になります。

ついでながら,私は特別開拓者になってから,兄のエディーが定期的に私と聖書研究を行なうように努力してみることにしました。兄は,非常に熱心にというわけではありませんでしたが,同意してくれました。びっくりしたのは,兄は辛抱強くずっと私に読んで聞かせてくれていたことについて,ほとんど何も理解していなかったことです。ある日私は,「兄さん,これまでずっと僕のために聖書を読んでくれていたのに,どうして聖書についてほとんど何も知らないのですか」と尋ねてみました。ただ私を助けるためにそうしたのだ,という兄の答えで,自分がいかに立派な兄を持っているかが一層よく分かりました。しかし,ほどなくして兄は聖書の貴重な真理を認識するようになり,着実に霊的な進歩を遂げました。

危険と困難

想像がつくように,目が見えないことには独特の問題が伴います。目が見えないために危うく命を失いそうになったことが数回ありました。例えば,ある晩のこと,帰宅の途中に一人の男の人にぶつかってしまいました。その人は怒って私の前に立ちはだかりました。私の肩に突然固い物が触りました。寒くて襟を立てていたので,それが何だか分かりませんでした。私は自分が盲人であることを説明して謝ろうとしました。

ところがその男の人は酒を飲んでいて私の言うことを聞こうとしません。何だか分かりませんがその男の人は私の肩に当てていた物を持ち上げ,脅すような調子で,「さあ,どうする?」と言いました。私は頭を上げ,「どうしましょうか」と尋ねました。それでようやく,私が本当に盲人であることが分かったようで,男の人の声の調子が変わりました。この時,自分が置かれていた危険な状況がよく分かりました。その男の人が私の肩に当てていた固い物というのはマチューテ(なた)の刃だったのです。男はすんでのことで私の首をはねるところだったのです! ただ単に自分が置かれている危険な状況が分からなかったために,私は怖がった様子を見せませんでした。その男は去って行き,私は無事に家路につきました。

ほかにもいろいろ困難なことはありましたが,それらはエホバのみ手が短くはないことを明らかにしたにすぎませんでした。家族は今7人います。母と兄のエディー,それにその妻と3人の子供と私です。エディーは就職難のため私たちすべてを連れて他の町で仕事に就かなければならなくなりました。しかしその町の職業事情はますます悪くなっていました。エディーは失業し,ほぼ1年間仕事からあぶれていました。

幸いなことに,私は特別開拓者の奉仕を続けることができました。十分の食糧と衣服がないということは1日もありませんでした。「ですから,王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これらほかのものはみなあなた方に加えられるのです」というイエスの言葉が本当によく理解できました。―マタイ 6:33。

実りの多い宣教

多年にわたり私は,神が私の宣教を祝福しておられる他の証拠を見てきました。プロテスタント信者の一家族の家を訪問したところ,すぐに話題が地獄の火の教理に移った日のことを思い起こします。その家族はそばに住んでいた牧師を呼びました。その牧師はこの教えが正しいものであると言い張りました。それで話し合いは次のように進みました。

私はこのように話を切り出しました。「昔,アタワルパという名のインカ族の支配者がいました。この人はずっと前に亡くなっています。この人は偶像礼拝者また一夫多妻主義者であり,自分の兄弟を殺していました。では今その魂はどこにあるでしょうか」。

「それなら,きっと地獄の火の中でしょう」と牧師。

「しかしこの支配者は真の神について何も知りませんでした。聖書を読んだことも,聖書の内容を知るようになったことも全くないのです」。

「ではきっと天にいるのでしょう」と牧師は応じました。

「でもコリント第一 6章9節には,偶像礼拝者は神の王国を受け継がないと書かれています」と私は答えました。

沈黙が流れました。答えが出ないのを知って,その牧師に付いて来た高校のある先生が,思い切ったように,「牧師さんがあなたの質問に答えられないのであれば,あなたが話してくださいませんか。アタワルパの魂はどこにあるのですか」と言いました。

それで私は,死者は墓の中にいて無意識であり,神が将来の復活と裁きの時を定めておられることを聖書から示しました。(伝道の書 9:5,10。ヨハネ 5:28,29。使徒 17:31)私がした説明は,その学校の先生に消え去ることのない影響を与えました。というのはその先生は,後日,自分のほうからエホバの証人を探し出したからです。今この人はここエクアドルのエホバの証人のある会衆で奉仕の僕として仕えています。

私の家族全員がエホバの証人になったので,私の心は喜びであふれています。エディーとその妻,そして彼女の妹で修道女になろうとしていた人が1969年にバプテスマを受けました。1970年には母もそれに加わりました。私に示してくれた親切に関し,家族にも,他のエホバの証人にも深く感謝しています。しかし,ほかのだれよりも,私の目を(もちろん霊的に)開いてくださり,私の人生を有意義なものにしてくださったエホバ神に感謝しています。エホバ神の助けによって,私は目が見えないにもかかわらず充実した人生を送ることができているのです。―ロドリゴ・バカの語った経験。

[23ページの拡大文]

「神が存在するなら,僕の手や目がなくなるはずないじゃないか」と,私はよく毒づきました

[25ページの拡大文]

答え,およびさし絵の載っているページをすべて暗記することにより,「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」の本を用いて聖書研究を司会できます

[25ページの拡大文]

『偶像礼拝者また一夫多妻主義者であったアタワルパの魂はどこにありますか』と私は尋ねました

[24ページの図版]

私は,他の人に聖書を教える業から大きな喜びを得ています

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