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目ざめよ! 1992
目92 8/22 20–23ページ

私は約束を守りました

私は1930年にブラジルのリオデジャネイロで,カーニバルの日曜日のパーティーの真っ最中に生まれました。その場には医師,陸軍大佐,金持ちの実業家といった,リオの上流社会の人たちがいました。どの人も縁起を担いで,私の産湯に金の指輪やダイヤモンドを投げ込みました。そうすれば赤ちゃんが富と名声を得られると信じていたのです。1年半ほど後,私はある雑誌の主催するコンテストで,リオ中で一番かわいい赤ちゃんに選ばれ,賞を受けました。

その後まもなく,母は重い病気にかかりました。母が医師たちに見放されると,父は母と子供たちを捨てて出て行きました。父は私と引き換えに借金の片をつけたので,私はサンパウロ州サント・アマロ島のグアルージャの裕福な家庭で暮らすようになり,そこで以前の家族のことは知らずに育ちました。しかし,私が住んでいたグアルージャから450㌔ほどのところにあるリオデジャネイロで学校の休みの時期を過ごしていた時に起きた出来事が,私の人生を変えました。

偶然の出会い

私はリオのジャルディン・ダ・グローリアと呼ばれる地区で同じ年ごろの少年たちとよく遊びました。養父母がお金をたくさん持たせてくれたので,皆に決まってアイスクリームを買ってあげました。そんなわけで,私はかなりの人気者でした。その少年たちの一人アルベルトに,どこから来たのか聞かれました。私が答えると,「ぼくの弟もサンパウロ州に住んでいるんだよ。でも,一度も会ったことがないんだ。セザールっていう名前なんだけど。父さんが弟をそこに住んでいる家族にあげてしまったんだ。今じゃあ母さんは,もう二度と会えないだろうって毎日泣いてばかりさ」と言うのです。

少年はそれから,「サンパウロでセザールっていう名の10歳ぐらいの男の子に会ったら,君の兄さんに会ったよ,お母さんが君に会いたがっているよって伝えてくれないかな」と言いました。

「忘れずに伝えるよ。だって,その子の名前,ぼくと同じなんだもん」と私は約束しました。

暮らし向きが一変する

アルベルトはその時話したことを母親に知らせたので,彼の母親は私に会いたいと思いました。次の日曜日にジャルディン・ダ・グローリアでまた私に会ったアルベルトは,「母さんが君に会いたがっているんだ。サンパウロにいるぼくの弟に何か言づてを頼みたいんだと思うよ」と言いました。

直ちに,アルベルトは自分の母親のところに私を連れて行きました。その人は公園のベンチに座っていました。そして,私を頭のてっぺんから足の先までじっくり眺めた後,私を抱き締めて泣き出し,「あなたのご両親の名前は何というの」と尋ねました。

「ガリバルジ・ベンジーとナイル・ベンジーだよ。ぼくの名前はセザール・ベンジーっていうんだ」と私は答えました。

その人は私の母に会わせてほしいと言いました。起きたことを話すと母は気を失いそうになりました。後日,二人の母親は会って長時間私のことを話し合っていました。後ほどアルベルトは私にこう言いました。「ぼくの母さんは君の本当の母さんなんだ。だから君はぼくの弟なんだよ」。

母は病気が快復し,女手一つで私の兄と姉を育てていたのです。私は血のつながった家族を見つけたことがはっきり分かると,一緒に暮らしたいと願い出ました。このことで養母は非常にがっかりしました。しかし,私には本当の兄や姉と一緒にいたいという強い願いがありました。そして,私の生死も分からないまま苦しんでいた母が気の毒に思えたのです。そこで,グアルージャの何不自由ない家を後にしてリオデジャネイロの貧しい地区にある家に行くことになるのを承知のうえで,私は自分の下した決定を貫きました。状況は一変しました。放課後は世間に出て一生懸命に働かなければなりませんでした。一家の暮らしは私の稼ぎにかかっていたのです。

一つの約束

私は大きくなるにつれ,貴金属装身具の製作や,後にはそのデザインを学びました。同僚たちは輸入品 ― その多くは密輸品 ― も扱っており,それはとても儲かる仕事でした。楽にお金が入ったので,私はパーティーや女性関係やばか騒ぎにのめり込みました。その後22歳の若さで,学校時代からのガールフレンド,ダルバと結婚しました。ダルバは私には本当にもったいないほどの女性でした。良妻賢母で,教養があり,上品で,礼儀正しい女性でした。

