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エホバに近づきなさい
近 第10章 97–106ページ
2人のエホバの証人の姉妹たちが家を訪ねて女性に伝道している。

第10章

「神に倣って」力を使う

1. 不完全な人間はよくどんなわなに陥りますか。

「力には必ずと言っていいほどわなが潜んでいる」。19世紀の詩人が述べたこの言葉は,力は誤用されることが多いという事実に注意を引いています。残念なことに,不完全な人間はよくそのわなに陥ります。歴史を通じて,「人は人を支配し,人に害を及ぼして」きました。(伝道の書 8:9)愛のない仕方で力が振るわれ,多くの人が苦しんできました。

2-3. (ア)エホバの力の使い方は人間とどう違いますか。(イ)人間にはどんな力がありますか。その力をどのように使うべきですか。

2 一方,無限の力を持つエホバ神は,決してその力を誤用しません。これまでの章で考えた通り,エホバは創造する力,破壊する力,保護する力,回復させる力を,自分の目的に沿って,いつでも愛を表しながら使います。エホバの力の使い方について考えると,私たちはエホバに引き付けられます。そして,「神に倣って」力を使いたいという気持ちになります。(エフェソス 5:1)では,か弱い人間である私たちにはどんな力があるのでしょうか。

3 私たちがよく知っているように,人間は「神に似た者として」創造されました。(創世記 1:26,27)そのため,少しとはいえ力があります。例えば,体力,仕事を果たす能力,権力,他の人への影響力,資力などです。詩編作者が書いている通り,エホバは私たちの「命の源」です。(詩編 36:9)ですから,私たちが持つ力はどれも,エホバから与えられたものだと言えます。それで,エホバに喜んでもらえるように力を使いたいと思います。どうすればそうできるでしょうか。

鍵は愛

4-5. (ア)力を正しく使うための鍵は何ですか。神はどんな手本を示していますか。(イ)愛があれば,どのように力を正しく使えますか。

4 力を正しく使うための鍵は,愛です。そのことが神の手本からよく分かります。第1章で考えたように,神の4つの主な性質は力,公正,知恵,愛です。その中で最も重要なのはどれでしたか。愛です。ヨハネ第一 4章8節に「神は愛」とある通り,愛は神の本質であり,神が行うこと全てに表れています。ですから,神はいつも愛に基づいて力を使い,それは神を愛する人たちのためになります。

5 私たちも愛を表して,力を正しく使いたいものです。聖書によると愛は「親切」で,「自分のことばかり考え」ません。(コリント第一 13:4,5)ですから愛があれば,自分が見守り世話する人たちに対して,厳しくて冷たい態度を取ったりすることはないはずです。相手を尊重し,自分のことよりも相手がどんな気持ちで何を必要としているかを考えます。(フィリピ 2:3,4)

6-7. (ア)神への畏れとはどういうものですか。神への畏れがあれば力の誤用を避けられるのはどうしてですか。(イ)神を畏れる人は神を愛しているということを,どんな例えで説明できますか。

6 愛は神への畏れとも関係があります。神への畏れがあれば,力の誤用を避けられます。格言 16章6節には,「エホバへの畏れによって,人は悪から遠ざかる」と書かれています。神を畏れる人は,自分が見守り世話する人たちにひどいことをしたりはしません。人に対する態度や行動について神に責任を問われることを知っているからです。(ネヘミヤ 5:1-7,15)でも,単に結果を恐れるということではありません。「畏れ」と訳されている原語は多くの場合,深い敬意や畏敬の気持ちを表しています。聖書の中で,畏れが神への愛と結び付けられているのはそのためです。(申命記 10:12,13)神を畏れる人は,神を本当に愛しているので,神に喜ばれないことは絶対にしたくないと考えます。

