チップ ― 今日の電子工学における基本要素
香りのよい朝のコーヒーをいれてくれるデジタル式のコーヒー・メーカー。鉛筆で計算する手間を省いてくれるポケット電卓。最新式の自動車のダッシュボードを飾る色とりどりの表示。これらにはみな一つの共通点があります。それらは,赤ちゃんの親指のつめほどもない,ウエハースのようなシリコンチップを使うことによって可能になったのです。
こうしたチップは,腕時計,テレビ,電話,電気器具や他のいろいろな道具など,あなたが所有しているかもしれない他の多くの物にも見られます。電子工学における驚異と言えるこの小さな宝石は,家庭で使われるありふれた日用品から最高機密の軍事的応用に至る様々な分野で利用されており,世界中の人々の生き方や働き方を変える点で大きな役割を果たしています。しかし,シリコンチップとは何でしょうか。それはどのようないきさつを経て出現したのですか。また,日常生活にどうかかわってきたのでしょう。
チップとは何か
シリコンチップとは基本的に言って,小さな電子回路が集まったものです。電子回路はこの記事の中の文に例えることができます。文はみな,名詞,動詞,形容詞といった標準的な構成要素からできています。これらの構成要素を様々な形に並べることによって,文は陳述,疑問文,さらには詩にもなります。そして,文を論理的に組み合わせると,会話や文書が出来上がります。
電子回路もこれとよく似ています。トランジスタ,ダイオード,抵抗器といった標準的な電子部品を様々な形に並べることにより,多くの機能を持つ電子回路を作りだすことができます。次に,そうした回路が無数にあれば,あらゆる種類の有用な電子工学的機能を果たすよう結合させることができます。これは,少なくとも理論的には可能です。
しかし実際には,幾十万もの電子部品を結合させるのは膨大な仕事です。ましてや,それらの電子部品を収容するためにはかなり広い場所が求められます。1940年代後半,第一世代のコンピューターを組み立てた科学者たちの前に立ちはだかったのはまさにこの問題でした。フィラデルフィアにある,ENIAC(電子計算機)として知られるそうしたコンピューターの一つは,140平方㍍の床面積を占め,重さが30㌧ほどあり,約1万9,000本の真空管が使用されました。この巨大な機械を動かすには,100㍗の白熱電球1,300個分のエネルギーが必要でした。それが電気を大量に消費することから,幾つかのおもしろい逸話が生まれました。ENIACのスイッチが入ると,ウエスト・フィラデルフィアのすべての電灯が暗くなると言われました。
ENIAC級のコンピューターの能力は,今日の世代のコンピューターと比べると,その大きさの割には極めてお粗末です。今日のデスクトップ・コンピューターが1秒間に幾百万回もの演算を行なえるのに対し,ENIACは1秒間にかろうじて5,000回ほどの足し算か300回の掛け算を行なえたにすぎませんでした。また,今日では数万円のコンピューターでも10万個以上の数字を記憶できる内部記憶装置を備えていますが,初期のもう一つの巨大コンピューターであるEDVACは1,024個の数字しか記憶することができませんでした。今日のコンピューターの性能がこれほど向上したのはなぜでしょうか。
1960年代の初期に,小型で効率のよいトランジスタが出現し,コンピューターの研究者たちはついに,動きが遅く,電力を大量に消費する巨大なコンピューターの大きさを切り詰めることができました。しかし,今日のコンピューターができるまでには,別の面での進歩が必要でした。その進歩は,写真の分野からもたらされることになりました。
小型化とチップ
ご存じのように,写真はふさわしい装置を使うことにより,必要に合わせて引き伸ばしたり縮小したりすることができます。最近では,技術が進歩したおかげで,コンピューター技師は,コンピューター回路の大きな設計図を写真技術によって極めて小さなサイズに縮小することができます。それらの設計図は大都市の市街地図のように複雑であっても,縮小すると,コンタクトレンズよりも小さなチップの上に収まります。写真が焼きつけられるのは,普通の印画紙の上ではなく,地上で最も豊富にある元素の一つで,普通の砂の中に含まれる純粋のシリコン(ケイ素)でできたウエハーの上です。
