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目ざめよ! 1997
目97 12/22 4–9ページ

勝利と悲劇

「過去30年の結核の歴史は勝利と悲劇,すなわち,科学者たちがこの病気を抑制し,やがては根絶する手段をもたらしたという勝利,と同時に,その発見が広範囲には利用されていないという悲劇の歴史である」― J・R・ビグノール,1982年。

結核は長年の間,人々の命を奪ってきました。ヨーロッパ人が海路で南米にたどり着くよりずっと前に,ペルーのインカ帝国の人々を苦しめていました。ファラオが栄光の支配をしていた時代のエジプト人を襲っていました。古文書は,結核が古代のバビロンやギリシャや中国においても,身分の上下を問わず多くの人を倒れさせていたことを示しています。

18世紀から20世紀の初めまで,結核は西欧諸国における死因の第1位を占めていました。やがて1882年に,ドイツの医師ロベルト・コッホは,この病気の病原菌を発見したことを公表しました。その13年後,ウィルヘルム・レントゲンがX線を発見し,生きている人の肺に結核の病巣があるかどうかを調べることが可能になりました。次いで1921年,フランスの科学者たちが結核ワクチンを開発しました。発見した科学者たちにちなんで名づけられたBCG(Bacillus Calmette-Guérin,カルメット-ゲラン菌)は,今でもこの病気に対する唯一のワクチンです。それでも,結核はたいへんな数の命を奪い続けました。

ついに見つかった治療法!

医師たちは結核の患者を療養所に送りました。その種の病院は多くの場合,山間地にあり,患者はそこで療養し,新鮮な空気を吸うことができました。その後,1944年,米国の学者たちはストレプトマイシンを発見しました。それは結核に効くことが分かった最初の抗生物質でした。他の抗結核剤の開発がその後に続き,ついに結核は治癒できるようになりました。在宅治療さえ可能になったのです。

感染率が激減し,将来はバラ色に見えました。療養所は閉鎖され,結核研究の資金は底を突きました。予防のための種々の計画は立ち消えになり,科学者や医師たちは医学上の新たな努力目標を求めるようになりました。

結核は発展途上諸国では依然多くの人命を奪っていましたが,事態は必ず改善されるはずでした。結核は過去のものとなりました。人々はそう考えました。しかし,それは間違いでした。

死の勢いを盛り返す

1980年代の半ばに,結核は恐ろしい死の勢いを盛り返すようになりました。そのため,1993年4月,世界保健機関(WHO)は結核に関する「世界的非常事態」を宣言し,「その広がりを阻止するために緊急措置を講じないなら,今後10年間に3,000万人以上がこの病気で死ぬだろう」としました。WHOがこのような宣言を出したのは,創設以来初めてのことです。

以来現在まで,何かの「緊急措置」によってこの病気の広がりを抑えるまでには至っていません。実際のところ,事態はむしろ悪化しています。最近のWHOの報告によると,1995年には過去のどの年よりも多くの人が結核で死亡しました。WHOは,今後50年間に結核にかかる人は5億人に上るであろうとも警告しています。とりわけ,不治の場合の多い,多剤耐性結核の犠牲になる人が増加することでしょう。

死の勢いを盛り返したのはなぜか

その理由の一つは,過去20年間に世界の多くの場所で結核の抑制計画が縮小されたり,消滅してしまったりしたことにあります。そのため,この病気にかかった人たちの診断と治療が遅れ,さらには死亡者が増加し,病気が広がる結果になりました。

結核が再び頭をもたげたもう一つの理由は,込み合った都市,とりわけ発展途上国の巨大都市に暮らす,貧困で栄養状態のよくない人々が増えていることにあります。結核は貧しい人々だけの病気ではなく,だれでもかかるのですが,非衛生的で込み合った生活環境のもとでは,人から人へと感染しやすくなります。そのような所ではまた,人の免疫機構が弱くなって病気に抵抗できない危険も高まります。

