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  • 私は強盗を職業にしていました
  • 目ざめよ! 1991
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目ざめよ! 1991
目91 9/8 11–14ページ

私は強盗を職業にしていました

ドン! 裁判官のつちの音が法廷に響き渡りました。それに続く裁判官の言葉は,穏やかな口調ではありましたが,私に向かってほえているようにも聞こえました。「被告人を懲役15年に処す」。この言葉と,その後の出来事を忘れることは決してないと思います。私は警官に護送され,せきたてられるようにして法廷から,それまでの3か月間の住まいだった拘禁房に戻されました。

翌朝早く,私は拘禁房から出されて廊下を通って小さな部屋に連れて行かれ,後ろ側にバックルのある幅13㌢ほどの革のベルトを締められました。そのベルトの前の部分には大きな金属の輪が二つ付いていて,それが私の手錠となりました。この処置が終わると,二人の警官によって別の廊下に連行され,同じように手錠を掛けられた一群の男たちに加わりました。男たちは2列に並んで立っており,私は列の中の所定の位置に就けられました。そして,二つの列の間に伸ばされていた鎖が持ち上げられ,革のベルトの横の部分についている3番目の輪とその鎖が錠で留められました。

その後,その場にいた6人の警官が私たちをエレベーターに乗せ,特別製のバスのところに連れて行きました。バスの中で私の隣に座ったのは殺人犯で,向かい側には麻薬密売人,婦女暴行犯,強盗たちがいました。これから私たちは皆同じ場所,つまり刑務所に向かうのです。

皆さんは,こんな状況に至った原因は何だったのだろうと思われるかもしれません。私の生い立ちと,刑務所に入る原因となったいくつかの出来事をお話ししましょう。

生まれつき犯罪者だったわけではない

父と母が結婚したのは第二次世界大戦が終わって間もないころでした。1947年に兄が生まれ,その2年後には私が,そしてさらに1年半後には弟が生まれました。それで両親は幼子を3人抱えて,米国バージニア州リッチモンドから西へ向かって太平洋岸のオレゴン州まで長旅をし,それから今度は北のワシントン州に向かい,ベルビュー市に住み着きました。当時は,私にとっては普通の生活だったように思います。私たちは,特に強いきずなで結ばれた家族だったというわけではありませんが,家族そろってのピクニックを欠かさず,また地元のルーテル教会に通っていました。バージニア出身の家族にとっては,神やイエスや聖書を敬うのはごく当たり前のことでした。1960年の1月に末の妹が生まれました。母は,ずっと欲しかったかわいい女の子がやっとできて大喜びでした。

しかし,それから6か月ほどして生じた事柄によって私たちの生き方は変化しました。また引っ越したのです。今度の移転先はうっそうとした森に囲まれたメープルバレーという町でした。教会には行かなくなり,家族のピクニックもなくなりました。おまけに父は深酒をするようになりました。この引っ越しのことを思い出すと今でも悲しくなります。その後,長いこと私たちは暗い気持ちで過ごしました。私が十代のころ気ままな生活を送るようになった原因の一つはそこにあると思います。

犯罪者の道を選んだ理由

町の名前を聞くだけで想像できるように,メープルバレーは,1960年代の手に負えないティーンエージャーにとってはいささか刺激に欠ける場所でした。それで私は自分で刺激を作り出すことにしました。そうするのは,私にとっては簡単なことでした。というのは,学校でたちの悪い連中と付き合っていたからです。放課後の催しは大抵酒盛りと化し,殴り合いや麻薬が付き物でした。そんな時には,朝の3時か4時に酔っ払ってふらふらしながら家に戻ることや,友だちのところに泊まって何日も家に帰らないことがよくありました。何ともおかしなことに,私は自分のしていることは悪いことだと分かっていましたが,両親は全く気づいていないようでした。

私たちはうまく逃げおおせるか試してみるだけのために盗みを働くこともありました。ある時,私は車を盗んで乗り回しましたが,捕まってしまい,地元のグリーンヒル少年院で1年余り過ごしました。

私は,グリーンヒルを出た時には高校生だったので,少年“犯罪学校”で“勉強”した事柄を使えると考えました。「悪い交わりは有益な習慣を損なう」という聖書の言葉のとおりになっていることに気づいていなかったのです。―コリント第一 15:33。

