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  • うそをつくのはそれほど悪いことなのだろうか
  • 目ざめよ! 1987
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目ざめよ! 1987
目87 10/8 19–21ページ

若い人は尋ねる…

うそをつくのはそれほど悪いことなのだろうか

ミシェルは,大事な骨董品を自分が壊したことを両親が知れば腹を立てることは分かっていました。でも,罰や厳しい説教を受ける気持ちにはなれませんでした。そこで両親の怒りをかわす簡単な方法を見つけ,弟が壊したのだと言いました。

十代の若者の中には,状況によってはうそをついてもかまわないと考える人が少なくありません。犯罪行為を防止するため,罪のない人を保護するため,あるいは命を守るためなら,うそをつくだろうと言う人もいます。しかし,実生活の中でそのような状況が生まれることはめったになく,ミシェルと同じような理由でうそをつく場合のほうがはるかに多いのです。つまり罰を免れるため,または気まずい状況から逃れるためです。

ドナルドは,自分の部屋を片づけた,と母親に言いました。でも実際には,物を全部ベッドの下に投げ込んだだけでした。同じような方法でリチャードは,自分が落第点を取ったのは勉強をしなかったからではなく,『先生とそりが合わなかったからだ』と両親に言いました。これほど納得のいかない説明があるでしょうか。

それでもあなたは,こうしたうそは悪意のないうそだから何の害にもならない,と考えるかもしれません。『罪のないうそにどんな害があるというのだ』と言うかもしれません。しかも辞典では,罪のないうそが,「上品な,あるいは無害なうそ」と定義されているので,罪のないうそをつくことは,それほど悪いとは思えないかもしれません。

「うそをつくのは重要なこと」という本の中では,人がうそをつくさらに別の理由を挙げた,H・L・メンケンの言葉が引用されています。「真実というものの辛いところは,真実は概して快く聞こえるものではなく,また大抵退屈なものだということである。人間の思いは何かもっと面白いもの,当たりの柔らかいものを求めるところがある」。ですから,人々が本当は真実を聞くことを望まず,むしろ「耳をくすぐるような話をしてもらう」ことを好んでも,驚くには当たりません。(テモテ第二 4:3)かつて生存した人の中で最大の教師であったイエス・キリストは,それが事実であることに気づかれました。ですから,「わたしが真実を話しているなら,あなた方がわたしのことばを信じないのはどうしてですか」と当時の人々に言われました。(ヨハネ 8:46)受けの悪い真実よりも,快く聞こえるうそをつく誘惑に駆られることも,時にはあるものです。

しかし,うそが魅惑的に思えたり,ささいな事柄に関するものであったり,善意から出たものでさえあったりすれば,うそは正しいことになるでしょうか。

うそに関する神の見方

うそをつく傾向が人間にあることは,聖書時代にも注目されていました。詩編作者は,「彼らは互いに虚偽を語り,滑らかな唇で,実に二心をもって語りつづけます」と言いました。その虚偽の背後には利己心が潜んでいました。「我々は舌で打ち勝つのだ。唇は我々と共にある。だれが我々の主人となりえよう」と彼らは言いました。しかし,虚言を弄する彼らの行為を神がどうご覧になったかに注目してください。こう記されています。「エホバはすべての滑らかな唇を,大いなることを話す舌を切り断たれます」。―詩編 12:2-4。

そうです,昔も今も,「偽りの舌」は「エホバの憎まれる」ものの一つです。(箴言 6:16,17)結局のところ,「偽りの父」は悪魔サタン自身です。(ヨハネ 8:44)しかし興味深いことに,聖書はうそと“罪のないうそ”との間に区別を設けていません。「偽りが真理から出ることはない」と述べているだけです。(ヨハネ第一 2:21)ですから,「ねじくれた人はエホバにとって忌むべきものであり,神の親密さは廉直な者たちと共にある」のです。(箴言 3:32)そうです,エホバが不正直な者と親しい関係をお持ちになることは決してありません。

したがって神を恐れる若者は,どんな種類のうそも,受け入れられるものとみなすことはできません。タイロンという名の若者は,「それは正誤テストのようなもので,正しいか間違いかのどちらかだ」と言いましたが,その通りです。

うそをつくことはなぜ有害か

それにしても,うそをつくのはなぜそれほど悪いことなのでしょうか。うそをつけば罰を受けなくてすむのではありませんか。そうかもしれません。しかし,うそが発覚したらどうなりますか。その場合は罰が延期されただけのことになります。また,アンドレという青年は,「ある人の言ったことが後になってうそだと分かると,非常に腹が立つ」と言いました。確かにうそは人の怒りをかき立て,憤りを買います。そして親に対してうそをついた場合は,相当に厳しい懲らしめを受ける結果になるかもしれません。

