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目ざめよ! 1985
目85 12/8 24–25ページ

聖書の見方

十分の一税 ― 納める必要がありますか

南アフリカの一聖公会教区の財務主事は悩んでいます。その人の教会は財政危機のただ中にあり,牧師たちに俸給を支払うことが難しくなっているのです。その人が解決策と考えているのは,教会区の信者に十分の一税を強調することです。

では,十分の一税とは一体何なのでしょうか。それは宗教的な目的のために「全収入の十分の一」を与えることであると言う人もいます。十分の一を算出する方法は宗教組織によってそれぞれ異なっていますが,十分の一税を奨励する必要を感じている僧職者は少なくありません。アフリカの一カトリック司祭は,「我々はもっと十分の一税を強調すべきであった。そうしてこなかったのは非常に残念なことだ」と言いました。「神の世界教会」は,神と共同して事を行なうなら貧困を避けられるということを論じた雑誌の記事の中で,「神との関係を結ぶには,まず十分の一税に関する神の律法に従わなければならない」と述べています。その記事には,そうしない者は「神のものを盗んでいる」とも述べられていました。

しかし,神はあなたに十分の一税を要求しておられますか。それについて聖書が述べている事柄を知れば驚かれるかもしれません。

十分の一税とモーセの律法

十分の一税は,神が古代イスラエル国民にモーセを通してお与えになった法典の一部でした。イスラエルの十二部族は,13番目の部族の生活を,すなわち,相続地が与えられていない祭司のレビ人たちの生活を維持するようにと律法によって要求されていました。そのおかげでレビ人たちは,国民の霊的な面での必要を満たす活動に打ち込むことができました。(民数記 18:21-24)イスラエル人は農耕民だったので,十分の一税を現金で納めるよう求められてはいませんでした。むしろ土地の産物や殖えた家畜の中から差し出すことになっていたのです。産物の十分の一を差し出すことになっていて,それをお金で納めたいと思うイスラエル人がいる場合,その人は差し出すはずの産物の価額の20%増しに相当する金額を納めなければなりませんでした。―レビ記 27:30-33。

十分の一税に関する神の命令は重大な事柄でした。もしあるイスラエル人が,十分の一税として差し出すはずの物を幾らかうっかり自分のために使ってしまったなら,償いをしなければなりませんでした。どのようにするのでしょうか。20%余分に納め,自分の罪科のために動物の犠牲をささげることによって償うのです。(レビ記 5:14-16)すべてのイスラエル人が祭司職にあずかれたわけではありませんが,だれもが十分の一税によって祭司の奉仕を支えることにあずかることができました。十分の一税に関する神の律法にはこうした事柄すべてが含まれていました。それゆえに,十分の一税は古代のその民の実情に合っていたのです。しかし,今日の人々の実情に合っていますか。さらに重要なこととして,クリスチャンは十分の一税を納めるように命じられていますか。

律法の変更

イエスの復活後数年たって,割礼を受けていない非ユダヤ人がキリスト教に改宗しました。ユダヤ人のクリスチャンの中には,「彼らに割礼を施し,モーセの律法を守り行なうように言い渡すことが必要だ」と,強く主張する人がいました。(使徒 15:5)それに同意しないクリスチャンたちもいました。そこで,イエスの使徒たちとほかの幾人かの経験豊かなクリスチャンが,その問題について討議するためにエルサレムで会合を持ちました。彼らは神のご意志を見極めたいと思いました。神はキリストの追随者たちに,十分の一税の規定も含むモーセの律法を守るように要求なさいましたか。非ユダヤ人に対する神の処遇が変化したことを示す数々の経験が語られ,その変化は神ご自身の預言の言葉によって確証されました。(使徒 15:6-21)そのときの決定はどのようなものでしたか。

その集まりでは全員一致の結論が出されました。クリスチャンにはモーセの律法の重荷を加えるべきではないという結論です。それでも,従わなければならない「必要な事柄」が少しありました。十分の一税はその一つでしたか。霊感による決定はこうなっています。「聖霊とわたしたちとは,次の必要な事柄のほかは,あなた方にそのうえ何の重荷も加えないことがよいと考え(ました)。すなわち,偶像に犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行を避けていることです」。(使徒 15:25,28,29)興味深いことに,十分の一税に関する神の律法は,クリスチャンにとって「必要な事柄」の中に挙げられていません。

後に使徒パウロは,イスラエルとの神の律法契約がイエスの死によって廃止されたことを説明しました。「[神は]手書きの文書を塗り消してくださった」と述べたパウロは,「そして神は,それを苦しみの杭にくぎづけにして取りのけてくださいました」と言っています。(コロサイ 2:14)これはクリスチャンには何の律法もないという意味ではありません。そうではなく,律法の変更があったために,今度は「キリストの律法」が関係しているのです。―ガラテア 6:2。ヘブライ 7:12。

使徒パウロは,律法のこの変更に調和した生活をしました。一生懸命に働いて次々に会衆を組織してゆきましたが,十分の一税というような形で俸給を求めたりはしませんでした。むしろ,パートタイムで天幕作りの仕事をしながら,すすんで自らの経費を賄っていました。(使徒 18:3,4)パウロは,「この手が,わたしの,そしてわたしと共にいる者たちの必要のために働いた」と,少しもやましい気持ちを抱かずに言うことができました。―使徒 20:34。

では,寄付をすることに関して,クリスチャンにはどんな指針があるのでしょうか。いくらぐらい寄付をしたらよいでしょうか。

クリスチャンの与え方

イエス・キリストはこの地を歩まれた人の中で最も寛大な方でした。その模範は多くの人に感銘を与え,寛大な行ないをするよう促しました。イエスはこう言われました。「いつも与えなさい。そうすれば,人々はあなた方に与えてくれるでしょう。彼らは押し入れ,揺すり入れ,あふれるほどに量りをよくして,あなた方のひざに注ぎ込んでくれるでしょう。あなた方が量り出しているその量りで,今度は人々があなた方に量り出してくれるのです」。(ルカ 6:38)これには制限がありますか。いいえ,ありません。クリスチャンは,寛大に与えるようにと励まされており,余裕があるならばその額は収入の十分の一以上の場合さえもあるでしょう。―ルカ 18:22。使徒 20:35。

他方,事故や病気などのためにクリスチャンが思いがけず緊急な出費を迫られることもあります。このような事情のもとで自分の給料の十分の一を与えるなら,自分の家族に生活の必需品も備えられなくなるかもしれません。それはクリスチャンらしからぬことでしょう。―マタイ 15:5-9。テモテ第一 5:8。

クリスチャンの与える行為は自発的なものです。人にはそれぞれ生活において様々な事情の生じることが考えられます。聖書には,「進んでする気持ちがまずあるなら,持っていないところに応じてではなく,持っているところに応じて特に受け入れられるのです」と述べられています。―コリント第二 8:12。

では,いくらぐらい寄付をしたらよいのでしょうか。それは自分で決めなければならない問題です。前もって定められた十分の一税の算出方法のようなものではなく,神に対して自分自身が抱く心からの感謝の念の深さによって,寄付額が定められるでしょう。聖書が次のように勧めているとおりです。「各自いやいやながらでも,強いられてでもなく,ただその心に決めたとおりに行ないなさい。神は快く与える人を愛されるのです」。(コリント第二 9:7)十分の一税はイスラエルの神殿と祭司職を維持するためにモーセの律法契約によって設けられた一つの取り決めでした。今日のクリスチャンには命じられてはいませんし,必要でもありません。

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