一風変わった若者,ジム・カーリーに出会ったのは,私が16歳のころでした。ジムは家族と一緒に,私の住んでいた町にアイダホ州から移って来たばかりでした。彼の名前がジムだということを知っている人はごくわずかで,スパッドというあだ名のほうがよく知られていました。有名なアイダホ産のジャガイモからついたあだ名です。ジムはエホバの証人でした。

ジムと私は同じ学校に通っていました。ジムを見ていて,ジムはほかの友だちとは違うと思いました。ジムはだれとでも仲良くやってゆきますが,悪行に加わることはありませんでした。そのことには感心しました。はっきりと覚えていますが,ジムは,この邪悪な体制が間もなく終わり,神の天の王国の支配を受ける平和な新しい世がそれに取って代わる理由を話してくれました。

もっと聞きたいと思ったので,ジムの“教会”に二,三度行きました。そこは王国会館と呼ばれていました。1967年のことです。そこで聞いた事柄には興味がありましたが,その新しい世は遠い将来のもののように思えました。それに,当時は面白おかしく暮らしていました。欲しがる人がいれば,工具,自動車部品,ステレオ,テレビなど何でも“注文”に応じる,という商売に足を突っ込んでいたのです。お分かりのように,そのような“注文”に応じる方法は盗みや悪知恵でした。ではどうして,私の楽しい“商売”をとがめる教会に行かなければならないのでしょうか。

私は19歳で学校をやめ,高校の時のガールフレンドと結婚しました。1年後には,ロンダ・ジーンという女の子が生まれ,私は父親になりました。このようにして責任が重くなり妻と子供を養う必要性を感じましたが,不正な手段しか用いませんでした。

真理を見いだした!

私は相変わらず,麻薬の使用と密売,自動車泥棒,押し込み強盗といった“商売”を続けていました。しかし,ついに恐れていたことが起きました。逮捕され,いくらもたたないうちに,話の初めに述べた通り,手錠を掛けられて刑務所に向かっていたのです。その時,私は20歳で,妻と6か月の娘がいました。それなのに,それからの15年間を刑務所で過ごすのです。自分の生活を律するために何かをしなければならないと痛感し,聖書についてスパッドが言ったことを思い返すようになりました。

服役中に,聖書や一般の独習書を読み始めました。『このような本を読めば,私も大人になれるだろう』と考えたのです。しかし,そのような本は何の助けにもなりませんでした。やっと助けが与えられたのは,ワシントン州シェルトンの矯正センターのある受刑者が,地元の会衆のエホバの証人たちと行なう聖書の討議に参加する気はないかと言ってくれた時のことです。その証人たちは刑務所に毎週やって来るということでした。私は参加することにしました。二人の証人に初めて会った時から,聖書と「とこしえの命に導く真理」という手引き書から学んでいる事柄の正しさが分かりました。私は真理を見いだしたのです。

刑務所の中で証言する

証人たちが私と毎週行なっていた聖書研究には15人ほどの受刑者が参加することもありました。そのころ妻は,私が刑務所で狂ってしまったと思い込み,離婚手続きを始めました。そのため,抱くようになったばかりの私の信仰は大いに試みられました。

私は霊的な食物をもっと取り入れて信仰を強めることにしました。まず,聖書全体を読むことから始め,その際に「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌の古い号など,聖書に関する出版物を一緒に読むようにしました。強い信仰が育ってゆきました。さらに,耳を傾けそうな人にはだれであろうと宣べ伝え始めました。そのうち,多くの受刑者からは相手にされなくなりました。今から思うと,それは私にとって本当に身の守りとなりました。

とはいえ,刑務所で他の人と興味深い話し合いを数多く行なったのも事実です。その一つは,カトリックの司祭との話し合いでした。その司祭は私に,君は曲がった事柄を教えられている,人は何でも思いどおりのことを聖書に語らせることができる,と言いました。司祭が自説を証明するために,神はいないと聖書が述べていることを示そうと言うので,そうしてもらうことにしました。司祭は自分の聖書から詩編を開き,人差し指で節の一部を隠すようにして手を置きました。「節全体が読めるように指をどけてくださいませんか」と頼みましたが,司祭は,「いいから,指より下のところを読みなさい」と答えました。言われるままに読むと,驚いたことに,「神なし」と書かれていました。「どうだね。言った通りだろう。神はいないのだ」と司祭は言いました。節の全体を見せてくれるようもう一度頼むと,司祭は今度は手をずらしました。そこにはこう書かれていました。「愚かなる者は心のうちに神なしと言えり」。―詩編 14:1,ジェームズ王欽定訳。