「偽りの舌によって宝を得るのは……吹き払われる呼気である」と,聖書が述べているのも不思議ではありません。(箴言 21:6)言い換えれば,うそをついて何らかの益を得たところで,それは霧のようにすぐに消え去るということです。

うそをつくこととあなたの良心

うそをつくと,当人にも害があります。(冒頭で述べた)ミシェルは,骨董品を壊したのは弟だということを,なんとか両親に納得させました。でもあとで,両親に自分の悪行を告白しないではいられない気持ちになりました。「ほとんどいつも,気持ちの悪い思いをしました。両親はわたしを信じていてくれたのに,わたしは両親の信頼に背いたのです」と,ミシェルは説明しました。

ミシェルが味わった後ろめたさは,使徒パウロが述べた原則を示すよい例です。パウロはローマ 2章14節と15節の中で,神が人間のうちに良心という機能を備えられたことを述べています。そしてこの機能がどのように働くかを説明し,「その良心が彼らと共に証しをし,自らの考えの間で,あるいはとがめられ,あるいは釈明されさえしているのです」と述べています。ミシェルの場合,彼女の良心が,うそをつくのは正しくないということを「証し」し,『彼女をとがめ』,罪悪感で彼女を苦しめたのです。

もちろん,人は自分の良心を無視して無感覚にすることができます。例えば,「青年期」という雑誌に載ったある記事によると,十代前半の若者たちは,うそをつくのは悪いことと見る傾向があります。しかし大きくなるにつれて,その見方は硬化します。「時によってはうそをつくのも悪いことではないと見る子供は,12歳の年齢層よりも15歳の年齢層の子供たちのほうに多い」と,同記事は述べています。うそをつくことが多くなればなるほど,『その人の良心に焼き金によるような印を付けられる』危険は大きくなるようです。―テモテ第一 4:2。

「正直な良心」を培う

それとは対照的に,使徒パウロは自分自身と仲間の者たちに関して,「わたしたちは正直な良心を抱いていると信じています」と言うことができました。(ヘブライ 13:18)パウロの良心は,うそをつくことや,半面の真理しか含まない言葉を口にするのを許しませんでした。あなたの良心も同じように,虚偽に対して敏感ですか。もし敏感でなければ,聖書や聖書に基づく文書,例えば本誌や姉妹誌の「ものみの塔」などの研究によって,良心を訓練してください。

ボビーという名の若者はそのようにして良い結果を得ました。これらの出版物は時々,ボビーの抱えている問題を扱ってきました。ボビーは,うそをクモの巣のように張りめぐらして問題をおおい隠したりせず,むしろ良心に促されて両親に近づき,問題について正直に話し合いました。時にはそのために懲らしめを受ける結果にもなりましたが,それでも,正直に話したために『内心,気持ちがいい』と,彼は言います。

ある若者が言ったように,「もし本当のことを話せば,両親が苦しむ」こともあるかもしれません。それでも両親は,子供が真実を話してくれたことに対して敬意を払うでしょう。また本当のことを話せば,子供は自分が成長していて,自分の行動に責任を持つべきことを自覚している証拠を両親に示すことにもなります。

正直な良心を培う上でもう一つ助けになるのは,友達を注意深く選ぶことです。箴言 13章20節には,「賢い者たちと共に歩んでいる者は賢くなり,愚鈍な者たちと交渉を持つ者は苦しい目に遭う」とあります。ボビーはこう見ています。「一緒になってうそをつくような友達は,こちらを問題に巻き込む。そういう友達は信頼できる友達ではない」。ですから,「わたしは不真実な者たちと共に座りませんでした」と言った詩編作者は賢明でした。(詩編 26:4)神が備えた規準を尊ぶ友達を見つけることに努めてください。

最後に,もしうそをつく誘惑に駆られたら,エホバ神がご自分の友のために設けられた規準を思い出してください。詩編作者は,「エホバよ,だれがあなたの天幕の客となるのでしょうか」と尋ね,「それは……その心に真実を語る人です」と述べました。(詩編 15:1,2)神と関係を持つことがいかに大きな特権であるかを考えることは,正直であるように人を動かします。

真実を語るのは,必ずしも易しいことではありません。マークという名の若者が言ったように,「一つのグループの者たちがみなうそをつくのに,自分は真実を語らねばならない」という状況に置かれることだってあります。それでも真実を告げる決意をする人は,正しい良心,真の友との良い関係,そして何よりも創造者との良い関係を保てます。スティーブンという青年は,問題をうまく要約してこう言っています。「人がうそをつくからといって,自分もそうしなければならないということはない」。

[20ページの拡大文]

うそは多くの場合納得させる力がない。うそをつけば発覚するまで罰が遅れるだけのことかもしれない

[21ページの図版]

誤りを告白するのは易しいことではないが,親はあなたの正直さに対して敬意を払う

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