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目ざめよ! 2007
目 07/12 26–27ページ

偉大な業績を残した王

カメルーンの「目ざめよ!」執筆員

イブラヒム・ジョヤはバムムの第17代の王でした。バムムは大きな民族集団で,今でもカメルーン西部の草原で暮らしています。ここに掲げた14世紀以降の歴代統治者の表によれば,ジョヤは1889年から1933年に亡くなるまで王位にありました。ジョヤの治世中に,植民地を求めるフランスとドイツの手が伸びてきました。

ジョヤは若いころから高い知性と直感力を発揮し,志を同じくする知識人や革新的な考えを持つ人たちと親しくしていました。下の写真にある壮麗な宮殿はジョヤが建てたもので,建築の分野でのジョヤの力量を如実に示しています。また,このトウモロコシの粉ひき機もジョヤの発明によるものと言われています。とはいえ特に注目に値するのは,ジョヤが開発したバムム語の表記法です。

文書として記録できるようになる

19世紀末,バムムの歴史はおもに口述によって世代から世代へ伝えられていました。ジョヤは,詳細な点が失われたり付け加えられたりする危険があることに気づきます。自国を通る貿易商や旅商人からアラビア語の本を入手していたジョヤは,アラビア語に通じていました。また,当時リベリアで使われていた初期バイ文字の知識もあったことでしょう。ジョヤは,バムム語の表記法の開発に取りかかります。

まず,数百もの記号を定めました。大半は絵文字や表意文字です。国民がその表記法を用いるには,それぞれの記号の意味を覚える必要がありました。その後ジョヤは幾年かかけて,信頼できる廷臣たちの助けを借り,表記法を簡便化してゆきます。音節体系を用いて,必要な記号の数を最小限にしました。また,自ら定めた記号(文字)を幾つか組み合わせて,単語も作りました。こうして,前よりずっと少ない文字とその発音を覚えるだけで,読み書きできるようになりました。完成したジョヤの表記法はアカウクと呼ばれ,70の文字を用いていました。

ジョヤは,このバムム文字の使用を奨励し,学校で教えて行政の全レベルで使用するようにと命じました。また,自分の王朝と自国の輝かしい歴史をこの新しい文字で記録させました。こうして,バムム国民は初めて,自国の伝承,法律,慣習に関する事柄を読めるようになりました。さらにジョヤは,薬の調合法もバムム文字で記録させました。王宮の書庫に今でも保管されているそうした記録の原本は8,000を超えます。

1902年にドイツの植民地主義者がやって来ると,この表記法の利点が明らかになりました。ジョヤは経済発展の恩恵を受けていましたが,必ずしもドイツ当局と意見が一致していたわけではありません。それで,自ら考案した表記法を用いました。ドイツ人はまだそれを解読できていなかったからです。その後,バムムはどうなったでしょうか。

第一次世界大戦中(1914-1918年)に,ドイツはジョヤの領地を支配できなくなりました。それで,設立されたばかりの国際連盟は,バムムの委任統治権をフランスに与えます。ジョヤは,新しい考えを受け入れることにやぶさかではありませんでしたが,先祖から受け継いだものに誇りを持っており,自国の文化の保護と発展を切望していました。そのため,結局,フランスによる植民地支配に反対します。宗主国への忠誠を表明しない首長たちの例に漏れず,ジョヤも1931年にフランスによって退位させられます。そして2年後に追放先で死亡しました。

バムム文字は,学校での使用をフランスによって禁止され,奨励者のジョヤもいなくなったので,すぐに使用されなくなり,バムムの大多数の人たちからは忘れ去られてしまいました。バムムにやって来たキリスト教世界の宣教師たちは,そこで話されている言語を研究し,自分たちの学校で用いるための文法書を作ります。とはいえ,ジョヤとは違い,基本的に既存のローマ字のアルファベットと発音を借用しました。

近年,バムム文字への関心を再び高めようとする動きがあります。現在のスルタンであるイブラヒム・ボムボ・ジョヤは,祖父が建てた王宮の中に学校を開設しました。バムム文字による表記法が消滅してしまわないよう,その学校で子どもたちが学んでいます。

[27ページの図版]

14世紀から現代に至るバムム王朝を示すプレート。左側はローマ字で,右側はバムム文字で書かれている

[26ページの図版のクレジット]

All photos: Courtesy and permission of Sultan Ibrahim Mbombo Njoya, Foumban, Cameroon

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