ホルモン ― 体内の驚くべきメッセンジャー
通りを横断していると,「危ない!」とだれかが大声で叫びます。振り向くと,猛スピードのトラックが赤信号を無視して大きな音を立てながら迫って来ます。
体は緊急時の行動に即座に備えます。脳が緊急メッセージを素早く副腎に伝えると,副腎はそれに反応して,血液中にアドレナリンとノルアドレナリンを分泌します。これらのホルモンは,危険回避に直接には必要でない体の器官への血液の供給を止め,脳や心臓や筋肉の働きを増強するためにその分の血液を急いで送ります。
アドレナリンとノルアドレナリンは心臓を強く,そして速く鼓動させます。肺の気道を広げ,呼吸を速めます。最大限のエネルギーを供するため血糖値を高めます。あっと言う間に,普段の能力をはるかに超えた力と耐久力を発揮する準備がホルモンの助けで整いました。
トラックはごう音を立てて迫り,地面が震えます。一瞬の猶予もありません。安全な歩道めがけてあなたは力一杯ジャンプします。息は切れ,心臓は高鳴り,胃がむかつき,手は震えています。しかし,助かったのです。
このような状況下で,ホルモンは命を救う助けになります。しかしホルモンはそれ以外にももっと多くの働きをします。体が成長して,健康な大人の男性や女性になるよう助けます。男女の違いを生じさせ,生殖を可能にします。寒かったり,暑かったり,おなかがすいたり,のどが渇いたり,出血したり,病気になったりすると,助けを差し伸べます。さらに1日24時間フルに働いています。
ではこれらの仕事はすべて,体の中でどのように秩序だって行なわれているのでしょうか。その点を理解するために,ホルモンの正体と機能について考慮してみましょう。
体内のコミュニケーション
ホルモンとは様々な内分泌腺で作られる化学物質のことです。これらの器官は血液中にホルモンを直接分泌しますから,「直接分泌する」という意味の,「内分泌」という言葉はまさに適切な表現です。心臓から体中にくまなく送り込まれる血液と共に,ホルモンは体の各部に素早く移動し,そこで仕事を果たします。
ホルモンがそれぞれの機能を果たすには,体の多くの器官の間での円滑なコミュニケーションが必要です。わたしたちの体には生命を維持し体を滑らかに動かす複雑な通信システムが備わっています。それは内分泌系と神経系です。
この二つのシステムがどのように協働するかを,イタリアの都市ベネチアを例に挙げて考えてみましょう。ベネチアは運河が網の目のように巡らされていることで有名です。住民は,市内の他の場所へメッセージを送るのに電話を使います。同様に,体の場合も神経系を使ってメッセージを送ります。神経系は電気化学信号を使った高速通信ネットワークです。電話をかける時と同じように,神経による伝達はほとんど瞬間的に行なわれます。
もちろん,メッセージは市内の迷路のような運河を行き来するゴンドラを使って送ることもできます。体の中では,化学的なメッセンジャー(ホルモン)が血液などの体液を通って行き来します。
ですから,血液の流れをベネチアの運河に例えるとすれば,ホルモンはメッセージをいろいろな送り手からいろいろな目的地へとあちこちに届けるゴンドラの船団のようなものです。ホルモンは出発点から遠く離れた筋肉,器官,腺へと旅します。ホルモンはひとたび目的地に到着すると,幾つもの複雑な化学反応を起こしてその使命を果たします。
しかし,このような活動はすべてどのように管理され調整されているのでしょうか。答えを知るために,内分泌系の本部を調べて,そこでどんな仕事が行なわれているのか見てみましょう。
脳下垂体 ― 内分泌腺の支配者
内分泌系を監督しているのは脳下垂体です。脳下垂体は小さな,赤みを帯びた灰色の器官で,細長い茎のようなものによって脳につながっており,鼻のすぐ上の奥にある骨のくぼみに納まっています。
脳下垂体はあまり見栄えがしません。大きさはエンドウマメほどしかなく,重さはわずか0.6㌘ほどです。ところが,小さいにもかかわらず,非常に重い責任を担っています。脳下垂体は内分泌腺の支配者と呼ばれており,内分泌楽団の指揮者です。まるで多くの部や課との情報のやりとりに慌ただしい事務所で働く会社の経営幹部のようです。
脳下垂体は他の内分泌腺に仕事を委託することもあります。例えば,脳下垂体はホルモンのメッセージを血液中に送り出し,甲状腺が他の3種類のホルモンを作って分泌するよう命令します。これらのホルモンは代謝や体温や骨の状態を制御します。同じように,脳下垂体は性腺に思春期の身体的な変化を生じさせるホルモンを生産させます。また内分泌腺の支配者は副腎に指示を出して,血圧や塩類のバランスを制御するホルモンを作らせることもできます。
もっとも,ときには脳下垂体が直接問題を扱い,骨や筋肉の成長に影響を与えるホルモンのメッセージを送ります。これらのホルモンによってわたしたちの身長も決められます。
さらに,脳下垂体は出産の際に大きな役割を果たします。分娩を助けるためにオキシトシンという子宮の収縮を刺激するホルモンを送ります。赤ちゃんの頭が産道に達すると,脳は脳下垂体にメッセージを送ってオキシトシンをさらに供給させ出産の最後の段階を手助けします。出産の初めから,脳下垂体からの種々のホルモンは母親の乳房で母乳が作られるよう刺激しています。赤ちゃんが生まれた時には,母親は母乳を与える準備が整っています。
内分泌腺の支配者の支配者
