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目ざめよ! 1995
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若い人は尋ねる…

ロック・コンサートに行くべきだろうか

有名なバンドが,あなたの町にやって来ます。チケットはどんどん売れており,決めるのは今しかありません。あなたはコンサートに行きますか。

良い環境のもとでの健全な音楽は,楽しいものとなります。何と言っても,エホバ神は,人間に音楽を楽しむ能力を授けられましたし,様々な音楽は神の意にかなうものです。

今日の若者の間で人気のある音楽と言えば,普通はロックであり,様々な形式のロックのいずれかでしょう。多くの場合,ライブ演奏が最も好まれます。しかし,とりわけ,ロック・コンサートでの騒ぎや手に負えない振る舞いについての報告は,神を恐れる若者に重大な質問を提起します。ロック・コンサートでは,いったいどんなことが行なわれるのでしょうか。コンサートに行くのはよい考えでしょうか。

音楽を試す

まず,音楽そのものについて考えてみましょう。音楽は,様々な感情を幅広く表現する ― あるいは,かき立てる ― ことができます。聖書時代,神の民は,しばしば音楽を用いて神への愛を表現しました。(詩編 149:3; 150:4)また音楽は喜びや興奮,悲しみを表現するためにも用いられました。(創世記 31:27。裁き人 11:34。サムエル第一 18:6,7。マタイ 9:23,24)しかし残念ながら,聖書時代でさえ,音楽はいつでも健全なものというわけではありませんでした。イスラエル国民がシナイ山に宿営していた際,一部のイスラエル人を罪へと駆り立てたのは,自由奔放で,肉感をあおる音楽だったようです。―出エジプト記 32:1-6,17,18,25。

正直なところ,多くのロック音楽も同様に性の不道徳や麻薬,反抗,心霊術といった悪い事柄を助長します。これは,必ずしも一切音楽を聞かないと誓わなければならないという意味ではありませんが,聖書はクリスチャンに,「何が主に受け入れられるのかを絶えず確かめなさい」と言っています。(エフェソス 5:10)ですから,音楽に関しては,それを選択し識別力を働かせる必要があります。a

音楽の好みは,あなたにどんな影響を与えるでしょうか。その音楽を聞くと,幸せな気持ち,穏やかな,平和な気持ちになりますか。あるいは,怒り,反抗,憂うつといった感情が起きるでしょうか。デンマークに住むあるクリスチャンは,ロックの一種であるヘビーメタルのファンだったころのことを思い起こし,こう言っています。「仕事をしながらそれを聞いていました。そして間違いをしようものなら,すごく腹が立ち,かっとなって仕事をしていたものをぐちゃぐちゃにして投げ捨てていました」。別の若者は,「僕は,セックスや世の生き方を称賛しているラップやヘビーメタルをよく聞いていたんです。こんな音楽で自分の思いを養ったので,彼らが歌っている事柄を渇望するようになってしまいました」と認めています。それで,録音からでさえ,こうした影響を受けるのですから,それがライブ演奏ならどれほどの力があるか考えてみてください。

その音楽がどれほど大きな音で演奏されるかということも考えてください。確かに,この点に関して人にはそれぞれの好みがあります。聖書も道理にかなったボリュームの音楽を認めていないわけではありません。ソロモンの神殿の奉献式では,ラッパを吹き鳴らす者だけで120人もいたのです。(歴代第二 5:12)それはかなりの大音響だったに違いありません。しかし,神への賛美の大きな叫びと,耳をつんざくようなロック音楽とには雲泥の差があります。ロック音楽の場合,気ままで奔放な精神を群衆にかき立てさせるためにしばしば非常に大きな音を用います。しかし,聖書は「浮かれ騒ぎ」,つまり「破廉恥なパーティー」を非としています。(ガラテア 5:21; バイイングトン訳)そして自分の体に対する配慮の気持ちがあれば,聴覚を傷める恐れがあることを考えて,余りにも大きな音で音楽を聞くことはしないでしょう。―ローマ 12:1。

考えるべき別の点は,ヨブ 12章11節にあります。聖書はそこで,「耳は,言葉を試さないだろうか。上あごが食物を味わうように」と尋ねています。この点と一致して,歌詞を『試す』ことが必要です。あるクリスチャンの若者は,「自分が好きな幾つかの曲の歌詞を聴くようにしたんですが,驚いたことに,クリスチャンが聞くのには不適切なものでした。その音楽を取り払わなければならないことが分かりました」と認めています。(コリント第一 14:20。エフェソス 5:3,4)さらに,前もって注意すべき点として,多くの演奏家は新曲を売り込むのにコンサートを利用しますが,その新曲の題材は,もしかすると,もっと健全だった以前の音楽とは,非常に違っているかもしれないのです。

