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目ざめよ! 1991
目91 3/22 14–17ページ

カバンゴの木彫師

ナミビアの「目ざめよ!」通信員

一体何だろう。私ははっとして身を起こしました。何かで目を覚ましたのです。心配になって,戸外のアフリカの夜空を見ました。アカシアの木の枝のすき間からきらきらと明るく輝く星しか見えません。

すぐに私は気がつきました。ほら,聞こえますか。この静けさのことです。

太鼓の音がやんでいます。アフリカの低木林から聞こえる様々な音に合わせて,夜通しタンタン,トトントンという音がバックミュージックのように鳴り響いていたのに,今はしいんと静まり返っています。最初は不気味な感じでした。そのうち,通常の夜の音が再び聞こえてきました。コオロギのコロコロ鳴く声,ブーンという蚊の羽音のほか,フルルルルー,チュップチュップ,ジージー,ブンブンといった無数の虫たちの色々な音が,熱帯の夜に音楽のモザイクを作りあげます。私はもうすっかり目が覚めてしまいました。私は横になったまま,この魅力的な太鼓のことを,また太鼓が彫られる様子を目にした時のことを考えました。

妻と私はオカバンゴ川の岸辺に止めたトレーラーハウスの中で眠っていました。私たちはルンドゥーにあるエホバの証人の会衆を訪問しているところでした。ルンドゥーは,アンゴラと国境を接するナミビア北東部のカバンゴ州にある交易の村です。低木林を進んで行く途中,私たちは露天の工作場に興味をそそられました。工作場では木彫師たちが口笛を吹きながら,忙しそうに木の幹を削ったり,そいだり,たたき切ったり,のこぎりで挽いたり,やすりをかけたりしていました。

彫刻品の中には,儀式的なダンスに使われる仮面や,病人のいるクラール(周囲に垣を巡らした南アフリカ原住民の村落)の外に“標識”として使われる仮面があります。こうした仮面は訪問者の注意を促し,悪い霊を追い払うためのものです。この仮面に魅力を感じる人は多いとはいえ,邪悪な霊と関係のあるものなので,カバンゴのクリスチャンたちはそれらを家の中に持ち込みません。ですから,こうした仮面を主な特徴として彫った品物がかなり減り,現在ではむしろ,様々な幾何学模様の装飾が施されるようになったのはうれしいことです。

使用される木はチークです。残念なことに,カバンゴではこの美しいチークがほとんどなくなってきています。チークは生長するのに50年かかるので,新しい木の植樹にもっと注意が向けられることを期待したいところです。チークには魅力的な木目があって,明暗の模様がついており,それが彫刻にうまく生かされています。適した木を選んでから,切り倒すか,根元を焼いて倒します。それから,作業小屋まで引きずって行き,そこでどんな芸術品を作るかに応じて,のこぎりで丸い切り株か平らな厚板に切ります。

森の中の製材所?

ある作業小屋で彫刻師たちが仕事をしているところを見ていると,のこぎりで滑らかに挽いた厚板が小屋の隅に何枚かあるのに気づきました。森の中には製材所も電気もないので,これらの厚板をどのようにして切ったのかを知りたいと思いました。木を削って太鼓を作っていたジョアキムに尋ねてみました。

ジョアキムはこう説明しました。「そうですね,タテクル[年長者]。それは至極簡単なことですよ。穴の上に木を渡して,ジョナスが穴の中に入って,私が上に,つまり木の上に乗るんです。ジョナスが穴の下のほうに向かってのこぎりを引くと,次に私がのこぎりを上のほうに引きます。こうして二人で引き続けます。しばらくすると木を切り終えて,厚板が出来上がります」。

「でも,それだときっと長い時間がかかって,とても疲れるでしょう」と私は言いました。

「いいえ,タテクル。そんなことはないですよ。私たちは太陽が昇れば働きますし,太陽が沈めば休みます。明日になればまた太陽が昇ります。次の日も,またその次の日も。何日でもあります。時間はたくさんあるのです。働く時間も,休む時間もあります」。

オカバンゴのタクシー

アフリカの森の中にタクシーがあるのですか。そうです。でもこのタクシーは,ニューヨーク市のタクシーやヤンゴンの輪タクとは違います。オカバンゴ川の人々は別の種類の彫刻品も作るのです。オカバンゴ川のタクシーはマワトと呼ばれています。また,もっと下流のほうではメコロと呼ばれています。これは,堅い木の幹を彫って作った丸木舟です。

オカバンゴ川は,カバンゴとアンゴラの北の境界線を成しており,上るのにも,下るのにも,渡るのにも最も楽な交通路となっています。上流のオワンボに行く場合でも,下流のボツワナに行く場合でも,アンゴラに渡る場合でも,水上タクシーのマワトは国境や人間の作った境界線に関係なく,この水上交通路を進むことができます。

しかしワト(マワトの単数形)の乗客は,川の2種類の住人に深い敬意を払わなければなりません。ワニとカバは,人間によって自然の生息地を侵害されているとはいえ,今もここに住んでおり,しかも恐れられています。かつてルンドゥーの近くで一艘のワトが転覆した時,不幸なことに,ぐずぐずしていた一人の乗客は岸にたどり着けませんでした。ワニに殺されてしまったのです。

