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目ざめよ! 1993
目93 11/8 20–21ページ

聖書の見方

エホバは戦争の神ですか

聖書を読んで,エホバは戦争の神,それも血に飢えた神であるとずっと非難してきた人たちがいます。例えば,ジョージ・A・ドーシーは自著「文明物語 ― 人間によるショー」の中で,聖書の神エホバは「略奪者,拷問者,戦士,征服者,またあらゆる残忍な激情の神である」と言い切っています。聖書の批評家ローランド・H・ベイントンは,「神が絡んでいない場合のほうが戦争に人情味がある」と,きたんなく述べています。

エホバは本当に戦争の神ですか。ある人が言うように,エホバは無実の人々を虐殺することを実際に楽しまれますか。

過去の裁き

確かに聖書は,エホバ神が過去に不利な裁きを下したことを包み隠さず記しています。しかし,そうした裁きは常に不敬虔な人々を対象にしていました。例えば,エホバはノアの日に地が「暴虐で満ちる」ようになって初めて,「わたしはいま,地に大洪水をもたらして,その内に命の力が活動しているすべての肉なるものを……滅ぼし去ろうとしている」と語られました。(創世記 6:11,17)別の裁きに関しても,あくまでソドムとゴモラの都市が「性の不道徳にふけり,倒錯した肉欲におぼれていた」ため,神は「硫黄と火の雨を……降らせられた」のです。―ユダ 7,新バークレー訳。創世記 19:24。

神はノアの日にすべての肉なるものを滅ぼし去ることを好まれましたか。あるいは,ソドムとゴモラの住人を滅ぼすことから,幾らかでも残忍な喜びを味わわれましたか。その答えを知る上で,ノアの日の洪水に関連した出来事を調べてみましょう。神が地を暴虐から清めるため,邪悪な人類を地の表からぬぐい去ることを述べた後,聖書は,「エホバは……その心に痛みを覚えられた」と言っています。実に,「[人]の心の考えのすべての傾向が終始ただ悪に向かう」様子を神は悲しまれました。だからこそ,差し迫った大洪水からできるだけ多くの人を救うため,神は「義の伝道者」ノアを遣わして警告の音信を知らせ,命を保つための箱船を造らせました。―創世記 6:3-18。ペテロ第二 2:5。

同様に,神はソドムとゴモラを滅ぼすみ使いを送るに先立って,「わたしは,彼らに対して上げられて(いる)叫びの中で言われていることすべてを彼らが行なっているか否かを見るために下って行くつもりである。わたしは知ろうと決めている」と言われました。(創世記 18:20-32,エルサレム聖書)エホバはアブラハム(甥のロトがソドムに住んでいた)に対し,もし調べた上で義人が10人でもいればそれらの都市を容赦すると,保証なさいました。血を流すことを楽しみとする神が,そのような憐れみ深い配慮を払うでしょうか。かえって,エホバの支配的な人格特性の一つは憐れみであると言えないでしょうか。(出エジプト記 34:6)エホバは自ら,「わたしは,邪悪な者の死ではなく,邪悪な者がその道から立ち返って,実際に生きつづけることを喜ぶ」と述べておられます。―エゼキエル 33:11。

神から不利な裁きが臨むのは,どんな場合でも,邪悪な人々が頑として悪行をやめないためであり,エホバが人を殺すのを楽しみとするためではありません。とはいえ,『エホバはカナン人と戦って滅ぼし尽くすようイスラエル人をけしかけたのではないか』と思う人がいるかもしれません。

平和のために神の戦いは必要

歴史を見ると,カナン人はおぞましい生活をしていたことが分かります。彼らは甚だしく邪悪でした。心霊術,子供の犠牲,サディスティックな暴力,様々な形の倒錯した性崇拝は日常茶飯事でした。全き専心を要求する公正の神として,エホバはそうした忌むべき慣行が無実の人々,特にイスラエルの平和と安全を乱すのを放置することはできませんでした。(申命記 5:9)例えば皆さんの住む地域に,国の法律を施行するための頼りになる警察や民兵がいなかったらどうなるかを考えてみてください。無政府状態,また最悪の暴力行為が誘発されるのではありませんか。同様に,エホバがカナン人に対して行動せざるを得なかったのは,そのみだらな傾向のため,また彼らが清い崇拝に紛れもない脅威となったためです。ゆえにエホバは,「その地は汚れており,わたしはそのとがのゆえにそれに処罰を加え(る)」と宣告なさいました。―レビ記 18:25。

神はご自分の刑執行隊,つまりイスラエル人の軍勢がカナン人を滅ぼすことによって公正を施行なさいました。この裁きを執行するために,神が火や洪水ではなく,人間をお用いになったからと言って,刑が軽くなったわけではありません。そのため,カナンの七つの国民と戦うイスラエル人の軍勢には,「あなたは息あるものをいっさい生かしておいてはならない」という指示が与えられました。―申命記 20:16。

しかし,神は命を尊重する方であるため,無差別の殺人をよしとはされませんでした。例えば,カナン人の都市の一つ,ギベオンの住人が情けを求めたとき,エホバはその願いを聞き入れました。(ヨシュア 9:3-27)凶暴な戦いの神がこうした措置を取るでしょうか。いいえ。しかし,平和と公正を愛する神ならそうなさいます。―詩編 33:5; 37:28。

エホバの規準は平和を促進する

聖書は再三,神の祝福を平和と結びつけています。エホバは戦争ではなく,平和を愛されるからです。(民数記 6:24-26。詩編 29:11; 147:12-14)ですから,エホバを崇拝するための神殿を建てたいとダビデ王が願い出たとき,神は,「あなたがわたしの名のために家を建てることはない。あなたはわたしの前で地にたくさんの血を流したからである」とお告げになりました。―歴代第一 22:8。使徒 13:22。

大いなるダビデであるイエス・キリストは地上におられたとき,神が公正を愛されるゆえ,今の時代に見られる悪を容認できなくなるときが来ると言われました。(マタイ 24:3,36-39)神はノアの日の洪水のとき,またソドムとゴモラの滅びのときになさったように,地上から利己的で邪悪な人間を取り除くという司法上の行動を間もなく取られます。こうして,神の天的な王国の支配のもと,平和な状態がもたらされる道が開かれます。―詩編 37:10,11,29。ダニエル 2:44。

明らかに,エホバは血を好む戦争の神ではありません。他方,エホバはしかるべき時に司法上の処罰を与えることをしりごみすることもありません。神は善良を愛されるため,ご自分を愛する者たちを虐げる邪悪な体制を滅ぼすことによって,彼らのために行動しなければなりません。神がそうなさるとき,真の平和が地上全体に行き渡り,真に柔和な者たちは,「平和の神」エホバを一致して崇拝するのです。―フィリピ 4:9。

[20ページの図版のクレジット]

「ダビデとゴリアテ」/The Doré Bible Illustrations/Dover Publications, Inc.

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