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  • ガン ― どうすれば患者の支えになれるか
  • 目ざめよ! 1986
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目ざめよ! 1986
目86 10/22 23–27ページ

ガン ― どうすれば患者の支えになれるか

「どんな臨床行為においても,医師が感情移入を行ない,患者に自分の病気を理解させることが,その核心として必要である」―「全体論的医学」。

ガン患者の世話は非常に努力のいる仕事です。患者とじかに接する医療関係者にとっては特にそうです。医療関係者は二つの難しい事柄のはざまに立たされます。感情移入を行ない,楽観的な見方を伝える必要があると同時に,主観的な態度や感傷的な態度で病人に接しないようにする必要があるからです。これは実際の場では何を意味するでしょうか。

ガン患者と絶えず接触する医師や看護婦は,すべての患者と苦しみを共にするというようなことはできません。もしそうするとすれば,感情的に疲れてしまうでしょう。「目ざめよ!」誌は,以前病院で薬剤師として働いていたある人に,この点について尋ねてみました。その人は「病院ではあらゆる部門の医師や専門医と接しなければなりませんでしたが,いつでも意気消沈したような,憂うつな様子をしていたのはガン専門医でした」と言いました。

そうかといって,医療関係者は個人的な感情を交えない潤いのない態度を取るわけにもいきません。患者はその人たちに希望をかけているからです。モーリス・フィンケルが「ガンにおける新しい希望」という本に書いている通りです。「何よりもガン患者に必要なのは希望である。病気と闘うエネルギーを与えてくれる希望である ― たとえ闘いが不成功に終わるとしても……。闘いをやめる人は必ず死ぬが,闘い続ける人には生き延びるチャンスがある」。

医師の役割は,綱渡りのように細心の注意を要する難しい役割です。病気についての情報をどの程度与えれば患者が病気に抵抗する助けになるかを判断しなければなりません。あまり多くのことを話すと,患者は再び敗北主義に陥る恐れがあります。これらの要素は文化によっても異なります。

「目ざめよ!」誌は,最近義父母をガンで亡くした平野さんにインタビューを行ないました。これは平野さんの話です。「日本人は伝統的に,言いにくいことを口にしない傾向があります。医師は義父がガンにかかっていることを義父自身には話そうとしませんでした。実は娘たちにも知らせなかったのです。しかし,“部外者”である私には容体についての苛酷な事実を進んで話しました。私は妻にも義父にも知らせずにすべてのことを決定するよう期待されていました。でもクリスチャンである私としては,方法をよく考えて真実を告げ,事実を隠さないようにする義務があると思いました」。

では,欧米の文化においては,もし医師が状況を十分明確にしない場合,その医師はあとで,患者が不十分な情報に基づいて決定をしたという理由で責任を問われるのでしょうか。実はそれは,患者が何を知りたがっているか,いつそれを知りたがるかに大きく左右されます。その点についてチャールズ・F・マックハン博士は,「もし人々が難しい質問をすることができるのであれば,少なくとも医師は妥当な答えを与える意欲と能力のあることを示すべきだということにわたしは気づいた」と述べています。―「ガンに関する事実」。

ですから,医療関係者が患者に対して真に同情的であれば,それは大きな励みになります。この点を考えると,親近関係を持てる医師を選ぶことの大切さが分かります。マックハン博士はさらにこう述べています。「医師を本当に信頼しているなら,すべてのことがより耐えやすくなる。医師は情け深く,理解があり,患者としてだけでなく,一個の人間としてのあなたに関心のある人でなければならない」。

ガン患者を担当しているある看護婦は,すべての医療関係者が必ずしも患者の必要に敏感であるとは限らないことを示して,ニューヨーク・タイムズ紙に次のように書きました。「私が一番驚かされるのは,患者とその家族がガンに耐え抜くということではなく,医療関係者や医療施設に耐え抜くということである。それらの施設の組織や仕組みは,患者とその家族の気持ちをくじき,彼らを失望させ,そのような事情の時に極めて重要な資力と支えを彼らから奪い取ることを目的としているかに思われる」。そして手紙の終わりに,「ガンとの闘いには,感受性,一通りの礼儀,笑い,人間味のある世話なども“武器”となることを心に銘記すべきだ」と述べています。