HIVと結核 ― ダブルパンチ

大きな問題となっているのは,結核がHIV,つまりエイズウイルスと組んで,死をもたらしていることです。1995年中にエイズ関連の理由で死亡した推定100万人のうちの3分の1は,恐らく結核で死亡したものと思われます。その理由は,HIVが結核に対する体の抵抗力を弱めることにあります。

ほとんどの人の場合,結核に感染しても病気にはなりません。なぜでしょうか。結核菌がマクロファージと呼ばれる細胞の中に閉じ込められてしまうからです。人の免疫機構,とりわけTリンパ球,つまりT細胞によってそこに囲い込まれるのです。

結核菌は,ふたのしっかり閉まる籠に入れられているコブラに似ています。その籠はマクロファージで,ふたはT細胞です。しかし,エイズウイルスはそこにやって来て,籠のふたをけ飛ばしてしまいます。こうなると,菌はそこから逃げ出し,体のどんな部分をも思うままに冒してゆきます。

ですからエイズ患者は,健康な免疫機構を持っている人に比べて,活動性結核になる危険がはるかに高いのです。「HIV感染者はけた外れに冒されやすい」と,スコットランドの結核専門医は述べています。「ロンドンの診療所にいた二人のHIV患者は,廊下で腰掛けていた時,結核患者が台車付き担架でその前を運ばれていっただけで,この病気にかかった」。

このように,エイズは結核の流行をあおってきました。ある推定によると,西暦2000年までにエイズの流行によって,出るはずのなかった結核患者が140万人も出ます。結核の増加における一つの重大な要素は,エイズ患者が結核に非常に冒されやすいばかりか,エイズに感染していない人々を含め,他の人に結核をうつす危険性があることです。

多剤耐性結核

結核との戦いをいっそう困難なものにしている究極の要素は,薬剤耐性菌株の出現です。これらのスーパー菌株は,結核を再び不治の病にし,抗生物質が発見される以前の時代のようにする危険があります。

皮肉なことに,抗結核剤を投与する際の不手際が,多剤耐性結核の出現した主な原因です。結核の治療で効果を上げるには少なくとも6か月以上必要であり,患者は4種類の薬をきちんと定期的に服用しなければなりません。患者は一日に12粒もの錠剤をのみ込む必要があるかもしれません。患者が薬を定期的に服用しなかったり,治療を途中でやめたりすると,退治するのが困難あるいは不可能な結核の菌株が発生します。通常の結核治療薬のうちの七つに耐性を持つ菌株もあります。

多剤耐性結核患者の治療は困難であるばかりか,費用もかさみます。他の結核患者の治療費の100倍近くもかかる場合があります。例えば,米国の場合,多剤耐性結核患者一人の治療に25万㌦以上かかることさえあります。

WHOの推計では,世界の約1億人の人が薬剤耐性結核菌に感染している可能性があり,その中には現在知られている抗結核剤のいずれを使っても治療できないものもあります。これら命取りの菌株も,より一般的な菌株と同じように伝染しやすいのです。

予防と治療

この世界的非常事態の対策として何が行なわれていますか。この病気を抑制する最善の方法は,病気をうつしやすい患者を初期の段階で発見し,治療することです。そうすれば,すでに病んでいる人を助けられるだけでなく,病気が他の人に広がるのも防げます。

結核を治療せずにいると,患者の半数以上は死亡します。しかし,適切な治療を施すなら,幾つかの薬剤に耐性を持つようになった菌によるものでないかぎり,結核はほとんどの場合治ります。

これまで見てきたように,治療が効果を上げるには,患者が治療の全過程を完了することが必要です。ところが,そうしない人が少なくありません。なぜでしょうか。普通,せきや熱,その他の症状は治療を開始して数週間でなくなります。そのため,多くの患者はもう治ったと結論し,薬の服用をやめてしまうのです。

この問題の対策として,WHOはDOTSと呼ばれるプログラムを促進しています。DOTSとは,「直接監視下短期化学療法」(Directly-Observed Treatment, Short-course)の略です。この名称が暗示するように,ヘルスワーカーは,治療開始後少なくとも最初の2か月間,患者がそれぞれの薬を処方量だけきちんと服用するよう見守ります。しかし,そうするのは必ずしも容易ではありません。結核にかかっている人の中には社会の底辺で生きている人が多いからです。そうした人々の生活は多くの場合,動揺や種々の問題で満ちており,ホームレスの人もいるので,薬の服用をきちんと見届けるのが途方もなく難しい場合があります。

