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目ざめよ! 1994
目94 7/22 12–14ページ

メキシコでの宗教に関する法律の改正

メキシコでは,1992年7月16日に,「宗教団体および公式の礼拝に関する法律」が新たに施行されるようになりました。なぜその必要があったのでしょうか。この新しい法律にはどんな意味がありますか。かなりの期待を起こしたこの出来事を検討してみましょう。

現在のメキシコがスペインに征服されて以来,国民にはカトリックの宗教が強制されてきました。宗教に関する法律を制定することになった時,スペインの法律であるカディス憲法(1812年)が一部採用されました。同憲法の第12条には,「スペイン国の宗教は,今も将来も永遠に普遍的,使徒的,かつローマ・カトリックの,ただ一つの真の宗教である」と規定されています。その後,1824年に制定されたメキシコ憲法は,こうなっています。「メキシコ国の宗教は,今も将来も永遠に普遍的,使徒的,かつローマ・カトリックの宗教である。国はこれを賢明かつ公正な法律で守るものとし,他のいかなる宗教の実践も禁止する」。この国の法律は何度かの改正を経たものの,同じ理念は1843年まで継承されました。こうしてカトリックの宗教には優先権が与えられ,他の宗教は事実上排除されました。

メキシコの政治家ベニト・フアレスが国の法律の見直しを始め,いわゆる「改革諸法」を導入したのは1857年のことです。その意図は,「教会不動産の国有化」と「国家の政治的・経済的権限の強化ならびに[カトリック]教会の権限縮小」でした。(「メキシコ史」,第10巻,2182ページ)1859年に公布された一連の法律の中には,「教会所有地の国有化に関する法律」に加え,婚姻を合法とみなすには,国が挙式を執り行なうことを義務づける法律が含まれていました。1860年には,「信教の自由に関する法律」が公布されました。

改革諸法は,カトリックの宗教はもはやその国に存在し得る唯一の宗教ではないと規定することにより,国民に一定の信教の自由を与えていました。しかし,この新たな自由はかなり制約された,条件付きのものでした。法律によってメキシコでの様々な宗教の存在が確認されたものの,法的認可や権利が与えられたわけではありません。改革法はカトリックの宗教を規制することを主眼としていましたが,図らずも国内の他のすべての宗教を規制することになりました。とはいえ,カトリック以外の宗教はもっと自由に活動できるようになり,米国に本拠を置くプロテスタント諸教派が国内での伝道活動を始めました。

同様の反教権主義を特色とした改革法が施行されたのは1917年のことです。それがきっかけで,司祭やカトリック教徒が迫害されました。こうして事態は1926年のクリステーロの乱へと発展し,宗教を規制する法律の撤廃を目指して,カトリック教徒が政府に戦いを挑みました。この内乱は1929年に幕を閉じ,政府は信仰の容認に関する一定の合意に応じたものの,法律は修正されずに存続しました。

「信教の自由に関する法律」という本は,これらの法律について解説し,こう述べています。「我々は最初から,憲法第24条第2項ならびに改訂された他の憲法条項は,信教の自由の明らかな侵害であると理解してきた。それらの条項は,すべての個人が宗教を対外的に実践することを制限し,宗教の実践を当局による規制のもとに置いてきたからだ。

「加えて,これらの憲法の性格は,国連世界人権宣言(第19条)ならびにアメリカ人権条約(第12条)で確立された事項に明らかに反している。メキシコ国はそのいずれの国際的合意文書をも承認しているのである」。

1988年,メキシコの新しい大統領が6年の任期を務め始めるに当たって,大統領就任式にカトリックの高位僧職者が招かれました。カルロス・サリナス・デ・ゴルタリ大統領は,あいさつの言葉の中で,教会と国家との関係を時代に即したものに改める必要があると宣言しました。この新たな取り組みは,宗教に関連した法律の改正が必要であるという結論に至りました。それに加え,当時メキシコはいっそう民主的な社会への移行段階にあり,米国やカナダとの自由貿易協定のための交渉が始まっていました。したがって,宗教に関連した法律を改正し,信教の自由に関して調和を図ることが不可欠となりました。

新しい法律

この新しい法律は,第1条に記されているように,「歴史上の重要原則である政教分離ならびに宗教信仰の自由に立脚」しています。第2条が個人に対して保障している自由には,「当人の好む宗教信仰を抱き,または採用し,かつ当人の好む崇拝の行為あるいは儀式を集団ないしは個人として実践すること……,宗教信仰を一切奉じないこと……,当人の宗教信仰が理由で,差別,強制,または敵意の対象とならないこと……,宗教上の目的での平和裏な結社および集会」があります。この法律によって,「教会および宗教団体は,政府の行政機関で所定の登録が済みしだい,宗教協会として法的地位が与えられる」ことになります。また,「現行の法律に添って形成される宗教団体は,目的達成のために独自の財産を所有してもよい」とされました。

エホバの証人が法的に登録される

この新法にしたがって,メキシコのエホバの証人は宗教団体としての登録を求め,1993年4月13日に申請書を宗教局に提出しました。それ以前からも,エホバの証人は国内の他の宗教団体と同様,その存在が既成事実となっていましたが,法人と認められてはいませんでした。エホバの証人は20世紀初頭からこの国にいます。1930年6月2日,法的認可が得られたわけではありませんが,メキシコ政府は国際聖書研究者協会を公認しました。1932年12月20日に,この名称はラ・トーレ・デル・ビヒア(ものみの塔)に改められました。しかし1943年に,この国での宗教活動を制限する法律が制定されたため,新たな法主体が市民団体として登録されました。エホバは,エホバの証人が長年行なってきた業をそのような仕方で祝福してくださいました。現在では,エホバの証人が1993年5月31日に受け取った,1993年5月7日付の文書に添って,エホバの証人はラ・トーレ・デル・ビヒアARおよびロス・テスティゴス・デ・ヘオバ・エン・メヒコARとして登録されています。これらはいずれも宗教団体です。

これらの新たな規定のもとで,メキシコのエホバの証人は,世界の他の230の国や地域と同様,神の王国を宣べ伝える点で引き続き勤勉に働いています。メキシコでは,拡大に関連した大々的な計画があります。その中には,新しい王国会館や新しい大会ホールの建設も含まれます。38万人を超える伝道者がいて,毎年3万人ほどの新しい人々がバプテスマを受けている現状に照らしてみると,多くの仕事があることが分かります。それは,現時点で53万件の家庭聖書研究が司会されていることに表われています。

これはメキシコのエホバの証人に関して問題が全部解決したという意味ではありません。子供たちは中立の問題をめぐって今なお学校で圧力に立ち向かわなければなりません。それでも,当局者は国内の様々な宗教の処遇に関連して,新しい法律を公正に適用しようと努めています。メキシコでは,宗教に関連した新しい法律によって,人権と信教の自由の擁護に向けて大きな一歩が踏み出されたことは間違いありません。

[13ページの図版]

メキシコのエホバの証人の登録証明書

[14ページの図版]

メキシコのエホバの証人が建設中の新しい聖書教育センター

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