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目ざめよ! 1991
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若い人は尋ねる…

学校の運動部に入るべきだろうか

「スポーツは面白いし,わくわくしました。気分がすかっとしました。若い時にいろいろ試して本当に得意なスポーツを見つけたら,やめたいとは思いません」― ロバート。

あなたもチームで行なうスポーツを楽しんでいるかもしれません。何が好きかと言えば,そのようにして体を動かすことや友情や興奮です。シュートを決めたり,ナイスキャッチをしたり,決勝点を入れたりしてみんなから声援を浴びるところを想像し,ヒーローになるのを夢見ることさえあるかもしれません。

どんな理由でスポーツに熱中するにせよ,あなたと同じように感じている若者は少なくありません。若者たちは,アメリカンフットボール,サッカー,バスケットボール,野球,ホッケーなど,チームで行なうスポーツが特に好きです。「教育ダイジェスト」誌はこう述べています。「[米国では]1986-87学年度に高校のスポーツ活動に参加した生徒たちは520万人余りに上り,過去4年間で最高の数になった。また各高校はここ10年間に新しいスポーツを導入しており,その中には女生徒のためのスポーツも少なくない」。

これほど人気がある理由

スポーツが大変な人気を集めている理由は,「若者の美しさはその力……である」と述べた,昔の賢人の言葉から分かります。(箴言 20:29)スポーツは,若い人たちのあふれんばかりの力やエネルギーのはけ口となり,気分をそう快にします。スポーツは体にも頭にも健康的な刺激を与えます。またスポーツに参加すれば,愉快で楽しい経験をすることができ,学業と放課後の雑用という決まり切った活動からひと時の解放感を味わうこともできます。

そればかりではありません。チームで行なうスポーツは人格を形成すると主張する人もいます。バーバラ・メイヤーは,「高校で生き残るための導き」という本の中でこう述べています。「トレーニングにひたすら打ち込まなければならないので,価値ある目標に向かっていかに努力すべきかを学べる。……スポーツ活動に参加するなら,リーダーになるのに役立つ」。

しかし,すべての若者がそのような高潔な動機でスポーツをしているわけではありません。栄誉,名誉,名声なども強力な動機になります。レジーの思い出によれば,「チームに入ると,グラウンドを動き回るかっこいい男の子と思われる」ということです。

聖書は,「体育には多少の価値がある」ことを認めています。(テモテ第一 4:8,今日の英語訳)それで,学校の運動部に入ることも,そういう益を得る一つの方法のように思えるかもしれません。しかし,運動部に入った場合,ともすると益よりも害のほうが大きいことに気づいた若者は少なくありません。

「良くない面」

セブンティーン誌(英文)はこう述べています。「スポーツにも良くない面がある。それは人々が,勝つことを非常に重視する場合である。勝てば,コーチは昇進やテレビ出演の機会に恵まれるかもしれない。親は子供を自慢の種にしたり,自分が勝ったかのような気持ちに浸ったりするかもしれない。選手は奨学金をもらったり,ニュースで報道されたり,クラスメートや近所の人たちからほめそやされたりするかもしれない」。

運動部に入っている人の中には,将来プロの選手になることを夢見ている人もいます。若いジェラルドはこう言いました。「市の大会や州の大会に出て,最後にはプロになることを夢見ていました。金持ちになって,いろいろな商品のコマーシャルに出て,すごく有名になって,みんなの模範になって,学校で一番かわいい女の子とデートをしている自分を思い浮かべました」。

ですから多くの学校で,生死にかかわる一大事のようにスポーツが行なわれているのも不思議ではありません。楽しむためとか,健康のためといった考えは影をひそめてしまいます。セブンティーン誌(英文)が続けて述べているとおりです。「突然,勝つことが,正直さや学業や健康や幸福など,人生の大切な要素のほとんどをわきに追いやってしまう。勝つことがすべてになり,プレッシャーがかかってくる」。

何が何でも勝つというこうした態度が広まっているため,学校のスポーツ活動で非常に多くのけがが発生しているのも不思議ではありません。試合のときに,選手やファン,場合によっては親の乱闘騒ぎが起きることもあります。また,ステロイドのような,運動能力を高める薬物が十代の選手の間でさえ広く使われるようになっています。

ですから,チームでプレーすることにはある程度の利点があるとはいえ,むやみに競争をあおる精神や,巨万の富へのあこがれ,名誉を求める自己中心的な欲求などが生じることもあるのです。明らかにこうした事柄は,『互いに競争をあおることがないように』,また,金を愛することや自分の栄光を求めることがないようにという聖書の勧めに反します。(ガラテア 5:26。箴言 25:27。テモテ第一 6:10)学校の運動部に入るなら,不健全な影響力にかなり強烈にさらされる可能性は非常に高くなります。

