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聖書に対する洞察,第2巻
洞-2 「ヨタム」 1項 1節–3項 6節

ヨタム

(Jotham)[「エホバは完全」または「エホバが完成してくださるように」]

1. ヤフダイの「子」と呼ばれている,ユダの子孫。―代一 2:47。

2. オフラに住んでいた裁き人ギデオン(エルバアル)の一番年下の子。(裁 8:35; 9:5)ギデオンが奴隷女によってもうけた子アビメレクは,父の死後,ギデオンの他の息子たち,つまり自分の異母兄弟たちを,隠れていたヨタムを除いて全員殺害しました。その後,シェケムの土地所有者たちがアビメレクを自分たちの王とした時,ヨタムはゲリジム山の頂に立ち,木々に関する例えを使って,シェケムの土地所有者たちとアビメレクに対する預言的な呪いを述べました。それから,ヨタムは逃げ,ベエルに住むようになりました。―裁 9:6-21,57。

3. ユダの王ウジヤ(アザリヤ)がザドクの娘エルシャによってもうけた子。(王二 15:32,33; 代一 3:12; 代二 27:1; マタ 1:9)ウジヤは律法に反して神殿に侵入し,香をささげようとして,祭司たちに戒められたために,祭司たちに対して怒りましたが,その時,らい病に冒されてしまいました。それ以来,ヨタムは父の代わりに王の務めを行なうようになりました。しかし,25歳のヨタムが16年に及ぶその支配(西暦前777-762年)を開始したのは,ウジヤが死んでからだったようです。―王二 15:5,7,32; 代二 26:18-21,23; 27:8。

[1106ページの図版]

ヨタムという名が記されている認印指輪

イザヤ,ホセア,およびミカは,ヨタムの時代に預言者として仕えました。(イザ 1:1; ホセ 1:1; ミカ 1:1)その臣民が高き所で誤った崇拝に携わったにもかかわらず,ヨタム自身はエホバの目に正しいことを行ないました。―王二 15:35; 代二 27:2,6。

ヨタムの治世中には,多くの建設工事が行なわれました。ヨタムは神殿の上の門を立て,オフェルの城壁の上にかなりのものを建てました。また,ユダの山地に幾つかの都市を建てたり,また森林地帯に防備の施された所や塔を建てたりもしました。―代二 27:3-7。

しかし,ヨタムの治世は平和なものではありませんでした。ヨタムはアンモン人と戦い,ついに彼らを打ち負かしました。その結果,アンモン人は3年にわたって,毎年貢ぎ物として銀100タラント(66万600㌦)と,小麦と大麦をそれぞれ1万コル(2,200㌔㍑)ずつ支払いました。(代二 27:5)ヨタムの治世中,ユダの地はシリアの王レツィンとイスラエルの王ペカハからの軍事的な圧力をも受けるようになりました。―王二 15:37。

ヨタムは死ぬと“ダビデの都市”に葬られ,ヨタムが王になった時にはおよそ4歳だった息子のアハズがユダの王位に上りました。―代二 27:7–28:1。

ヨタムは16年間しか支配しなかったので,列王第二 15章30節で「ヨタムの第二十年」と述べられているのは,ヨタムが王となってからの第20年,つまりアハズの第4年を意味していると理解すべきであると思われます。列王記の記述の筆者は,ヨタムの治世についての詳細をなおも補う必要があったので,この時点ではヨタムの後継者アハズのことを持ち出さないようにしたのかもしれません。

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