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  • 家を出た親にはどう接したらよいのだろう
  • 目ざめよ! 1990
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目ざめよ! 1990
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若い人は尋ねる…

家を出た親にはどう接したらよいのだろう

「今度そっちに行くから,どこかに連れて行ってやると父が約束してくれると,母は当日に姉と私にいい服を着せ,みんなで座って父が来るのを待ちます。ずっと待ちます。時間がどんどん過ぎてゆきます。とうとう,『もう寝る時間だわ』と母が言います。私たちは泣き出し,『お父さんは来るよ。お父さんは来るよ』と言います。次の朝になっても,まだ待ちます。でも父はいません。私たちの生活はこういうことの連続のように思えることがありました」― アン。a

もしあなたもアンと同じく,両親が別れるのを見てきたなら,結婚の考案者であるエホバが離婚に強く反対しておられる理由がきっと分かるでしょう。(マラキ 2:16と比較してください。)離婚は関係者すべてを傷つけます。それは,裏切られたほうの親が聖書的な権利に基づいて相手と離婚する場合も変わりません。b

しかし,恐らくは法的な離婚により両親が最終的に別れた場合でも,両親の仲たがいによって生じ得るすべての問題が必ずしも解消するわけではありません。実際には,たいへんな難問にぶつかる場合があります。それは,家を出た親と何らかの関係を維持するかどうかを決めるという問題です。それがいかに難しいかについて,メグはこう言います。「私はぼうっとして,感情を表に出さなくなってしまいました。それでしばらくは,何の感情もわいてきませんでした。まるで父と死に別れたような感じでした」。またマイクはこんな思い出を語ります。「父が憎らしくなりました。その気持ちはかなり長く続きました。父が4人の子供のいる女性を捨てて,最少限の養育費を送るだけで逃げおおせたと考えると,腹が立ってきました」。

橋をかけてください,橋を焼いてはいけません

そのような混乱と動揺の続く人生の一時期には,どうしても片方の親に対する愛情の扉を閉めきって,怒りや苦々しい気持ちを募らせてしまいがちです。しかし,そのような憤りを育てると,人生観がゆがんでしまうかもしれません。そうした怒りにとらわれるなら,ほとんど修復がきかないほどに親とのきずなを損ない,かけ橋を焼いてしまうことにもなりかねません。

聖書は親を辱めてよいとは言っていません。(ルカ 18:20と比較してください。)専門家たちも口をそろえて,大抵の場合,親が別れた後も両方の親との関係を維持するよう努めるべきだと言います。精神科の教授ロバート・E・グールド博士はセブンティーン誌(英文)の中で,両方の親に定期的に会うなら離婚という事態に順応しやすくなるかもしれないと書きました。研究者のウォーラースタインとケリーも同様に,両親の離婚をうまく切り抜けた若者は大抵,両方の親と親しかったことを知りました。しかしどうすれば,家から出て行った親や,信頼を裏切った親と親しくなれるでしょうか。c

洞察力 ― 仲直りのかぎ

最初は自然に込み上げる怒りが邪魔をすることがあります。しかし,親をもっとよく理解することを目標にするなら,結果として生まれる洞察力が怒りを静めるのに役立つかもしれません。箴言 19章11節にあるとおりです。「人の洞察力は確かにその怒りを遅くする。違犯をゆるすのはその人の美しさである」。悪いほうの側が幾らかでも悲しみや悔い改めを示しているなら,そうするのは確かに容易になります。忘れてはいけないことですが,去った親の物の見方や性格や人間的な弱さを洞察するからといって,必ずしも悪いほうの親を大目に見たり,離婚争議でその親の味方をするということにはなりません。また,一緒に住んでいる親を裏切ることにもなりません。そのように洞察するということは,親をもっと現実的に見るということに過ぎません。

例えば,家を出て行った親からは嫌われているに違いない ― そうでなければ,どうして出て行ったのか ― と思い込む若者は少なくありません。しかし実際,仲たがいの原因になったのは結婚生活の問題であって子供ではありません。子供のほうは,捨てられたと感じるかもしれませんが,去って行った親にしてみれば,子供を捨てるつもりはなかったはずです。グールド博士が述べるとおり,「離婚前に子供を愛していた親は,離婚後も同じように子供を愛すると考えてよい」のです。

『では,めったに来ないのはどうしてだろう』と尋ねる人もいるかもしれません。来ると言っていたのに何度もすっぽかしたり,たまにしか会いに来なかったりすると,きっと会いたくないんだと思えるかもしれません。しかし,必ずしもそういうことではないのです。その親が,破局を迎える前の自分の行動で家族が非常に腹を立てていることを知っている場合もあります。もしあなたが友達の気持ちを傷つけたことがあるなら,後で顔を合わせるのがどれほどつらいか分かるはずです。箴言 18章19節にあるとおり,「立腹させられた兄弟は,防備の施された都市よりも悪いL」のです。―ヘブライ-アラム語旧約聖書行間逐語訳。

