ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目88 12/22 3–5ページ
  • 教会は政治に関与すべきか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 教会は政治に関与すべきか
  • 目ざめよ! 1988
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 教会の役割?
  • 新しい神学
  • それは教会を分裂させている
  • 解放の神学は効を奏するか
  • 解放の神学 ― 第三世界が抱える問題の解決策となるか
    目ざめよ! 1987
  • 第三世界のカトリック教会 ― どれほど安定しているか
    目ざめよ! 1987
  • 解放の神学 ― 貧しい人たちの助けになるだろうか
    目ざめよ! 1987
  • 誠実なカトリック教徒のジレンマ
    目ざめよ! 1987
もっと見る
目ざめよ! 1988
目88 12/22 3–5ページ

教会は政治に関与すべきか

ブラジルの「目ざめよ!」通信員

その少年は背が高く,やせこけています。ここしばらく風呂に入っていないことは,一目で分かります。靴磨きを仕事にし,客を探しているところです。待ち合い室で,だれかが手作りのケーキを一つ差し出しました。少年は汚れた手でそれをつかむと,何も言わず床に座ってむさぼるように食べ始めました。するとほかの子供たちが現われ,銘々がケーキのかけらを求め,ケーキはすぐになくなってしまいました。

世界各地の大都市では,そういう哀れな光景がよく見かけられます。そこでは,家がなく,街路で生活し街路で死ぬ人々が毎日跡を絶ちません。バラック地区やスラム街では,母親が幼い子供たちのために苦闘し,飢えに苦しんでいます。それでも,米国のリンドン・B・ジョンソン元大統領がかつて語ったとおり,「極貧の人々は発言力のない少数派であるがゆえに,近代政治学の算数からすれば,見過ごされやすくなる」のです。

しかしやはり,おなかをすかした子供たちを実際に見ると,『遺棄されたこの子たちは皆,どうなるのだろう。苦しんでいる人々はいつか援助を受けられるのだろうか』と考えさせられます。

教会の役割?

読者は,貧困,住宅,保健といった問題に関心を持っておられることでしょう。では,『自分の属している教会は,社会改革運動を行なうべきだろうか』と,お考えになったことがありますか。

『行なうべきだ。教会は自らの影響力を用いて世の中をより良くする義務がある』と言いたい気持ちになられるかもしれません。それとも,ブラジルの法務大臣パウロ・ブロッサードの述べた,「世俗的な事は国が解決し,霊的な事は教会が解決する」という言葉に共鳴されるでしょうか。

名目上のカトリック教徒がほかのどの国よりも多いブラジルでは,今や司教たちが社会問題に関して遠慮なく発言しています。例えば,ラテン・アメリカ・デーリー・ポスト紙はこう述べています。「ブラジルの教会は,土地を持っていない人々のための闘士としての性格をいよいよ強くしており,これは教会が少数独裁者[支配階級]の側を支持していた時代からの歴史的な転向と言える」。

新しい神学

多くのカトリック僧職者のこの転向,すなわち心変わりの結果,急進的な新しい神学が登場することになりました。ブラジルの新聞によると,「解放の神学とは,ブラジルの司祭たちの間に広まっている一つの運動を指しており,それらの司祭たちは,貧困や抑圧と闘う革命分子を教会として支援することに賛成」しています。

この代替神学は,イエスは解放者だったとし,『キリスト教の主要な使命には貧しい人々を政治目的に動員することも含まれる,という基本的な考え』を唱道しています。そのため解放の神学は,貧しい人々が常に言いなりになることを勧められてきた世界において行動に出ることを正当化します。

行動主義者のフランシス・オゴルマンはこう説明します。「変化が生じなければならない。世界の3分の2の人々は自己の権利を認めてもらえないことが原因で貧困に苦しんでいるのだから,社会はどこかが間違っている。すべての人を養うに足りる資源はあるのに,金持ちはいよいよ金持ちになり,貧乏人はますます貧乏になっている」。

それは教会を分裂させている

解放の神学はカトリック教会をひどく分裂させています。例えば,法王ヨハネ・パウロ2世は,司祭たちがその神学に関係することを公然と非難してきました。同法王はこう語りました。「キリストを政界の人物,革命家と考えること,ナザレ出身の破壊活動分子とみなすことは,教会の教理と一致しない」。事実,法王は,中南米諸国のカトリック教会が急進勢力に操られてしまうことを恐れ,行動主義者の運動を抑えようとしています。

最近,法王はブラジルの神学者レオナルド・ボフによる解放神学の唱道を阻止しました。興味深いことに,教会には政治に関与してきた長い歴史があるため,カトリックの高位僧職者たちは法王と同様,解放の神学を支持する人たちが政治に関与することを批判しているのではありません。解放の神学が共産主義思想に類似していることに異議を唱えているのです。

ブラジルのビセンテ・シェーラー枢機卿は,共産主義者は「侵入し支配するためにかつて用いたのとは違う戦術を用いている。野蛮な方法の代わりに……教会内の党派を自分たちの主義・主張に引きつけようとしている。そして遺憾ながら,それら党派を共産主義の普及活動に加わらせることにまんまと成功している」と言明しました。

ブラジル,サルバドルのカトリック司教,ボアベントゥラ・クロッペンブルグは,解放の神学の支持者についてこう語りました。「彼らは,福音書を読み直し,教理と歴史の解釈をし直し,典礼を通俗化し,人々が問題なく革命行動を起こせるようにするという意味で道徳面での良心の壁を除去したいと思っている」。

教会指導者たちの間にそれほど大きな意見の対立があるのですから,誠実なカトリック教徒が彼らに従うことを難しく感じるのも不思議ではありません。

解放の神学は効を奏するか

解放の神学を支持する人たちは物事を善意で行なっているかもしれませんが,必要とされる改革はそう簡単に成し遂げられるものではありません。社会の複雑さや人の生まれつきの利己心を見れば,たとえ変革が成し遂げられたとしても問題は解決されないことが分かります。ハリファックス伯が書いたとおり,「人々は,自分たちの自由を求めて闘う場合,勝利によって何かを獲得することはめったになく,ただ新たな主君に支配されるだけ」なのです。

次のように自問してみてください。解放の神学のような運動を信じている人たちは,自分たちがどこへ導かれているかを知っているのでしょうか。イエスは,「それで,盲人が盲人を案内するなら,二人とも穴に落ち込むのです」と述べて,盲目的に突き進むことについて警告なさいました。―マタイ 15:14。

では読者は,第三世界に住む貧しい人々の窮状について,その現実と,どうすれば解決できるのかをはっきりとご存じですか。神は貧困や抑圧の問題をご覧になっているのでしょうか。それについて何かを行なわれるでしょうか。

[4ページの拡大文]

「人々は,自分たちの自由を求めて闘う場合,勝利によって何かを獲得することはめったになく,ただ新たな主君に支配されるだけ」

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする