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聖書に対する洞察,第2巻
洞-2 「メロダク・バラダン」

メロダク・バラダン

(Merodach-baladan)[「マルドゥクは息子を与えた」を意味するバビロニア語に由来]

「バラダンの子」で,病から回復したユダのヒゼキヤ王に手紙と贈り物を送ったバビロンの王。(イザ 39:1)この王は列王第二 20章12節で「ベロダク・バラダン」と呼ばれていますが,この違いは書写上の誤りのためか,あるいは,“m”と“b”の間のどこかに位置する音のアッカド語の子音を翻字したためであると一般に考えられています。

メロダク・バラダンの名前はアッシリアとバビロニアの楔形文字の碑文では「マルドゥク・アプラ・イッディナ」となっています。それら碑文の中でこの人物は,ペルシャ湾頭の北,バビロンの南の湿地帯に位置する,ビート・ヤキーンとして知られるカルデアの行政地区の支配者とされています。彼は王統の出身であると唱え,父祖にはバビロンのエリバ・マルドゥク王(西暦前8世紀初期の人物と考えられている)がいると称しました。―「イラク」,ロンドン,1953年,第15巻,124ページ。

[978ページの図版]

役人に土地を下賜するメロダク・バラダン。ヒゼキヤ王はメロダク・バラダンの使者たちにあまりにも心を許してしまいました

ユダのアハズ王の治世(西暦前761-746年)にまで支配の及んだティグラト・ピレセル3世は,メロダク・バラダンのことをカルデア人の一部族の支配者と呼び,アッシリアがバビロニアに軍事遠征を行なった時,自分に臣従の誓いをしたと言いました。

ヒゼキヤに代表団を派遣する サルゴン2世がアッシリアの王として即位した時,メロダク・バラダンはすでにバビロンに入って自らを王と宣言していたと言われています。メロダク・バラダンはその行為に対してエラム人の支持を得ていました。サルゴンは間もなくメロダク・バラダンをバビロンから追い出そうとしましたが,バビロニア王名表によれば,このカルデア人は12年ほどの期間その地位を維持することができました。彼がヒゼキヤ王に大使を派遣したのはその期間中,ユダの同王の第14年(西暦前732年)か,その少し後のことだったかもしれません。ユダヤ人の歴史家ヨセフスを含む一部の人々によれば,メロダク・バラダンがヒゼキヤの健康に対する気遣いを表わしたのは単に儀礼のためではなく,ユダ王国の支持とエラムの支持とを取り付けてアッシリアに対する連合を結ぼうという下心があったからではないかということです。いずれにせよ,ヒゼキヤがカルデア人の使者に王の宝物庫と武器庫を見せたこと(王二 20:13)は,やがてユダがバビロンに征服されることの前兆であるとして預言者イザヤによって厳しく非難されました。―イザ 39:2-7。

アッシリアに打ち負かされる メロダク・バラダンはほぼ12年にわたってバビロンを支配しましたが,その支配の終わりごろ,アッシリアがエラムを撃ち破ったために同王国の主要な支持を断たれ,その後,攻撃を受けてバビロンから逃れることを余儀なくされました。バビロンがアッシリアに敗れたにもかかわらず,メロダク・バラダンはビート・ヤキーンの支配者の地位を保持できたようです。バビロニア王名表によれば,サルゴンの没後2年目に,バビロンの王「マルドゥクアプライッディン」が9か月間(ポリュヒストルによれば6か月)2度目の統治を行ないました。それは,同一の王がバビロンの王座に就く2度目の努力を払ったことへの言及であると一般にみなされています。しかし,そのバビロニアの碑文は「ハビ生まれの人物,マルドゥクアプライッディン」とあるのに対し,先の統治の場合は「海の国の王朝のマルドゥクアプライッディン」となっていることは注目できます。(「古代近東テキスト」,J・プリッチャード編,1974年,272ページ)この2度目の統治はごく短い期間でした。アッシリアのセナケリブ王がバビロンをたちまち占拠し,メロダク・バラダンはエラムに逃げざるを得なかったからです。彼はそこで野心的な生涯を閉じたものと思われます。メロダク・バラダンの失敗にもかかわらず,後代,カルデア人は実に,バビロニア帝国内で優勢な人種集団になりました。

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