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  • インドの聖なるガンガー ― 崇拝者が多いのはなぜか
  • 目ざめよ! 1989
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目ざめよ! 1989
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インドの聖なるガンガー ― 崇拝者が多いのはなぜか

インドの「目ざめよ!」通信員

ガンジス川。インドではガンガーとして知られるこの川は,ヒンズー教徒が歴史を通じて世界最高の聖なる川としてあがめてきた川です。幾世紀にもわたり,幾百万という崇拝者たちが,この川岸に集まってきました。人々はなぜやって来るのでしょうか。何を求めて来るのでしょうか。ガンジス川を概観したこの記事は,その答えを得るための助けとなるでしょう。

ヒマラヤ山麓の丘陵地帯に程近い聖都ハルドワールで,きらびやかな白いメルセデス・ベンツが,曲がりくねった狭い道を走ってゆきます。自転車に引かれた人力車,小型の二輪馬車タンガ,スクーター,歩行者などを注意深く追い抜いてから,車は町外れに近い,とある地点で止まります。そこからはガンガーを見下ろすことができます。

ガンジス川の下流はひどく汚染されていますが,ここハルドワールでは,山々の間を縫って流れ下って来たばかりの青緑色の水が目を楽しませてくれます。しかし,その車がここまでやって来たのは,単なる観光のためではありません。

車のドアが開くと,見るからに教育のありそうな,現代的なインド人の家族が姿を現わします。深紅のサリーを整えている母親の金の腕輪と首飾りが,日の光を浴びてきらきら輝きます。父親は車に鍵をかけてから子供たちを集めます。子供たちは皆,流行のジーンズとスポーツシャツといういで立ちです。単なる外見からすると,裕福で,貧しい人たちを悩ましている心配事などは全くないように思えます。それでもこの家族は,自分たちよりはるかに質素な背景を持つ人々と同じように,女神ガンガーの力の恩恵にあずかろうと,その神を崇拝するためにやって来たのです。

彼らは,ハリ・キ・パウリという沐浴場に通じる聖なる階段の近くで靴を脱ぎ,それから階段を降りて川に向かいます。と思う間もなく,色とりどりのサリーや民族衣装を身に着けた群衆に紛れて姿が見えなくなります。どんな日であろうと,インド国民の典型と言える人たちが,富んだ人も貧しい人も,ガンガーの川岸にやって来ます。人々は基本的な霊的必要に促されて引き寄せられているのです。霊的必要に相当するものは世界のどこにでも見られます。

神聖な儀式と,恐れを知らない専心

沐浴場では,祭司たちが意気込んで巡礼者たちを待ち受け,ガンガー・プージャー(崇拝)の儀式を行なうのを助けます。巡礼者が花と詠唱による祈りをささげると,祭司は崇拝者たちの額に赤か黄色の糊状の印,つまりティラックを付けます。それから,恐れを知らない専心が際立った仕方で示されます。

11月の冷たい激流も巡礼者たちを思いとどまらせることはありません。老いも若きも勇ましく,肌を刺すような冷たい川に入ります。彼らは生涯に一度しか訪れないであろうこの機会を味わいながら,ガンガーの水に体がしびれることを良しとします。幼い子供たちでさえ,注意深い両親の腕に抱かれて水の中につかります。沐浴者たちは寒さに震えながら,しかし満足そうに水から上がり,太陽神スーリヤの前で体を暖めます。それから,ハルドワールにある数多くの神殿のうちの幾つかを訪ねます。あるいは,26㌔上流のリシケシュに向かうこともあります。そこには,何十もの修行所がガンガーの川岸に沿って立ち並び,外国人たちがめい想とヨガの研究のために集まっています。