仮釈放を許され,決意を固める

私は2年間服役しただけで,態度と素行の変化を理由に仮釈放を認められました。1971年の終わりごろのことです。仮釈放委員会を欺くだけのために“入信した”のだろうと思う人もいたかもしれません。しかし今や,出所した私は悪い交わりに逆戻りしない決意をかつてないほど固めていました。そして,よく考えた末,以前の仲間が住んでいないはずのところに住むことにしました。昔の相棒たちに会うのは賢明ではないことを知っていたからです。彼らのほうも,私が“司祭”のようになってみんなに伝道していると聞いていたので,私には近づこうとしませんでした。

私は聖書研究を続け,ワシントン州ケントのコビントン会衆の集会に定期的に出席するようになりました。宣べ伝える業は生活の中でますます大きな場を占めるようになり,私は1972年6月にバプテスマを受けました。神に仕え,娘に聖書を教えると共に,世俗の事柄で平衡をとるよう努力しました。娘はもう3歳近くになっていて,母親,つまり私の前妻と暮らしていました。このことは,その後16年という長きにわたって私の意気をくじく大きな問題となりました。事態の進展を待ちきれなく感じたことがあったのも確かです。そんな時には,聖書のこの訓戒を思い出したものです。「あなた方に関するかぎり,すべての人に対して平和を求めなさい。……『復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる』」― ローマ 12:18,19。

涙ながらに祈った夜も幾度となくありました。そのころの私の目に映る世界は,どんよりとして物悲しく,たまにしか日の光がささないピュージェット湾一帯の典型的な天気そのものでした。私にとっての“日の光”は,新たな友情を育てたり旧交を温めたりできる集会や大会など,神権的な活動という形でさし込みました。そのような大会で,私にいつまでも影響を及ぼす人に出会いました。2年をかけて互いに知り合った後,メアリー・ヒューズと私は1974年8月に結婚しました。

翌年7月に息子が生まれ,私たちは(3代目のトムということで)トレイと名づけました。私は,特にその少し前にクリスチャンの会衆の奉仕の僕に任命されていたので,今度の結婚生活では神を常に第一にするつもりでいました。この奉仕の僕の特権が与えられたので,エホバに奉仕する面で新しい機会の扉が私に開かれていることがよく分かりました。私は,その機会を十分に活用し,エホバに仕え続けることを決意しました。霊的に成長する方法を教えてくださる神に常に頼り,精一杯働きました。割り当てを扱うよう求められた時はいつでも,必要な知恵を与えてくださる神に信頼を置き,それを引き受けました。その後1987年に,私は長老に任命されました。

長年にわたって私は,エホバの方法で物事を行なうことがいつでも最も賢明な道であることを学んできました。じれったく思ってはならないのです。そのことをいっそう痛感させられたのは1990年の春のことでした。20歳になっていた娘のロンダが私たちと同居するようになり,バプテスマを受けた証人になったのです。真理がいかに強力なものであるかを今一度思い起こさせられました。法律上の親権の関係で,それまでの8年間というもの,娘とは全く連絡をとっていませんでした。裁判所が認めた短い面接の時間を使って娘に聖書の真理の種を植えた,何年も前の私の努力をエホバは祝福してくださいました。

ロンダは,聖書についてメアリーと私が教えたことのほとんどを覚えていたようです。そしてロンダの心を非常に強く動かしたのは私たち家族の生活でした。その春の日以来,ロンダは聖書の知識の面で急速な進歩を遂げています。

過去の生活を振り返ってから現在の生活に目を向けると,いつも忙しく神に仕えていることこそサタンのわなから身を守る最高の手段であると言わずにはいられません。私は今,あの本当に忌まわしい革の拘束ベルトの代わりに,大いなる解放を経験しています。それは,刑務所からの解放,平和を促進する神の奉仕者であるという自由への解放です。―トム・マクダニエルの語った経験。

[12ページの図版]

ワシントン州の矯正センターで囚人626023号だった時の私

[13ページの図版]

マクダニエル一家 ― メアリー,トム,娘のロンダ,息子のトレイ

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