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偉大な教え手に聞き従う
教 27章 111–114ページ

27章

良いことをするために,にくまれる

あなたは良いことを愛していますか。― 愛しています,とわたしたちはふたりとも答えるのではありませんか。しかし,そのためにたとえ他の人から憎まれても良いことをするほど,ほんとうにそれを愛していますか。― そうするには勇気がいりますね。―

偉大な教え手はそのような勇気を持っておられたとあなたは思いますか。そのためにたとえ他の人から憎まれても,良いことを行なわれましたか。―

人びとはしばしば,イエスの行なわれた良い事がらのゆえにイエスのことを好ましく思いました。あるときのこと,一つの都市の人びとみんなが,イエスのとまっていた家の戸口のまわりに集まりました。人びとは,イエスが病人をなおしていたので,やって来たのです。―マルコ伝 1:33。

しかし,ときには,イエスの教えられた事がらからすれば,人びとは真理を信じてはいないということがわかりました。当時,すべての人がイエスのことばを聞くのを好みましたか。― 人びとはすすんで自分たちの考え方を変えようとしましたか。― すべての人がそうしたわけではなかったのです。じっさい,なかには,イエスが真理を話されたので,イエスをほんとうに憎み,その憎しみをあらわした人たちがいました。

そのようなことが,ある日,イエスの故郷であるナザレ市で起きました。イエスは会堂におはいりになりました。会堂というのは,ユダヤ人が集まる場所のことです。

イエスは立ち上がり,聖書からりっぱな話をなさいました。人びとはさいしょ,その話を喜び,イエスの口から出る美しいことばにたいへん驚きました。それが自分たちの町で育った若者だとはとても信じられませんでした。

しかし,つぎにイエスは別のことがらをおっしゃいました。彼らのようなユダヤ人ではない別の人びとに,神が特別の好意を示される時について話されたのです。イエスがそのことをいわれたところ,会堂にいた人びとはおこりました。なぜだかわかりますか。―

それらの人びとは,神の特別の好意を受けるのは自分たちだけだと考えていたのです。そして,自分たちは他の人びとよりもすぐれていると考えていました。それで,イエスの話されたことを聞いて,イエスを憎んだのです。しかも,彼らがイエスに何をしようとしたか知っていますか。―

聖書はこう述べています。『彼らはイエスをつかんで,市の外へ追い出し,山のはしに連れて行き,山腹に投げ落として殺そうとした。しかし,イエスは彼らから去ってゆかれた』― ルカ伝 4:16-30。

もしあなたにそのようなことが起きたとしたら,あなたはそれらの人たちにふたたび神について話すために,もどったでしょうか。― それは勇気のいることでしょうね。― さて,一年ほどあと,イエスはたしかにナザレにもどられました。そして,聖書には,『彼は会堂で人びとを教えはじめられた』と書かれています。イエスは,神にたいする愛を持たない人びとを恐れて真理を語るのをやめるようなことはなさいませんでした。―マタイ伝 13:54。

別の日,イエスは,片手がすっかりまひした,つまり,きかなくなったある男の人のいる所におられました。イエスはその人をいやす力を神から与えられていました。ところが,そこにいた何人かの人びとはイエスをこまらせようとしていました。偉大な教え手はどうなさいましたか。―

まずイエスは,何をするのが正しいかを示して,こうおたずねになりました。『もしあなたの羊が安息日に大きな穴に落ち込んだなら,あなたはそれを引き出さないでしょうか』。

もちろん,休むことになっている安息日でも,彼らはその羊のためにそうするでしょう。そこでイエスはいわれました。『人は羊よりずっと価値があるのですから,安息日に人を助けるのはずっと良いことです』。イエスがその人をいやして助けるのがとうぜんだとかいうことが,なんと明らかに示されたのでしょう。

そこでイエスはその男の人に,手をのばしなさいとお命じになりました。すると,たちまちその手はもう一方の手と同じようによくなりました。その人はどんなにか喜んだことでしょう。

しかし,そこにいたほかの人たちはどうでしたか。喜びましたか。― いいえ,喜びませんでした。イエスをなおいっそう憎んだのです。そして,そこをさると,イエスを殺す計画を立てました。―マタイ伝 12:9-14。

今でも人びとは当時とかわりません。正しいことがすきな人もいれば,そうでない人もいます。何をするにしても,すべての人を喜ばすことはけっしてできません。ですから,わたしたちは自分がほんとうに喜ばしたいと思う人を決めなければなりません。

あなたはどんな人を友だちにしたいと思いますか。良い人びとを友だちにしたいと思いますか。― エホバ神に友だちになっていただきたいと思いますか。― では,いつも正しいことをしなければなりません。

しかし,あなたが良いことを行なうなら,悪魔はあなたをこのみますか。― じっさい,あなたは悪魔にすきになってもらいたいと思いますか。―

悪魔にすかれている人びとがいます。聖書はそうした人びとのことを「世」と呼んでいます。「世」は,偉大な教え手に従わない人びとすべてでなりたっています。偉大な教え手はいわれました。「もしあなたがたが世の一部であったなら,世はそれ自身のものを好んだでしょう。ところが,あなたがたは世の一部ではなく,わたしがあなたがたを世から選び出したので,そのために世はあなたがたを憎むのです」― ヨハネ伝 15:18,19。

世の人びとのなかにはイエスを信じているとはいっても,イエスがなさったように,神にかんする真理を他の人びとに教えない人がいます。もしあなたがそのような人たちに,彼らが真理を教えていないということを聖書から示したなら,その人たちは喜ぶでしょうか。― いいえ,そのほとんどの人は喜びません。しかし,片手のまひしたその男の人のような人たちを見いだせるかもしれません。その人は,イエスが真理をかくされなかったことを感謝しました。

真理をたしかにかくしている人は少なくありません。そのような人びとは,他の人からどう思われるかをおそれています。人になんと思われるかをひどくおそれて,自分が正しいと思うことを行なわずに一生をすごすのです。なんということでしょう。そのような人は人生の幸福をずいぶんえそこなっています。しかも,神の是認をもえそこなっているのです。わたしたちはそのようになりたくはありませんね。―

(他の人がどう思うかを恐れて,正しいことを決してちゅうちょすべきではないことを示す次の聖句をいっしょにお読みください。箴言 29:25。サムエル前書 15:24。マタイ伝 26:69-75。ヨハネ伝 12:42,43。)

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