加えて,その音楽には悪霊的な含みがないことを確かめなければなりません。特にヘビーメタルにはそうした含みが顕著に見られます。ヘビーメタルのバンドは,自分たちやアルバムのジャケットを悪霊的なシンボルや悪魔的な品で飾ることで知られています。(ヤコブ 3:15)そのようなグループのコンサートに行くなら,「悪魔に立ち向かいなさい」と命じている神を喜ばせることにはなりません。―ヤコブ 4:7。

手が付けられない状態

コンサートではどんなことが行なわれるのでしょうか。ステイシーという十代の少女は友達と,比較的無害な音楽を演奏するように思えたバンドのコンサートに行きました。しかし,コンサートの半ばにさしかかったころ,バンドのリーダーが降神術まがいのことをし,霊界とコンタクトを取るよう観客にも勧めたのです。ただの冗談だったのでしょうか。そうかもしれません。しかし,聖書がどんな種類の心霊術も非としているので,ステイシーと友達は,会場から出なければならないと感じました。―レビ記 19:31。申命記 18:10-13。啓示 22:15。

同じような悲惨な経験をしたクリスチャンの若者はほかにもいます。というのは,ロック・コンサートで公然と心霊術を行なうことは比較的少ないかもしれませんが,手が付けられない言動は普通のこととなっているからです。あるコンサートでは,バンドの人たちが暴動を起こすようけしかけ,60人が負傷し20万㌦(2,000万円)を超える損害が出ました。別のコンサートでも,若者3人が圧死しました。確かに,ほとんどのコンサートは,暴動と化したり,負傷者や死者を出したりしないかもしれません。しかし明らかに,警戒する必要はあります。箴言 22章3節は,「災いを見て身を隠す者は明敏である。しかし,経験のない者たちは進んで行って,必ず報いを身に受ける」と述べています。

それでコンサートに行きたいと思ったら,情報を集めてください。そのバンドは手の付けられない言動を駆り立てるという評判があるでしょうか。そのバンドにはどんな観客が集まりますか。(コリント第一 15:33)どの程度,アルコールや麻薬が使用されますか。また,コンサート会場はどうですか。過去に,安全面で問題はなかったでしょうか。座席の取り決めはどうなっていますか。全席が自由席の場合,けが人の出る可能性は非常に大きくなります。

ロック・コンサートでは麻薬やアルコール飲料の乱用が広まっています。若いときに正統派ロックバンドのコンサートに行き,幻滅した一人のクリスチャンの男性は,「人々は音楽を聞きに行くのではありません。酔っぱらうために行くのです」と語りました。十代のクリスチャンの少女も同じようなことを言っています。「“新進”のバンドのコンサートに行ったときのことを覚えています。本当にひどいものでした。みんなマリファナを吸っていました。言葉遣いも悪いし,服装を見ると悪魔崇拝者のような人も大勢いました」。麻薬やアルコールが厳しく禁止されている所でさえ,観客の多くは会場に来るときすでに酔っていることも珍しくありません。そのような集まりに行くことは,『不敬虔と世の欲望とを振り捨て,健全な思いと義と敬虔な専心とをもって生活する』ようにとの聖書の命令に調和するでしょうか。―テトス 2:12。

周囲からの影響力

しかし,自分がそうした騒ぎに関係しない限り,周りにどんな人がいるか心配する必要はないと思うかもしれません。ところが,周囲から影響を受けるのです。聖書はエフェソス 2章2節で,「空中の権威……不従順の子らのうちにいま働いている霊」について述べています。この世には「霊」,つまり支配的な精神態度があることに注目しましょう。それは空気と同じように,どこにでも充満しているのです。しかし,この霊,つまり態度には「権威」があることにも注目してください。それに身をさらすなら,考えや感情,振る舞いが変えられてしまうほどの力があるのです。この強力な空気を吸い込みながら,影響を受けないではいられません。

ほとんどの場合,ロック・コンサートでは,世の霊にまともに身をさらすことになります。たいてい会場内に行き渡っている騒々しい雰囲気とか,演奏家へのほとんど崇拝行為ともいえる,金切り声を上げる人々やウエーブをする人たちの中へ簡単に引きずり込まれてしまいます。そうした過度の称賛は,神に正当に属する崇拝を否定することになります。それは聖書で明確に非とされている偶像崇拝を意味するのです。(コリント第一 10:14。ヨハネ第一 5:21)あなたは,偶像崇拝に関係する危険を冒したいと思うでしょうか。

ほとんどのロック・コンサートには,参加して得られるかもしれないどんな益をも相殺してしまう危険がはらんでいる,と言っても間違いないでしょう。もちろん,特定のコンサートに行ってもよいかどうかを決める,最終的な決定権は親にあります。しかし,自分で決定する自由があるなら,賢い選択をしてください。ロック・コンサートに行くことに伴う危険のない,健全な楽しみはたくさんあります。

[脚注]

a 「目ざめよ!」誌,1993年2月8日号,2月22日号,3月22日号,「若い人は尋ねる…」の音楽についての記事をご覧ください。

[18ページの図版]

ロック・コンサートでは,アルコール,麻薬,手に負えない振る舞いが普通のこととなっている

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