では,人類を苦しめてきたこの流行病がいつか征圧されるという見込みはあるのでしょうか。

[5ページの囲み記事]

結核に関する基礎情報

説明: 結核は普通,肺を冒して衰弱させる病気ですが,体の他の部分,とりわけ,脳,腎臓,骨などにうつることもあります。

症状: 肺結核では,せき,体重減少,食欲不振,ひどい寝汗,倦怠感,息切れ,胸痛が見られます。

診断: ツベルクリン皮膚反応検査によって,結核菌と接触したことがあるかどうかが分かります。胸部レントゲン撮影によって,肺に病変があるかどうかが分かります。そうした病変は活動性結核に感染していることを示す場合があります。検査室での患者のたんの検査は,結核菌を検出する最も信頼性の高い方法です。

検査を受けるべき人: 結核の症状のある人,あるいは,結核患者と,特に,換気の悪い部屋で何度も接した人は,検査を受けるべきです。

ワクチン: 一つだけ,BCGとして知られているワクチンがあります。それによって子供がひどい結核にかかるのは防げますが,青年や大人にはほとんど役立ちません。ワクチンの効力は,せいぜい15年です。BCGは未感染の人を保護するだけで,すでに感染している人には効果がありません。

[6ページの囲み記事]

結核とファッション

奇妙に思えるかもしれませんが,19世紀には,結核になるのはロマンティックなことだと思われていました。人々は,この病気の症状が繊細な芸術的気質を高揚させると信じていたのです。

フランスの劇作家,また小説家であったアレクサンドル・デュマは,「わが回想録」の中で,1820年代の初めのことについてこう書いています。「胸の病が大はやりであった。だれもが肺病を病んでいた。とりわけ詩人がそうだった。30歳になるまでに死ぬのが小気味よいとされていた」。

英国の詩人バイロン卿は次のように述べたとされています。「肺病で死にたいものだ。……そうすれば,ご婦人方は皆,『あのお気の毒なバイロン様をご覧なさい。死の床でもなんとすてきなのでしょう』と言ってくれるだろうから」。

アメリカの随筆家ヘンリー・デービッド・ソローは,結核で亡くなったものと思われますが,こう書いています。「衰弱と病気はときに美しいものだ。……肺病による紅潮のように」。

こうして結核が美化されたことについて,「アメリカ医師会ジャーナル」誌(英文)の一記事は次のように述べました。「この病気に対する奇妙なあこがれは,ファッション感覚にまで浸透した。女性は色白できゃしゃに見せようと躍起になり,青白い化粧をし,薄手のモスリンのドレスを好んで着た。拒食症のような今日のモデルたちが求めているものとたいへんよく似ていた」。

[7ページの囲み記事]

結核は簡単にうつるか

「結核菌から逃れられる場所はない」と,WHO世界結核本部の部長である古知 新博士は警告しています。「せきやくしゃみによって空気中に飛び散った結核菌を吸い込むだけで,だれでも結核にかかり得る。これらの菌は空気中に何時間も,場合によっては何年も漂い続けることがある。我々は皆,危険にさらされている」。

しかし,人は二つのことが生じて初めて結核になります。第一に結核菌に感染し,第二にその感染が病気にまで進むことです。

結核は菌を人にうつしやすいタイプの人との短い接触によってうつることもありますが,込み合った環境で生活している家族の場合のように,何度も接することによって広がる可能性のほうが高いようです。

感染者が吸い込んだ菌は胸部で増殖します。しかし,10人のうち9人までは,体の免疫機構が感染の広がりを食い止めるので,感染者は病気になりません。とはいえ,HIV,糖尿病,ガンの化学療法などで免疫機構が著しく弱まると,休止していた菌が活発化することがあります。

[7ページの図版]

エイズウイルスは結核菌を解き放つ。これはコブラを籠から解き放つのに似ている

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