脳下垂体は他の腺の監督ですが,脳下垂体にも監督がいます。それは視床下部です。視床下部は親指の先ほどの大きさの神経細胞の集まりで,脳の基部にあって脳下垂体とつながっています。内分泌系の働きを管理するだけではなく,自律神経系の働きを調整する役割も果たしています。
血中物質や血流の温度を検査するのも視床下部の仕事です。視床下部は脳の内部で血液が最も多く流れているところです。この血流の中に,視床下部はしわの寄った指のような形のセンサーを突き出しています。お風呂の湯加減を指で確かめるのとよく似ています。血液の温度が低ければ,視床下部は(脳下垂体と甲状腺を経由して)代謝を盛んにして熱を出し,血液を温める働きをするサイロキシンをもっと分泌するよう指示を与えます。
視床下部は自動的に働くので,わたしたちは通常その働きを意識していません。それでも,毎日の生活に影響を及ぼしています。おなかがすきましたか。血糖値が低過ぎるのを感知して視床下部が何かを食べるようにとサインを送っているのです。のどが渇きましたか。視床下部が血液中の塩分の濃度がやや高いと判断して,「水を少し飲むように」と言っているのです。
視床下部は血液中のカルシウムの濃度も監視しています。カルシウムなしでは,脳も筋肉も神経も適正に働けません。血液中のカルシウムの濃度が低下し過ぎると視床下部は,銀行からお金を引き出すように,骨からカルシウムを回収します。カルシウムはどのように回収されるのでしょうか。視床下部が脳下垂体にホルモンのメッセージを送ります。脳下垂体は首のところにある副甲状腺に独自の指令を送ります。すると,副甲状腺がパラソルモンを分泌します。パラソルモンは骨のところへ行ってカルシウムを血液中に出すように要請します。ひとたび視床下部がカルシウムの濃度を適正と判断すると,命令を撤回して,それ以上回収しないようにします。
しかし視床下部が血液中のカルシウムが多過ぎるのに気づいた場合はどうするのでしょうか。この場合もメッセンジャーを“骨銀行”へ派遣しますが今度は引き出す代わりに預金するのです。つまりこのような手順です。視床下部が,社長である脳下垂体にメッセージを送ります。それを受けて脳下垂体は甲状腺に指令を発します。次に甲状腺はカルシトニンというホルモンを送り出し,それが余分のカルシウムを血液から骨に移す働きをするのです。
理知的な設計
何とよく整った傑作でしょう。視床下部は脳下垂体を制御し,脳下垂体は内分泌腺を管理し,内分泌腺は身体を調節します。そして,こうしたことがすべて,身体のもっとも基本的な必要を世話するために体中を音もなく流れる30種以上のホルモンによって行なわれているのです。しかも,これほどの複雑さにもかかわらず内分泌系は驚くほど効率よく働いています。
聖書は,「神は体に肢体を,その各々を,ご自分の望むままに置かれた」と述べています。詩編作者が神に向かって語った次の言葉はまさに真実です。「わたしはあなたをたたえます。なぜなら,わたしは畏怖の念を起こさせるまでにくすしく造られているからです。わたしの魂がよく知っているように,あなたのみ業はくすしいのです」。―コリント第一 12:18。詩編 139:14。
[18ページの囲み記事/図]
内分泌腺は血液中にホルモンを分泌する
ホルモンは体の各器官へ移動して,様々な仕事を成し遂げる
松果体
脳底部の内側にあるこの小さな腺は,覚醒状態を保つこと,また生体の様々なリズムに影響を及ぼすと考えられているメラトニンを分泌します。メラトニンの機能について,はっきりしたことはまだ分かっていません。
生殖腺,つまり性腺
二つの卵巣(女性の場合)が下肢帯の内部,子宮の両側にあります。卵胞ホルモン(エストロゲン)と黄体ホルモン(プロゲステロン)がここで作られます。この二つのホルモンは月経周期を制御したり,成熟した女性としての身体的特徴が現われるよう促します。
精巣(男性の場合)は陰嚢の中にあり,思春期になると成熟した男性としての身体的特徴が現われるよう制御し,精子を作るよう刺激するホルモンを作ります。
脳下垂体
エンドウマメほどの大きさのこの器官は,細長い茎のようなものによって脳につながっていて,鼻のすぐ上の奥に位置しています。脳下垂体は他の腺を監督し,甲状腺,副腎,性腺,さらには内分泌の機能を持つ他の腺へも化学的なメッセージを送り出します。背の高さを左右するのは主に脳下垂体であり,骨や筋肉の成長にも影響を及ぼします。脳下垂体は授乳している母親の乳房が刺激されて母乳が分泌されるように促します。
甲状腺と副甲状腺
共に首のところにあります。副甲状腺は健康な骨を維持するようにカルシウムの濃度を調節するホルモンを分泌します。甲状腺は,酸素と食物によってエネルギーが作られるときの速度を調整するホルモンを作ります。
副腎
二つの副腎は,それぞれ腎臓のすぐ上にあり,アドレナリンとノルアドレナリンを分泌して緊急時の対処または回避に備えます。ここではこれら以外にも幾種類かのホルモンが作られますが,それらは炭水化物とたんぱく質の代謝に作用したり腎臓が処理する水量を調節したり,摂食量がほとんどないときに体内に蓄積された栄養分を活性化したりします。
すい臓
胃の下側にあるこの内分泌腺は,血糖値を調節するグルカゴンとインシュリンを作ります。
[図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
松果体
脳下垂体
甲状腺
副腎
すい臓
精巣
[図]
子宮
卵巣