近い親族や友人なども病人を支える点で大切な役割を果たします。患者の夫,妻,子供たちについては特にそう言えます。ほかの人がどのように支えになれるかについて実例を示すため,「目ざめよ!」誌は支えとなった配偶者数人と,ガンにかかって生き延びた幾人かの人にインタビューしました。

『物事の優先順位を変えなければならなかった』

テリーの場合を見ると,支えとなる家族の役目の重要さがよく分かります。テリーは28歳のとき,自分が“攻撃的な”ガンにかかっておりしかも末期的状態にあることを知らされました。それは1982年も今日が最後という日のことでした。余命は半年か1年と医師から言われました。テリーと夫のポールはこの状況にどう立ち向かったでしょうか。

ポールは「目ざめよ!」誌にこう説明しました。「私は現実を直視しなければならないと感じました。テリーはもう何か月という限られた期間しか生きられない状態でしたから,彼女の最期を,なしうる限り威厳あるものにしてやるよう努力することだけを考えました。化学療法を行なうと,髪が抜け落ちたり,吐き気や嘔吐が続いたりして,ひどいことになりますからね」。

「目ざめよ!」誌: そのことは夫としてのあなたの生活にどう影響しましたか。

「それは自分の生活の中の物事の優先順位を変えなければならないということでした。財産とかお金はそれほど重要ではなくなりました。自分が付き添い看護夫のようになって妻の看護に当たらなければならないことを自覚しました。忍耐が必要なことも学びました。人中で妻が吐いたり発作を起こしたりしたときのきまりわるさも気にしないようになりました。幸いなことに,妻は非常に現実的なほうでしたから,自己憐憫にふけるということはありませんでした。その点,私は看護がしやすくて助かりました」。

「目ざめよ!」誌: そのほかにどんなことをガンの犠牲者の親族や友人に勧めたいと思いますか。

「病人に自分は家族の重荷になっていると感じさせてはいけないと思います。感情移入をすることが大切です。病人の気持ちを察するようにすれば,どんなことをいつ話したらよいかが分かります。病人は,いっそのこと楽になりたい,と言うときもあれば,そういうことを話すのを非常に嫌うときもあります」。

「目ざめよ!」誌: テリーさんが試練に耐える助けになったのは何でしたか。

「仲間のエホバの証人たちが,見舞いに来たり,食事の世話をしたりして,大きな支えになってくれました。もっと永続的な見地から見れば,妻が聖書研究によって復活の希望をはっきりととらえ,地上から死や病気がなくなるときを明確に心に描いていたことだと思います」。

医師たちが予告していた通り,テリーは1983年の10月,その年が終わらないうちに死亡しました。

生活の質と目標

致命的な病気に襲われると,自分はこれから何週間,何か月,あるいは何年生きられるのだろう,という疑問がわいてきます。その場合には生活の質が一層重要になってきます。手紙を書くとか本を読むといった小さなことでも,何かを成し遂げるということが重要な意味を持つようになり,生活を価値のあるものにします。可能な程度にそういう活動をすることも一つの治療法です。

英国に住む46歳のバーバラはこの見方に賛成です。バーバラが乳ガンのあるのを発見したのは1980年のことでした。それ以後,乳ガンは他の部分に転移しましたが,化学療法や放射線療法が助けになっています。バーバラはどのようにして頑張っているでしょうか。「短期間の目標を定めることが私にとってはよいようです。前もって計画を立てるにも近い将来にたやすく達成できる事柄だけを計画します。ですから結構楽しく,気持ちが満たされます。