7 幼い子供と父親の関係に例えてみましょう。子供は,お父さんの温かい愛情を感じています。同時に,お父さんにどんなことを期待されているかも分かっていて,悪いことをすれば怒られるということを知っています。だからといって,いつもお父さんを恐れてびくびくしたりはしません。お父さんのことが大好きです。お父さんが喜んでくれることをしたいと思っています。神への畏れは,そのような気持ちです。私たちは天のお父さんエホバを愛しているので,エホバを悲しませるようなことはしたくありません。(創世記 6:6)エホバに喜んでもらいたいと思っています。(格言 27:11)そのために力を正しく使いたいと思うのです。では,どうすればそうできるか,さらに考えてみましょう。

家庭内で

8. (ア)夫はどんな権威を与えられていますか。どうすべきですか。(イ)夫は妻を大切にしていることをどのように示せますか。

8 家庭内ではどうでしょうか。エフェソス 5章23節によると,夫は「妻の頭」としてリーダーシップを取る権威を神から与えられています。では,どうすべきでしょうか。聖書の中で夫は,「知識に基づいて妻と暮らし……より繊細な器[である]妻を大切にしましょう」と勧められています。(ペテロ第一 3:7)「大切」と訳されているギリシャ語には「評価」とか「敬意」という意味もあり,「贈り物」や「貴重」と訳されていることもあります。(使徒 28:10。ペテロ第一 2:7)妻を大切にする夫は,決して妻に暴力を振るったり,恥をかかせたり,妻を軽視したりはしません。妻が自分には価値がないと感じるようなことがないようにします。妻を高く評価し,敬意を払います。2人だけの時も人前でも,妻が自分にとって大事な存在であることを言動で示します。(格言 31:28)そのような夫は妻から愛され敬われるだけでなく,神に喜ばれます。

夫婦が手をつないで歩いている。

自分の力を正しく使う夫と妻は,互いに愛や敬意を示す

9. (ア)妻にはどんな役割がありますか。(イ)どんなことを意識していれば,夫をサポートするために力を尽くせますか。そうするとどんな良いことがありますか。

9 妻にも家庭内で大切な役割があります。聖書に出てくる,神に従う女性たちは,頭である夫を敬いつつ,夫が善いことを行えるように支えたり,間違った判断をしないように助けたりしました。(創世記 21:9-12; 27:46–28:2)妻が夫より頭の回転が速いとか,夫にできないことができるということもあるでしょう。それでも,妻は夫を「深く敬」い,「主に従うのと同じように夫に従」うべきです。(エフェソス 5:22,33)いつも神に喜んでもらいたいと思っていれば,妻は夫を見下したり主導権を握ろうとしたりせず,夫をサポートするために力を尽くせるでしょう。そのような「本当に賢い女性」は,夫によく協力して良い家庭を築き,神とも平和な関係でいられます。(格言 14:1)

10. (ア)親には神から与えられたどんな権威がありますか。(イ)「指導」という言葉にはどんな意味がありますか。親は子供をどのように指導する必要がありますか。(脚注も参照。)

10 親にも,神から与えられた権威があります。聖書はこう勧めています。「父親は,子供をいら立たせないようにし,エホバが望む指導と助言によって育ててください」。(エフェソス 6:4)ここで「指導」と訳されている言葉には,しつける,訓練する,教える,といった意味があります。子供は指導を必要としていて,してはいけないことなどをはっきり教えてもらえると安心します。聖書によると,親は子供を愛情深く指導する必要があります。(格言 13:24)ですから,「懲らしめ」を与える場合にも,子供の体や心を傷つけてはなりません。a (格言 22:15; 29:15)愛を感じられない厳しい指導をする親は,自分たちの権威を正しく使っておらず,子供を落胆させかねません。(コロサイ 3:21)逆に,バランスの取れた指導をするなら,子供は自分が親に愛され期待されているのを感じます。

11. 子供はどうすれば自分の力を正しく使えますか。

11 子供は,どうすれば自分の力を正しく使えるでしょうか。格言 20章29節には,「若い人の素晴らしさは力」とあります。若い人が自分の体力や能力を使ってできる最も素晴らしいことは,「偉大な創造者」に仕えることです。(伝道の書 12:1)さらに子供は,自分の行動によって親を喜ばせることもあれば悲しませることもある,ということを覚えておくべきです。(格言 23:24,25)神を畏れる親に従い,正しい生き方をする子供は,親に喜ばれます。(エフェソス 6:1)それだけでなく,「主にとても喜ばれます」。(コロサイ 3:20)