結婚後7年たったある夜のこと,私ははめを外したいつものパーティーから帰るところでした。その時,私はまじめに考え始めました。こんな生活を続けていたら,育ち盛りの3人の子供に正しい道徳観念を教えることなど決してできないだろうと考えたのです。そこで,生活を改めようと心に決め,家に着くなりダルバを起こして自分の決意を伝えました。

「そんなくだらない話をしたいばっかりにわたしを夜中の2時に起こしたって言うの?」 妻が私の話を信用しないのも全く無理はありませんでした。しかし,私はこう約束しました。「今度こそ本気なんだ。手始めに,うちの隣に店を移転させるよ。そうすれば家族がもっと一緒にいられるからね」。ダルバはまだ半信半疑のままでしたが,二人とも眠りにつきました。

翌日,私は2階建ての建物を見つけて,2階を住居,1階を店にする計画を立てました。それから,それまでの仲間たちのところに行って別れを告げました。私はあくまで約束を守る決意を固めていました。ダルバと私は子供たちと共に初めて楽しい生活を送るようになりました。

約束を守るよう助けられる

それから約3か月後,ファビアーノ・リゾウスキが訪ねて来ました。彼は私のことを昔から知っていました。それで,妻に会ってほしいと言うと,「君の正式な奥さんかい?」と彼は尋ねました。

ダルバが入って来て,私がファビアーノのことを「聖書に関係したある宗教の牧師さん」だと紹介すると,彼は笑って,自分はエホバの証人だと説明しました。私は宗教に関心がありませんでしたが,ダルバは聖書が好きでした。ファビアーノとダルバは話を始めましたが,私は二人が話していることが全く分からなかったので黙っていました。

ファビアーノは私たちを次の日曜日の集会に招いてくれました。私が行くと約束したので,ファビアーノは驚いてしまいました。ダルバは我を忘れて喜びました。私が約束を守る人間で,いったん集会に行くと言ったら,その言葉を当てにしてよいということが分かっていたからです。私は密輸品の取り引きから二つのことを学んでいました。それは,約束を守ることと約束の時間に絶対に遅れないことです。

私はいつもベルトに拳銃をはさんでいましたが,集会に行く時は,銃を家に置いて出かけました。そこで会った人たちは礼儀正しく,私たちを温かく歓迎してくれました。それで,私は次の日曜日にもまた来ると約束しました。それ以来,私たちは王国会館での集会に定期的に出席しました。また,銃を持ち歩くことも二度とありませんでした。

ファビアーノは毎週水曜日の晩に我が家を訪れるよう取り決め,自分の妻と義母を連れて来ました。ファビアーノは私が無神論者であることを知っていたので,ダルバにばかり話しかけました。私は無視されているように感じて,ほかのことについて彼に話しかけるようになりました。それで礼儀をわきまえていた彼は,私にもっと注意を払うようになりました。私はファビアーノが『神を真とすべし』という本を持っていることに気づきましたが,彼はそれを私に勧めるのをためらっていました。とうとう,私のほうから,「その本は何に使うんだい」と尋ねました。

彼は驚いて,「研究するためのものだよ」と答えました。

「研究するための本なら,何が書いてあるのか調べてみようじゃないか」と私は言いました。

だれもが驚いてしまい,一体何が起きるのだろうと思いました。ともかく,研究が始まり,私は真剣に耳を傾けました。ダルバは喜びに輝いていましたし,3人の子供たちでさえファビアーノの話を喜んで聞いていました。

研究の間,ファビアーノの妻は私が引っ切りなしにたばこを吸っているのに気づき,「たばこをたくさんお吸いになるんですね」と言いました。

「学生時代から吸っています。装身具のデザインを考えている時は吸いっぱなしです」と私は説明しました。

すると,彼女は巧みにこう言いました。「やめようと思ってもやめられない人が多いんですよ」。

「なあに,やめようと思えばいつだってやめられますよ」と私は言い返しました。

「そうかしら」と彼女は応じます。

「信じられないのなら,今日を限りにやめてみせましょう」と私は言いました。こうして私はたばこをやめ,それ以来一度も吸っていません。

研究が始まってから数か月間は,物事がうまくいったわけではありません。以前の友人たちが私の居所を捜し当て,闇取り引きに誘いました。また,よく一緒にばか騒ぎをした女性たちが私を捜して我が家にやって来ました。しかし,私はあくまでも生活を改める決意を固めていましたし,エホバの過分のご親切によってそうすることができました。当初は商売が落ち込んだので,生活水準を下げなければなりませんでした。しかし幸いにも,ダルバはいつも私を励ましてくれました。