シリコンはその特性ゆえに,チップを作るのに好都合です。例えば,様々な種類の不純物を加えることによって,シリコンに抵抗器やコンデンサー,さらにはトランジスタのような働きをさせることさえできます。したがって,1枚のシリコンチップの特定の部分にそうした不純物を添加すれば,チップの上に電子回路全体を複製することができます。
溶解させて不純物を取り除いた砂からシリコンの結晶が形成され,ついにはサラミソーセージのような長い円柱状になります。次に,シリコンの結晶は薄いウエハーにスライスされて,特別なコーティングが施されます。そして,大きな電子回路の小さな像がウエハーの上に幾層にもわたってエッチングされ,不純物がふさわしい場所に添加されます。最後にチップの上に残るのは,単なる絵ではなく,実際に機能する電子回路です。これは集積回路,略してICと呼ばれています。
1960年代に作られた集積回路には,100ほどの電子部品が含まれていました。技師たちはこれにより,研究所や他の施設が用いる,スーツケース大の“小さな”コンピューターを作ることができました。1970年代後半には,10万以上の電子部品を含むLSI(大規模集積回路)チップが作られました。この種のチップは非常に複雑なので,一つのチップだけで理論的には,電子レンジを作動させたり,車を走らせたりするような完全なコンピューターの機能を果たすことができます。今日,コンピューターの研究者たちは,幾百万もの電子部品を含むVLSI(超大規模集積回路)チップについて語っています。想像してみてください。ほぼ1,600㌔平方,つまりアラスカの2倍の大きさの都市の市街地図が約6㍉平方のチップの上に収まってしまうのです。
チップとあなた
チップの使用によって,複雑な電子装置の製造に求められる退屈なハンダづけや手作業の多くが削減されます。したがって,最終製品の値段は下がり,信頼性は高まり,形状は小さくなります。大量生産により,音声合成のような特別な機能を持つチップの値段が大幅に下がったので,それらのチップは今日あらゆる種類の製品に使われています。
こうして,それらのチップは,話をするゲーム,自動販売機,車といった周囲のあらゆるものに使用されています。中には,時間や電話番号を教えてくれる電話“交換手”がシリコンからできているという国もあります。人間が話した命令を理解するチップが使われている消費財も一般化しつつあります。そうしたものの中には,巧妙なトリックにすぎないものもあるかもしれませんが,体に障害を持つ人が大いに必要としている助けを提供するものもあります。
チップはまた,工業や商業の分野でも利用されてきました。工場では,人間の代わりに退屈な仕事や,単調な仕事,また危険な仕事をするロボットをコントロールするために使われています。自動車製造の分野にはすでに大きく進出しており,溶接や塗装などの仕事を行なっています。事務所では,つづりをチェックし,書類全体を打ち直さなくても修正が可能で,自動的に宛名の印刷さえするワードプロセッサーがタイプライターに急速に取って代わりつつあります。しかし,これにはありがたくない一面もあります。ホワイトカラーの人々は,事務所の単調で骨の折れる仕事から解放されてきたかもしれませんが,その代わりにコンピューターのスクリーンにくぎづけになることが多くなっています。
一方,シリコンチップは,この時代が経験してきた通信技術の革命に著しく貢献してきました。あなたがいま読んでおられる雑誌は,コンピューターのスクリーンに書かれ,コンピューターによって植字され,コンピューターを利用して印刷されました。実際,ものみの塔協会は,コンピューターによる植字および印刷のための独自のメップス・システム(多言語電算写植システム)によって,シリコンチップを多言語に応用するこの面での先駆者となっています。シリコンチップは,ますます一般化が進み,価値も有用性も高まっている,電子工学における基本要素なのです。