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聖書に対する洞察,第2巻
洞-2 「日の出,日没」

日の出,日没

(ひので,にちぼつ)(Sunrising,Sunset)

太陽が地平線上に昇るように見える時,また太陽が地平線下に没して見えなくなる時。これらの時は聖書時代の人々の日常生活において要となる時刻でした。大抵の人にとって,一日の活動は夜明けと共に幕を開け,夕暮れと共に再び幕を閉じました。詩編作者が書いたとおりです。「太陽(は)沈(みます)。あなたは闇を生じさせ,それを夜とならせます。その中を森林のすべての野生動物は進んで行くのです。たてがみのある若いライオンはえじきを求めて,神ご自身からの自分の食物を求めてほえています。太陽が輝きはじめます ― 彼らは退き,自分の隠れ場に伏します。人は自分の働きに出て行き,夕方までその奉仕につきます。エホバよ,あなたのみ業は何と多いのでしょう。あなたはそのすべてを知恵をもって造られました。地はあなたの産物で満ちています」― 詩 104:19-24。

日の出は日照時間の始まりで,イエス・キリストが地上におられた時には日の出から「日中の十二時間」を数え始めました。(マル 16:2; ヨハ 11:9)もちろん,箴言 31章15節の勤勉な女性のように夜明け前から起きていた人も少なくありませんでした。イエスも,祈るために日が昇る前から起きておられたと述べられています。(マル 1:35)日の出になると,都市の大きな城門が開き,男たちは畑やぶどう園に出かけ,女たちは水をくむために井戸に並び,人々は市の立つ広場を埋め尽くし,漁師たちは夜に捕獲した魚を売るために岸に向けてこぎ,その後で自分たちの網を洗い,修繕しました。

一日の通常の活動と労働は日没まで続きました。日没が近づくと,男たちは畑から戻ってその日の賃金を主人からもらい,女たちはその晩に必要な水を持ち帰り,都市の城門は閉まり,見張りの者たちは四つの夜警のうちの最初のものを始めました。一方,市内のあちこちの民家には油をともすともしびの火が揺らぎはじめます。(裁 19:14-16; マタ 20:8-12; 申 24:15; 創 24:11; ネヘ 13:19; マル 13:35)しかし,夕食の後も働き続ける人は少なくありませんでした。勤勉な男女は機織りをしたり,他の家内工芸に従事したりしました。(箴 31:18,19; テサ二 3:8)イエスや使徒たちも宣教やそれに関連した活動を夜まで続けたことがありました。―マタ 14:23-25; マル 1:32-34; 4:35-39; ルカ 6:12; コリ二 6:4,5。

日没は日照時間の終わりでしたが,ユダヤ人にとっては新しい暦日の始まりでした。この暦日は正式には日没に始まり,夕方から夕方までを数えました。(レビ 23:32。マル 1:21,32と比較。この聖句は一日[この場合は安息日]が夕方に終わったことを示している。)ですから,ニサン14日が始まったのは日没で,それから子羊をほふって過ぎ越しの食事をする時間になりました。―出 12:6-10; 申 16:6; マタ 26:20。「過ぎ越し」を参照。

一日は日没をもって終わったので,律法ではその時までに幾つかの事を済ませておくよう要求されていました。質物として取った衣は「日の沈むころには」その所有者に返さなければなりませんでした。(出 22:26; 申 24:13)さらにその時には,雇っている労働者に賃金を支払い(申 24:15),杭に掛かっている死体は取り外して埋葬しなければなりませんでした。(申 21:22,23; ヨシュ 8:29; 10:26,27)また,儀式的に汚れていた人は水を浴びなければならず,日没後に再び清いとみなされることになっていました。(レビ 22:6,7; 申 23:11)日没によって一日が終わり,次の新たな一日が始まったことにより,「あなた方が怒り立ったまま日が沈むことのないようにしなさい」という使徒の勧めは一層意味深いものとなりました。―エフェ 4:26。

太陽が昇ること,あるいはそれが照り輝くことは,時おり比喩的な仕方で用いられています。サムエル第二 23章3,4節では,神を恐れる義にかなった支配者の治世が「太陽が輝き出る朝の光……雲一つない朝の[光]」と同じほどさわやかであると述べられています。(マラ 4:2; マタ 17:2; 啓 1:16と比較。)神の僕たちのために,「あなたを愛する者たちは,太陽が力強く進み出る時のようになるように」との願いがエホバに対して述べられています。―裁 5:31; マタ 13:43; 詩 110:3; ダニ 12:3。ミカ 3:5,6; ヨハ 3:19,20と対比。

「日の出」および『日没』という語は,東から西へという意味で地理的な意味でも用いられています。(出 27:13; ヨシュ 1:4; 詩 107:3; 啓 16:12)「日の昇る所から沈む所に至るまで,エホバのみ名は賛美されるべきもの」と述べる詩編 113編3節はこの意味で用いられています。(マラ 1:11; イザ 45:6も参照。)『日の出から日没まで』という表現には一日じゅうという意味もあるのかもしれません。

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