友達の圧力

教育者たちが,強い友情をはぐくむ機会としてスポーツをもてはやすことは珍しくありません。しかし皮肉なことに,まさにこのような機会こそクリスチャンの若者に問題を投げかけるのです。「悪い交わりは有益な習慣を損なう」と,聖書は述べています。―コリント第一 15:33。コリント第二 6:14。

率直に言って,チームの更衣室ではどのような交わりに巻き込まれる可能性があるでしょうか。ある若者は次のことを認めています。「悪態や汚い言葉が飛び交っていました。男子が話していたのは女の子のことばかりです。みんなはよくポルノ雑誌を持ってきて読んでいました」。さらに,チームの団結を図るためには,試合や練習の前後にもチームの仲間と付き合わなければならないのが普通です。

もちろん,チームの一員でありながら,時間外の付き合いを断わることも可能かもしれません。しかし,ある14歳の少女が認めているとおりです。「友達の圧力がすごく強いので,ただ練習だけやって家に帰るというわけにはいかないんです」。それで聖書は,「人はその懐に火をかき集めておいて,なおその衣を焼かれないようにすることができるだろうか」と問いかけています。(箴言 6:27)チームメートからの圧力に負けて,アルコールや麻薬が出されるパーティーに出席した若者がいました。そのようなパーティーでは,低俗な音楽が流れ,男女が節度を欠いて親しくなることは言うまでもありません。

ロバートという若者の経験を考えてみましょう。ロバートはこう言います。「運動部に入ってから非常に多くの問題が起きました。婚前交渉や麻薬や飲酒や乱痴気パーティーに巻き込もうとする圧力は,それはもう大変なものでした。そういうことが高校のスポーツと結びついているとは,とても信じられませんでした。コートの中でも外でも,仲間と全く同じように歩いたり,話したり,行動したりしなければいけないんです」。

また,運動部に入るなら,いつもの霊的な活動にどんな影響が及ぶかということも見過ごすべきではありません。(ヘブライ 10:23-25)「試合や練習がクリスチャンの集会とかち合うことがよくありました」と,若いジェラルドは述べています。

代わりとなる健全な活動

もちろん,通常のカリキュラムの一環として体育の授業が行なわれる場合,若いクリスチャンがそのような授業を受けることに普通問題はありません。それに,国や地域によって事情は異なります。しかし一般に,エホバの証人の若者たちは課外活動でのスポーツを行ないません。もちろんこれは,クリスチャンの若者がスポーツを楽しめないという意味ではありません。しかしそのためには,自分から何かの行動を起こす必要があるかもしれません。

例えば,ピクニックなどに出かける計画を親にもちかけるとよいかもしれません。そうした機会に,家族や友達と健全なスポーツを楽しむこともできます。また,何人かのクリスチャンの若者を集めて,一緒にサイクリングに行ったり,野球をしたり,何かの競走をしたりして楽しむこともできるでしょう。

しかし,むやみに競争をあおらないようにするのは大切なことです。正式にチームを結成すると,たとえチームの全員がクリスチャンであっても,何が何でも勝つという精神をあおることになりがちです。ですから普通は,物事を正式に取り決めてしまわないのが最善です。実際のところ,大人にある程度監督してもらうほうがよい場合もしばしばあります。

確かに,正式な試合でない場合,学校できちんと計画的に行なうスポーツほどのスリルは味わえないかもしれません。でも,楽しむことはできます。ロバートは学校の運動部をやめることにしました。それでもこう言っています。「今でも十分にスポーツを楽しんでいます。むしろ今のほうがずっと楽しいくらいです。今スポーツをするときは,何が何でも勝とうとするわけではありませんし,競争心に取りつかれるわけでもありません」。

使徒パウロが若者テモテに,「体の訓練は少しの事には益があります」と語ったときのことを思い出してください。パウロは続けて,『しかし敬虔な専心はすべての事に益があります』と言いました。スポーツ選手になることがクリスチャンの人生の目的でないことは明らかです。ですから,バランスを保ちながらスポーツを行なってください。自分の霊性を築き上げるためにもっと有効に使える時間をどうして浪費してよいでしょうか。敬虔な専心が「今の命と来たるべき命との約束を保つ」ことを忘れないようにしましょう。―テモテ第一 4:8。

[15ページの図版]

とかく学校の運動部には,何が何でも勝つという精神が浸透している

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