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目ざめよ! 1991
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病弱だった人が神の活発な賛美者になる

プエルトリコのアニャスコにあるコルコバダ村で,家から家の宣教を行なっていた二人のエホバの証人がある婦人に話しかけました。1984年2月のことです。家の中から物音が聞こえたので,二人はだれか病気なのかと尋ねました。

「ええ,主人です。ここ14年ずっと具合いが悪くて,お風呂と食事の時しか部屋から出て来ないんですよ」と婦人は答えました。

二人がご主人と話せるかと聞くと,婦人は,夫はだれとも話したがらないが,あなた方が中に入りたいのなら構わないと言いました。

証人の一人はその時のことをこう述べました。「私たちが部屋に入ってみると,ご主人はベッドに寝ていました。その様子を見て,気の毒に思いました。ずいぶん衰弱して,震えていたのです。神の王国と,病気や死もない世界で生きるという希望について話すと,彼のほほを涙が伝いました。私は,だれも病気にならないそのような新しい世で生活したいですかと尋ねました」。―啓示 21:3,4。

「はい」という返事が返ってきました。「私たちは,また訪問するので一緒に聖書を学ぶのはどうかと提案し,同意を得て再訪問しました。彼はベッドに寝たままで研究を行ないました。

「何度目かの訪問の時,私は,ベッドの上に座ればもっと楽に研究できるのではないかと提案しました。初めのうちはよく目まいがして,ほんの短い時間しか座っていることができませんでしたが,それでも彼は頑張りました。さらに何度か研究をした後,体力がついてきたので居間で研究することを勧めると,それにも応じてくれました。私たちは毎週,居間まで歩くのを手助けしたものです。

「彼は目がほとんど見えず,手がひどく震えるので拡大鏡を持つのもままなりませんでしたが,研究を続けてよく進歩しました。彼の話によると,病気にかかってから14年というもの,家から外に出ることができなかったので,医師に診てもらったことは一度もないとのことでした。そこで,病院に連れて行く手はずを整えました。

「目の手術は成功し,やがて拡大鏡を使わなくても聖書が読めるようになり,手の震えも止まりました。家の周りを定期的に散歩するようになり,そのうちベッドに入るのは夜,眠る時だけになりました。その後まもなく,王国会館で開かれる私たちのクリスチャンの集会に出席し始めました。

「やがて,かつて病弱だったこの人はエホバ神と神の約束に対する愛に動かされ,自分が学んだ事柄について他の人に話さずにはいられなくなりました。ほどなくして,私たちと共に家から家の宣教を行なうようになり,近所の人や友達をたいへん驚かせました。ずいぶん元気になったので,畑仕事も行なうようになりました」。

この経験は1988年11月のエホバの証人の巡回大会で語られ,この人,つまりペドロ・マルティネスがステージに上がりました。そしてついに1989年11月,彼はエホバに対する献身の象徴として水のバプテスマを受けました。

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