聖書の研究を始めて5か月がたち,私の疑いはすべて取り除かれました。私は,エホバがまことの神であられ,聖書がエホバのみ言葉であることを確信しました。それで,1962年1月12日,ダルバと私はサンパウロのイビラプエラ公園で開かれた初めての大規模な大会でバプテスマを受けた1,269人の中にいました。4万8,000人もの人々が一堂に会しているのはなんとすばらしい光景だったことでしょう。

子供たちを教える

その大会で,子供たちを教えて訓練する責任を銘記させられました。そこで早速私たちは,毎週水曜日の晩に家族で聖書研究をすることに決めました。現在でも水曜日の晩には家族研究を行なっています。でも子供たちが皆結婚してしまったので,今ではダルバと私の二人だけで行なっています。

子供たちとの研究では,服装と身繕い,異性間のふさわしい振る舞いなど,現代の若者に共通する問題も討議しました。また,子供たちのうちのだれかが神権宣教学校の割り当てを受けた時には,水曜日の晩に練習しました。

それだけでなく,私たちは子供たちを動物園などに連れて行って,エホバの創造の美を見せました。そして,様々な動物や鳥は人間が楽しめるようにエホバが創造してくださったものだということや,もう少しすれば鳥かごや檻の中にではなく,戸外で見られるようになり,かわいがったり抱き締めたりできるようになるということを理解するよう子供たちを助けました。

子供たちがまだ幼いころは,「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌など,ものみの塔協会の出版物の読書予定表を台所に貼っておきました。どの子も自分が学んだことを私たちに話せるようにするために,その予定表についてゆこうと一生懸命に頑張りました。このように子供たちを訓練したことが豊かな報いをもたらしたとはっきり言うことができます。子供たちは3人とも12歳までにバプテスマを受けました。

全時間宣教を行ないたいという気持ちを最初に示したのは末の息子のセザールでした。セザールは9歳の時,旅行する監督から何の予告もなしに演壇の上に呼ばれ,大きくなったら何になりたいかと尋ねられ,「ベテル奉仕者か巡回監督か宣教者です」と答えたのです。

セザールは17歳で全時間の開拓奉仕者になりました。その一方で印刷技術を学び,ブラジルにあるものみの塔協会の支部事務所で働く準備をしていました。その後まもなくベテルに招待され,そこで4年間奉仕しました。それから結婚して夫婦で特別開拓者になり,息子が生まれるまでその奉仕を続けました。現在セザールはクリスチャンの長老として,また妻は正規開拓者として奉仕しています。その息子は1990年に11歳でバプテスマを受けました。

私たちの娘の一人サンドラは1981年に開拓奉仕を始め,その翌年にベテル家族の一人シルビオ・シャガスと結婚しました。二人は共に特別開拓者として8年間奉仕し,現在では巡回奉仕を行なってエホバの証人の諸会衆を訪問しています。サンドラの双子の姉妹ソランジェは夫と共に特別開拓者として3年間奉仕しました。二人の間の息子オルナンは最近バプテスマを受けました。ソランジェの夫はクリスチャンの長老です。

ダルバも私も,我が家の子供たちの霊的な成長は30年ほど前に始めた水曜日の晩の定期的な家族研究に負うところが大きいと思っています。ほかにも子供たちを育てる点で助けとなったのは,旅行する監督たちや他の全時間奉仕者たちを決まってもてなしたことでした。こうしたクリスチャンの兄弟姉妹たちは子供たちが全時間宣教を目標にするよう助けてくださいました。

個人として味わった祝福

ダルバと私は,1962年にバプテスマという一大里程標を過ぎて以来,数多くの里程標を通過してきました。私はしばらくの間,代理の巡回監督として奉仕し,二人でエホバの証人の諸会衆を訪問するという特権をいただきました。また,ドゥケ・デ・カシアス大会ホールの5年がかりの建設にも参加しました。さらに,州の副知事をはじめとして,行政や医療や軍の当局者とたびたび会見しました。その目的は,大会を開くために競技場を借りたり,わたしたちの中立の立場やエホバの証人が輸血を受け入れない理由を説明したりすることにありました。

ダルバを起こして約束をしたあの決定的な夜以来,私が受けてきたすばらしい祝福のすべてを振り返ると,最もすばらしい祝福は神の王国の良いたよりの宣明者になったことだと心から言えます。エホバ神がご自分の組織を用いて私たちを導かれる方法こそまさに,今の幸福な生活とやがて来る神の新しい世での永遠の命とに通じる「この道」なのだということをダルバも私も確信しています。(使徒 9:2; 19:9)― セザール・A・ギマラエンスの語った経験。

[23ページの図版]

現在のセザール・ギマラエンスと家族

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