同じように親も,罪悪感のために家族と顔を合わせるのが怖いのかもしれません。また,プライドも一つの要因になり得ます。去った親にしてみれば,特に以前の結婚相手が再婚している場合は,全く顔を合わせられないということもあるでしょう。かつては“我が家”だった所が今では場違いに感じられるのかもしれません。親が子供になかなか会いに来られないのは,これらをはじめ様々な要因があるからでしょう。では,事態を改善するために何ができるでしょうか。ローマ 12章18節には,「できるなら,あなた方に関するかぎり,あらゆる人と仲良く暮らしなさい」とあります。どうすれば,そのようにできるでしょうか。

一つには,余り大きな期待を抱かないようにする必要があるかもしれません。今以上に親の時間と注意を振り向けてもらうよう期待しても,欲求不満が募り,がっかりするだけかもしれません。むしろ,一緒に過ごせる限られた時間をできるだけ楽しむようにします。

『でも,何を話したらいいんだろう』と首をかしげる人もいるかもしれません。確かに最初は,会っていても息がつまるように感じる場合があります。しかし親にしてみれば,子供について知りたいことが沢山あるに違いありません。友達のこと,学校で上達したこと,学校以外で興味を持っていることなどがそれです。また子供の側にも,質問できることがいっぱいあります。離婚した親の生活には,子供の生活と同じく,ぽっかりと大きな穴があいているはずです。ですから,箴言 20章5節に出てくる「識別力のある人」のようになって,相手の計り事という「深い水」を「くみ上げる」ようにしましょう。質問をするのです。親の新居や仕事,好きな趣味やスポーツ,友人などについて知るようにします。また,その親から受けた痛手がいえていないとしても,時がたてば穏やかにそのことを打ち明ける方法が見つかるかもしれません。

バランスを保つ

とはいえ,去った親を理想化する危険もあります。ランディーの父親はアルコール中毒で浮気者でした。何度も家を出て,ついにはランディーの母親と離婚しました。ところがランディーは,「わけがあって,実際にはその人に対して崇拝に近い気持ちを持っていました」と述懐しています。

そういう間違った礼賛は珍しいものではありません。米国の場合,親が離婚した子供の約90%までが母親と暮らし,父親に会いに行きます。そのため,しつけを含め,子供の毎日の世話は大抵母親の責任になっています。また,養育費を受け取るとしても,母親の暮らし向きは離婚前より苦しくなるのが普通ですが,父親の暮らし向きは良くなるかもしれません。その結果,父親に会うと贈り物をもらって楽しいひと時を過ごすことになるのに,母親と暮らしていると,節約しなければならず,ああしなさいとか,こうしてはいけませんなどと言われることになります。残念ながら,裕福で色々なことを許してくれる不信者の親と暮らすために,クリスチャンの親のもとを去った若者もいます。―箴言 19:4と比較してください。

もしそういう道を選びたいという気持ちに駆られるなら,自分の価値観をチェックしてみましょう。創造者は,あなたが本当に必要としているもの ― 道徳的な導きや懲らしめ ― を最も高く評価しておられるということを忘れてはいけません。親が与えることのできるもので,あなたの性格や生活の質にそれほどの影響を及ぼすものはほかにありません。懲らしめは本当の愛のしるしです。―箴言 4:13; 13:24をご覧ください。

また,親がどんなことを許してくれるにしても,正邪に関する唯一の規準をお持ちなのは創造者であることも忘れるべきではありません。トムはこう言います。「父に会うのを母から止められたことは一度もありません。でも毎週金曜日に父に会いに行くときは,いつもこう言われました。『よく覚えておきなさい。あなたはクリスチャンなの。何をするにしてもエホバはご覧になっているのよ』。そのおかげで,父に会いに行くときも,信仰をしっかり守ることができました」。

とはいえ,どんなに努力してみても,親から良く思われないことはあるでしょう。この記事の提案は,親子間の溝に橋をかける助けになるかもしれません。しかし,努力が何もかも無駄に終わったとしても,希望を捨ててはいけません。人は実際に変わります。それに,『自分に関する限り』仲良くしようとしたのですから,少なくともそのことを知って満足できます。そしてもっとすばらしいことに,そういうときにも,称賛を示す親のほほえみの温かさを感じることができるのです。エホバが箴言 27章11節でこう述べておられるとおりです。「我が子よ,賢くあって,わたしの心を歓ばせよ。わたしを嘲弄している者にわたしが返答するためである」。神の規準に従ってそれを守り,憐れみをもって親との関係を洞察するよう努めるなら,神は喜んでくださいます。それに神は,決してあなたのもとを去ることのない友,また親であられるのです。

[脚注]

a 名前は一部変えてあります。

b ものみの塔聖書冊子協会が発行した,「若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え」という本の「なぜ父と母は別れたのだろう」という章をご覧ください。

c ここで言っているのは,子供に性的な虐待やひどい身体的な虐待を加える親のことではありません。そういう場合であれば,親子が親しくするのは不可能でしょうし,得策でもないでしょう。

[23ページの図版]

一方の親から離れて,もう一方の親と一緒に過ごすのは時として試練になる

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