会衆内で

12-13. (ア)神から権威を与えられている長老たちは,どのように行動する必要がありますか。(イ)長老たちが群れを大事に世話すべきなのはどうしてですか。

12 エホバは,クリスチャン会衆内で監督たちが教え導くようにしています。(ヘブライ 13:17)神から権威を与えられている長老たちは,群れを見守って助けなければなりません。決して兄弟姉妹に対して威張ったりはしません。エホバが監督たちに何を望んでいるかを正しく理解し,会衆内で謙遜に行動する必要があります。(ペテロ第一 5:2,3)聖書の中で監督たちは,「神の会衆を牧者として世話する」ようにと言われています。「その会衆を神は自分の子の血によって買い取った」からです。(使徒 20:28)そのことを考えると,群れの一人一人を優しく世話しなければならないことがよく分かります。

13 例えで考えてみましょう。親しい友人から大切な物を預かったとします。その友人が大金を払って買った物です。あなたは細心の注意を払ってそれを大事に扱うのではないでしょうか。同じように,神は長老たちにとても大切なものを預けました。それは会衆です。長老たちは会衆の中の一人一人を羊のように世話する責任を与えられています。(ヨハネ 21:16,17)エホバは自分の羊をとても大事に思っています。独り子イエス・キリストの貴重な血という最高の代価を払って買ったほどです。謙遜な長老たちはそのことを心に留め,エホバの羊を大事に世話します。

「舌の力」

14. 舌にはどんな力がありますか。

14 聖書には,「死も命も舌の力に支配される」と書かれています。(格言 18:21)舌には大きな力があって,ひどい言葉で人を傷つけてしまうことがあります。あなたも,思いやりのないことを言われたり,ばかにされたりしたことがあるかもしれません。でも,舌にはポジティブな力もあります。格言 12章18節によると,「賢い人たちの舌は人を癒やす」ことができます。親切で優しい言葉を聞くと元気づけられたり,爽やかな気持ちになったりします。例を考えてみましょう。

15-16. 舌の力を使ってどのように人を励ませますか。

15 テサロニケ第一 5章14節では,「気落ちしている人に慰めの言葉を掛け……てください」と勧められています。エホバに忠実に仕えてきた人でも,気落ちすることがあります。どうすれば助けになれるでしょうか。その人がエホバから大切に思われていることを思い起こせるように,具体的に心から褒めてください。「心が傷ついた人」や「打ちのめされた人」をエホバが深く気遣って愛していることを示す,励みになる聖句を一緒に読みましょう。(詩編 34:18)人を慰めるために舌の力を使うようにするなら,「気落ちしている人を慰める」思いやり深い神に倣っていることになります。(コリント第二 7:6)

16 舌の力を上手に使えば,元気がない人を励ませます。例えば,家族や友達を亡くした兄弟姉妹がいるでしょうか。気遣いや思いやりが伝わる言葉を掛ければ,悲しんでいる人を慰められます。自分は役に立っていないと感じている年配の兄弟姉妹がいますか。よく言葉を選んで,その人たちのことを大事に思っていることを伝えましょう。慢性的な病気に悩まされている人がいますか。会って話したり,電話をしたり,手紙やメールを送ったりして優しく気遣うなら,病気の人は元気が出るかもしれません。私たちが話す能力を使って「励ましの言葉を述べ」る時,その力を与えた創造者はとても喜びます。(エフェソス 4:29)

17. 舌の力を使って行える一番重要なことは何ですか。それを行うべきなのはどうしてですか。

17 舌の力を使って行える一番重要なことは,神の王国の良い知らせを伝えることです。格言 3章27節には,「あなたに助ける力があるときに,善を行うべき相手にそうせずにいてはならない」と書かれています。私たちには,命を救う良い知らせを広める義務があります。エホバから託された緊急なメッセージを伝えないわけにはいきません。(コリント第一 9:16,22)では,エホバは私たちが伝道をどの程度行うことを期待しているのでしょうか。