巡礼者たちは特別礼拝に間に合うよう,日暮れまでに沐浴場に戻ります。家族連れや夫婦が,緑の葉で作られた頑丈な小さい舟を携えてやって来ます。その中には華やかなキンセンカ,香りのよいバラの花びら,灯心の付いた小さな粘土のコップが詰まっています。一組の若い夫婦が履物を脱ぎ,共に祈ってからその灯心をともし,それから激流の川に小舟をそっと下ろします。多くの新婚のカップルと同様,この夫婦も,健康な息子が授かるようガンガーの祝福を祈り求めたのかもしれません。他の人たちも,祈願をささげた後,それぞれの小舟を川に放ちます。まもなく,小刻みに揺れ動く一塊の明かりが水面にあふれたかと思うと,強い流れによってすばやく下流に運び去られてしまいます。

夜のしじまは突如として神殿の鐘のけたたましい音で破られます。耳をろうするばかりのその響きは数分続き,その間に祭司たちは,火をともした明かりを川のほとりで振りながらガンガーへの賛美を詠唱します。こうして,崇拝と専心の1日がまた終わるのです。

「あなたの母の乳房から飲む」

ガンガーが数ある川の中でも類例のない存在であることは確かですが,それはこの川の物理的な特性のためではありません。世界にはこれよりも長い川が30近くあり,インドの国内にも,ブラマプトラ川とインダス川という,はるかに長い川があります。にもかかわらず,氷河から控えめに流れ始めて,最後にはベンガル湾にとうとうと流れ込むガンガーは,その全長2,700㌔のどの箇所でも崇拝されています。この国に住む8億人の3分の1はガンガー流域に住み,食物,水,かんがいなど,物質的な面でこの川を頼りにしています。ガンガーは他のどんな川にもまさって,インドの象徴的存在なのです。

ですから,ヒンズー教徒にとってガンガーは,ガンガー・マ,つまり母なるガンジスです。この川は,霊的にも物質的にも自分の子供たちを養い清める忠実な母とみなされています。そのため,インドの詩人トゥルシーダースは,ガンガーをブクティ・ムクティ・ダイニ,すなわち救いと物質的楽しみの与え主と描写しました。ガンガーから飲むことは「あなたの母の乳房から飲むようなもの」と,一人の帰依者は述べました。この感じ方には,川と崇拝者の密接な関係が反映されています。この結び付きが大変強かったために,巡礼者はこれまで何年も,その水の中で故意におぼれて“命の犠牲”をささげることをいといませんでした。

理想とされるこの状況は今日,新たな性格と色彩を帯びるようになりました。ガンガーは繁栄する諸都市の間を縫うようにして通るので,絶え間なく流れ込む下水や化学薬品を飲み込んでいます。一人の土木技師はその事態を嘆いて,「貧しい人々は川に簡単に排便し,金持ちは川に産業廃棄物を捨て,宗教家は川に死体を投げ込む」と論評しました。毎日この川に投げ込まれる死体は少なくとも1万体と推定されています。にもかかわらず,バラナシ(バナラス)市では毎日,沐浴者たちが,近くの火葬場から出る廃物が浮いていることなど気にも留めず,すでに暗褐色になった川の中で意気揚々と水浴びの儀式を行ないます。彼らは確信を込めてアチャマンを実行します。つまり太陽崇拝の一部としてガンガーの水を少量飲み込むのです。

ガンガーのそばに住む一科学者は,「私は死ぬまで神聖な水浴びを続けるつもりである。しかしアチャマンを行なうたびに……心の中に大変な葛藤が生じる」と語りました。インドのある雑誌はこの陳述について論評し,次のように述べました。「科学者として,ミシュラ教授は飲み込んでいる水が汚染されていることを知っている。それでもマハント・ベエルバドラ・ミシュラはガンガーの聖水をすすらずにはいられない。ヒンズー教徒がガンガーに対して抱く気持ちをこれ以上よく示す例はないであろう」。

ヒンズー教の崇拝者たちがガンガーにこれほどの専心の念を抱いているのはなぜでしょうか。この川の伝説上の起源と,その水にあると信じられている力にまつわる神話を知らない人は,このような専心の念に当惑を覚えるかもしれません。まさにここに,ガンガーが人々の心をとらえている神秘的な力の秘密があるのです。