「努めてほかの人たちのことを考え,ほかの人たちに関心を払うと,確かに私自身の助けになります。ですから気分のすぐれない人たちを元気づけるカードをせっせと書いて送っています。手紙を書くのも楽しみです」。

バーバラの夫のスチーブンはどのようにして彼女を支えているでしょうか。「私がバーバラの病状に心から関心を抱いていることが,バーバラにも助けになっています。私たちは何事にも一緒に取り組みます。例えば,ふたりとも読書が好きですが,両方に聞こえるように大きな声を出して読んで経験を共にするのもいいことだと思います」。

心臓発作,そしてガン

ドードの夫のチャールズは60代で,たくましい体つきの人ですが,1985年にひどい心臓発作を起こしました。九日間,集中的な治療を受け,非常な決意をもってその経験を乗り越え,6週間もたたないうちに仕事にもどりました。ところがその年の9月のこと,食事中にしゃっくりが出だして止まらなくなりました。調べてもらったところ,胃ガンの疑いがあるということでした。それで12月に手術を受け,4週間後には仕事にもどっていました。

ドードはその困難なときに,どのように夫を支えるよう努力したでしょうか。ドードはこう答えました。「暗い事柄をあれこれ考えることに時間と神経を使わないようにしました。まず病気についての事実が分かるのを待ち,それからよく話し合い,どうするかを決めました。

「必要な治療に関係した医師と外科医の勧めには十分の確信をもって従いました。会話をいつも積極的なものに保ち,治ることを考えました。主人はファイトのある人ですから,私も主人を助けることを決意しました」。

「目ざめよ!」誌: ご主人が積極的な気持ちを保たれるよう,ほかにどんなことをされましたか。

ドード: 「入院中は面会を辞退したり,面会の回数を制限したりしました。面会は前もって知らせてもらい,長くならないようにしていただきました。善意の人たちでも主人は疲れるかもしれないので,そのようにして面会者を選んで少なくしたのです。主人は何百通ものお見舞い状をいただきましたが,面会よりもむしろそのほうがよかったですね」。

「目ざめよ!」誌: あなたは正看護婦として多くの医師と一緒に働かれましたが,現在,患者の妻として,医師はどうすれば支えになれるとお考えですか。

ドード: 「私たちのお医者さんがしてくださったように,積極的な見解を患者に伝え,患者の質問に応じて,患者が知りたがることだけを知らせるのがよいと思います。もちろん,私に対しては率直に話してくださることを期待しました。しかし,主人に対しては絶望ではなくて希望の種をまいてくださることを願いました。ですから,患者が答えを要求しない限り,あなたはあと何か月しか生きられないというようなことは言うべきではないと思います。それを言うかどうかは患者の病状と決意によって決まるものですし,そうあるべきだと思います」。

「目ざめよ!」誌: 日々の闘いにどんなことが助けになっていますか。

ドード: 「なんと言っても思いやりです。患者を支えているほうの配偶者は,しっかりしているところを見せるためにいつも気を張っています。ですから,『あなたのほうはどうなの,ドード』と尋ねてくださる人があるとうれしいですね。私の受けている試練も理解してくださっていることが分かるからです。

「ユーモアのセンスも私たちにとても役立っています。ふたりともゴルフが好きなので,主人がどんどんやせていたとき,ある日主人に,『今のあなたの足はウッドクラブの3番くらいかしら,それともアイアンクラブの4番くらいかしら』と言ったら,主人は笑っていました。でも主人は,手術してから6週間もたたないうちに私とゴルフをし,18ホールまでプレーしましたよ」。

では,チャールズは患者としての自分にとってどんなことが一番励ましになったと感じているでしょうか。

「妻,病院の人たち,友人とこの三つですね。医療関係の方々は実に大きな支えになってくださいました。手術の過程は前もって克明に説明してもらえましたし,無価値な者としてではなく,一個の人間として扱ってもらえました。だから私たちは,医療関係の方たちを心から信頼していました。それがまた楽観的になるのに役立ちましたね。