良い知らせを伝えることは,自分の力を使って行えるとても大切なこと

「力を尽くし」てエホバに仕える

18. エホバは私たちにどんなことを期待していますか。

18 私たちはエホバを愛しているので,クリスチャンとして十分に伝道したいと思います。その点でエホバが私たちに期待していることは,境遇に関係なく誰にでもできます。それは,「何をしていても,人のためではなくエホバのためにするように,自分の全てを尽くして行」うことです。(コロサイ 3:23)イエスも,一番大事なおきてについて聞かれた時,こう言いました。「心を尽くし,知力を尽くし,力を尽くし,自分の全てを尽くして,あなたの神エホバを愛さなければならない」。(マルコ 12:30)エホバが望んでいるのは,私たちが自分の全てを尽くしてエホバを愛し,エホバに仕えることです。

19-20. (ア)マルコ 12章30節に「自分の全て」とあるのに,「心」や「知力」なども挙げられているのはどうしてですか。(イ)自分の全てを尽くして神に仕えるとはどういうことですか。

19 マルコ 12章30節で,「自分の全て」を尽くしてと言っているのに,それに含まれる「心」や「知力」などが別個に挙げられているのはどうしてでしょうか。例えで考えてみましょう。聖書時代に,人は自分自身を奴隷として売ることがありました。いわば,その人の全てが主人のものになりました。それでも,奴隷は必ずしも心を尽くして主人に仕えたり,自分の体力や知力を尽くして主人のために働いたりはしなかったかもしれません。(コロサイ 3:22)ですから,イエスがあえて「心」や「知力」などを挙げたのは,神に奉仕する時に何も出し惜しみしてはいけないということを強調するためだったのでしょう。自分の全てを尽くして神に仕えるとは,自分の体力や知力などを最大限に使って神に奉仕することです。

20 人はそれぞれ境遇や能力が違うので,皆が同じように伝道を行えるわけではありません。例えば,健康で体力がある若い人の方が,年を取って体力が衰えた人よりも多くの時間伝道できるでしょう。また,身軽な独身の人の方が,家族の世話をしなければならない人よりも多くのことを行えるものです。体力や状況に恵まれていて,たくさん伝道できるなら,それはうれしいことです。十分にやっていないように思える人たちを批判するようなことは,決してしたくありません。(ローマ 14:10-12)それぞれができることを精一杯行えるように,励まし合いましょう。

21. 自分の力を使って行える最も素晴らしいことは何ですか。

21 エホバは,力を正しく使う点で完全な手本を示しています。私たちは不完全ですが,できる限りエホバに倣いたいと思います。自分が見守り世話する人たちを尊重し,優しく接しましょう。また,エホバから委ねられている,命を救う伝道活動を,自分の全てを尽くして行いましょう。(ローマ 10:13,14)私たちがエホバのためにベストを尽くすとき,エホバは喜んでくださいます。とても愛情深く思いやりがある神に仕えることこそ,自分の力を使って行える最も素晴らしいことです。そのためにできることは何でもしたいと思うのではないでしょうか。

a 懲らしめの「むち」や「棒」と訳されているヘブライ語は,聖書時代の羊飼いが羊を優しく導くのに使った棒やつえを指しています。(詩編 23:4)ですから親は,子供を厳しく処罰するのではなく,愛情を込めて導くことが期待されています。

じっくり考えたいこと

  • 格言 3:9,10 私たちはどんな「貴重なもの」を持っていますか。それをどう使うと,エホバを敬っていることになりますか。

  • 伝道の書 9:5-10 神に喜ばれるように力を尽くすべきなのはどうしてですか。

  • 使徒 8:9-24 シモンは力についてどんな間違った考え方をしていましたか。どうすればシモンのようになることを避けられますか。

  • 使徒 20:29-38 長老たちはパウロの手本からどんなことを学べますか。

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