天から下る ― なぜ

ヒンズー教のすべての男神や女神の物語と同じように,ガンガーの伝説も入念に作り上げられています。ごく詳細な点には違いがありますが,簡単に言うとその物語は次のようなものです。

サガラ王には6万人の息子がいましたが,彼らは賢人カピラに殺されました。彼らの魂は,女神ガンガーが天から下って彼らを清め,呪いから解放しない限り,永久に地をさまようという刑を宣告されました。別の王バギーラタが贖罪を行なったため,ガンガーは地に下り,シバ神の髪の毛,すなわち雪をいただいたヒマラヤの峰々によって受け止められました。そこからガンガーは海に突進し,彼女の水はサガラ王の6万人の息子を清め,パラダイスに連れ戻しました。

幾世紀にもわたり,幾百万もの人々がガンガーを訪れ,ガンガーを崇拝してきたのはなぜか。その答えがここに示されています。ガンガーの崇拝者たちによれば,ガンガーは解放,浄化,清め,いやしの力を持っています。ヒンズー教の古文書ブラフマンダプラナはこう述べています。「ガンガーの清い流れの中で,敬虔な思いでひとたび沐浴すれば,その人もその部族も,ガンガーの力により無数の危険から守られる。幾世代の間に積み重なった悪は破壊される。ただガンガーで沐浴すれば,人はたちまち浄化される」。さらに,ガンガーの水を飲むことによって不滅性が得られる,とその文書は述べています。ガンガーで死に,ガンガーの川岸で火葬に付され,その灰をガンガーに投げ込んでもらえば,とこしえの祝福に至ると考えられています。不滅であると多くの人から信じられている魂は,再生の循環から解放され,その結果,神の本質そのものと合体して,最後には安息を得ると言われているのです。

すべての国の民がいやされる時は近い

霊的に清められることと,苦しみからの解放を願う気持ちは,どこに住んでいようと人間の基本的な願いのようです。世界の他の地域では,そのような救い,すなわちムクティ(涅槃)は別の方法で探究されています。許しを得るため,司祭のような仲裁者に罪を告白し,求められている贖罪を行なう人もいるでしょう。あるいは,祈り,神聖な書物を読むこと,犠牲,贈り物や施しをすること,自己否定などを通して過ちから清めてもらい,死後の祝福をいただけると考えている人もいます。しかし,このように相反する考えがある中で,罪と死からの解放を見いだすための確かな方法がありますか。

興味深いことに,古代の神聖な文書の一つである聖書も,ある川と関連した,人類の霊的な清めといやしに言及しています。預言者であり著述家であったヨハネは,神のみ座から流れ出る「命の水の川」の幻を見ました。その川岸には,沐浴者の代わりに,「諸国民をいやすための」果樹がたくさんありました。―啓示 22:1,2。

聖書はここで,とこしえに続く,罪と死からの自由を人類に与え,永遠の命を備えるための創造者による驚くべき備えについて象徴的に語っています。ガンガーの水で沐浴した大勢の人々は,ガンガーを一度も見たことのない幾百万もの人々と共に,この備えのもとで罪から清められ,死から解放される機会にあずかるでしょう。その時は非常に近いのです。a

[脚注]

a 「死に対する勝利 ― それはあなたにも可能なことですか」という小冊子[英文]をご覧ください。この小冊子は本誌の発行者から求めることができます。

[15ページの図版]

あらゆる種類の人々が,多くの神殿や寺院に囲まれた所で,ガンガーでの沐浴を行なうためにやって来る

[15ページの図版]

ガンジスの川べりで,ガンガー・プージャー,つまり崇拝の儀式を行なう婦人を助ける祭司

[16ページの図版]

ハルドワールの数ある神殿の一つにある,ヒンズー教の男神や女神を祭る万神殿

[17ページの図版]

ガンガーに葉の舟を放つ用意をしている若い女性

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