“川の主”であるカバが,たとえ遠くからでも警告のうなり声を発すると,水上タクシーの船頭はあわてて岸辺に避難し,安全だということがはっきり分かるまでは渡りません。船頭は,ワトなど造作無く噛み砕くことのできるカバのあごの恐ろしさを知っているのです。

とはいえ,タクシーは水上交通に限られているわけではありません。ワトやモコロ(メコロの単数形)が老朽化し,水漏れが大きくなって一層危険になると,水上での勤務を退いて,地上配置のそり,またはトレーラーになります。私たちは,古い丸木舟が近くの交易店から木材や品物を山ほど積んで,カバンゴの軟らかい砂の上を雄牛やロバに引かれてのろのろと滑るように進んで行くのを数多く見かけました。

今や頼りになる1頭のロバの力を備えたこれらオカバンゴのタクシーは,何馬力もある現代の乗り物が厚い砂の中で動きが取れなくなるような土地でも,品物や食糧を運ぶことができます。古めかしいですか。多分そうでしょう。退屈ですか。そうかもしれません。遅いでしょうか。もちろん,ある人々が遅さについて考えるような意味では遅いと言えます。しかし,アフリカは時間を気にしない所です。木彫師のジョアキムが言ったとおり,『明日になればまた太陽が昇ります。何日でもあるのです』。

カバンゴの木彫師はこのような人々です。神の王国によってもたらされる平和に関する音信をこれらの人々に伝えるのは本当に大きな喜びです。(マタイ 24:14)迷信が盛んな部族が少なくないとはいえ,聖書の真理の種は根づいています。

3年前,ルンドゥー会衆にはバプテスマを受けた証人が23人いました。彼らは木の壁と,波形鉄板の低い屋根が付いた小さな王国会館に集まっていました。エホバの証人の旅行する監督であるクリストはこう述懐しています。「詰めて座っても40人で一杯になるところに,56人が公開講演を聴きにやって来ました。ここはアフリカの熱帯地方ですから,たいへん暑く,むしむしします。話をしている間に,私のシャツは汗でぐっしょりぬれてしまいました。ぎゅうぎゅう詰めの小さな王国会館の中では,うっとうしくて上着を着るどころではありませんでした」。

こうした不快な状況の中でも,関心を持って集会に出席する人の数は増え続けました。そこで,もっと大きく適した会館を建てることが急を要する問題になりました。ある地元の証人がこの目的のために快く土地を寄付しました。

ナミビアの他の地方や南アフリカの証人たちが呼びかけにこたえ応じて,会館の建設を助けるために自費でこの辺ぴな地区にやって来ました。地元の人々もこの計画に興味を示しました。一例として,若いアンビリとウィレムは証人ではありませんでしたが,快く援助を申し出ました。間もなく二人は聖書を研究し,集会に出席するようになりました。今では二人ともバプテスマを受けた証人になっています。

アンゴラからの難民でペドロという名の男性も,関心を示して建設の仕事を手伝いました。ペドロは筋金入りのカトリック教徒だったので,仕事場で証人たちと宗教に関して議論をしました。しかし後になって,『エホバの証人はどうして聖書をこれほどよく知っているのだろう』と考えました。それからペドロは行動に出るために計画を練りました。証人たちに聖書研究を申し込むのです。その後,十分な知識を得たらすぐに研究をやめて,聖書を用いて証人たちの間違いを証明するというわけです。ペドロの計画は成功したでしょうか。彼はこう述懐しています。「3回目の研究の後,私は家に帰って母親にこう言いました。『母さん,今日から私はカトリック教会の信者ではありません』」。家族は反対しましたが,ペドロは長足の進歩を遂げ,ほどなくしてカトリック教会から脱退しました。そして,1989年12月にナミビアのウィントフークで開かれたエホバの証人の「敬虔な専心」大会でバプテスマを受けました。

関心を示したほかの人々も王国会館の建設を手伝いました。「基礎のコンクリート打ちで忙しかったころの出来事を覚えています」と,旅行する監督のクリストは言います。「私たちは40人ほどで忙しく仕事をしていました。すると,少々打ち解けない様子の男性が一人いることに気づきました。私は自己紹介をして,『だれと聖書研究をしていますか』と尋ねました。若いマテウスは,『この人たちに聞いてください。みんなぼくと聖書研究をしたがらないんです。何度も援助を願い出たんですが,何もしてくれませんでした』と答えました。どうしてかと言えば,地元の証人たちはすでに多くの聖書研究を司会していたため,マテウスは順番待ちになっていたのです。しかし,私はなんとか聖書研究を取り決めることができ,マテウスも今ではバプテスマを受けた証人になっています」。

1989年7月,ルンドゥー会衆は新しい王国会館を献堂しました。この会館を使うようになってから新しく10人がバプテスマを受け,バプテスマを受けた証人の数は合計で33人になりました。バプテスマを目ざして進歩している人はほかにも大勢います。先回の旅行する監督の訪問の際には,118人が公開講演に出席しました。

カバンゴへのこの短い旅を読者の皆さんも楽しまれたことと思います。カバンゴには目を見張るような川,すばらしい森,木製のタクシーなどがあり,腕利きの木彫師もいます。ここでも,エホバの王国の音信に耳を傾け,心からこたえ応じる人々が見いだされているのです。

[16,17ページの図版]

左から右回りで:

■ 伝道者たち,古い王国会館の前で

■ ルンドゥーの新しい王国会館

■ オカバンゴ川のワニとカバ

■ 様々な仮面と彫刻品

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