「もちろん,一番大きな支えは妻でした。妻は以前看護婦だったのでそれも幸いしました。祈りも大きな慰めになり,私は祈りによって元気づけられました。仕事を継続できるよう祈りつづけました。……そしてご覧の通り,いまは自分の事務所で働いています」。

現実に立ち向かい,希望をもって生きる

「目ざめよ!」誌はエセルとのインタビューも行ないました。エセルの夫スタンは最近ガンで亡くなりました。65歳でした。

「目ざめよ!」誌: スタンはどんな治療を受けたのですか。

エセル: 「腰にガンがあると初めて診断されたのは1985年の1月のことでした。それから間もなく肺にも,目にも,脳にも腫瘍のあることが分かりました。肺のほうは化学療法で,他の部位は一連の放射線療法で治療を受けました。しばらくは快方に向かっているように見えたので,旅行の計画を立てていたのですが,ある日,食べたものをすっかり吐いてしまいました。それでガンが再発したことが分かりました。そのときから,もう助からないということはふたりとも薄々感じていました」。

「目ざめよ!」誌: その事実におふたりはどう対応されましたか。

エセル: 「私たちはその事態についてひるまずに話し合い,スタンは現実に立ち向かいました。実際,私はスタンの態度に助けられて現実に対応することができました。

「私はめそめそするタイプではないので,主人の前で泣きくずれないように気を張っていました。でも思い出します。ある日,主人が泣いているのを目にし,私もたまらなくなりました。私は主人に,『もし泣きたい気持ちなら一緒に泣いて気を晴らしましょう』と言って一緒に泣きました。でも,それで気持ちが大分楽になったと思います。そのあと主人は弱々しい笑顔を見せましたが,気分は落ち着きました。

「もう一つの重要な要素は,聖書が与える復活の希望でした。そのことについては何度も語り合いました。主人は,『しばらくの間眠っているだけなんだ。地球全体が新しい体制になったらまた戻ってくるさ』と言うのが常でした。私たちは信仰があったので大分違いました」。

ガンと信仰

ガンとの闘いは極めて個人的なものなので,強い信仰は助けになります。神と意思を通わせる方法である祈りには,気持ちを静める大きな力があります。「何事も思い煩ってはなりません。ただ,事ごとに祈りと祈願をし,感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい。そうすれば,一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくださるのです」と,聖書が述べているとおりです。―フィリピ 4:6,7。

成就した聖書預言からすると,神は「彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」と言える時が近づいています。確かに神の王国の支配下では,ガンも他のすべての疫病と共に除き去られます。その時は近づいています。―啓示 21:3,4。ルカ 21:29-33。

[25ページの囲み記事]

ガン患者が行なうべき積極的な自助

1. 病気を否定する気持ちに支配されないようにする。現実的になって問題に立ち向かう。そうすれば持ち時間を最も有効に活用できる。

2. 何かを成し遂げたいなら,そのための実行可能な計画もしくは目標を立てる。生活の目標を失わないようにする。無意味な生活は空虚なもの。そのような生活を送る必要はない。それは患者次第。

3. 可能な限り活動的な状態を保つ。身体的に限界があっても,知的生活が終わったわけではない。時期でもないのに思い切ることはない。読むこと,書くこと,絵を描くこと,学ぶことなどによっていつも頭を働かせる。新しい計画を立てるのもよい。

4. 積極的な態度を培う。そうすれば知力を賢明に用いることができる。自己憐憫は自己中心的で自滅的。ほかの人のために何ができるかを考える。友人や身内の人は患者の積極的な態度によって強められる。

5. ユーモアのセンスと自分自身を笑える能力をなくさないようにする。バラのとげだけを見ずに花を見る。ほかの人たちと同じように死ぬということだけを考えるのではなく,生きているという事実を感謝する。

[24ページの図版]

医療関係者,家族,友人たちはみな支えになれる

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