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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1956
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1956
塔56 4/15 160ページ

読者よりの質問

★ 重大な世の終りの時に,夫婦が避妊の手段をこうずることは適当ですか? また,妊娠した場合,堕胎は許されますか?―いろいろな読者からの質問

国家の法律によつても,神の御言葉によつても,協会は避妊をすすめる権威はありません。その使用に対する責任は,良心的に用いようと決定する人々が負い,それに対する正しい裁きは彼らの仕える神から来るのであつて,私たちが裁くべきではありません。真理に入つている夫婦が,子供を持とうか持たないかを決定すべきであつて,第三者が決定すべきではありません。各夫婦はぞれぞれの状況と見透しを考え,事柄を決定して行うべきです。そして,その行と結果に対しては,神の前に責任を取るべきです。しかし,神の御前における結婚の目的は,子供を産むことです。それは全く確かなことです。それで,夫婦がハルマゲドン前の現在に,子供を欲したとしても,それは全く正しいことであり,何人もそれをとやかく言うべきでなく,他の人の個人的な生活に口ばしを入れてはなりません。また,子供を持たないことをとやかく言つたり,なぜ子供が無いのだろうなどという,いらぬ口出しをすべきではありません。他人は個人的な夫婦の事柄に干渉してはならないのです。

神に奉仕をする際に,子供は足手まといであるから,いない方が良いなどと考えてはなりません。もしそうなら,パウロは『女は……子を産むことによつて救われるであろう。』とは書かなかつたでしよう。また,特定の環境にいた婦人に『子を産む』ようにはすすめなかつたでしょう。(テモテ前 2:15; 5:14,新口)それと類似した状態の下で,パウロの助言は今日でも適用します。人間が結婚しそして神の定め給うた自然の道に従つて子供が産まれるなら,ハルマゲドン生残者に生めよ,殖えよの神命が与られる以前の現在でも,その子供の出産をよろこぶべきです。あなたも,現在の悪しき世に生命をうけたこを感謝しています。それで,あなたの子供たちも,同じ理由で感謝するでしよう。

堕胎をすすめることは,国家の法律に違反します。それに,堕胎は神の御言葉に反対しています。堕胎をする人は,重い責任を全部負います。イスラエル人と結ばれた神の契約によれば,胎の実は神の祝福の表われであり,不妊は呪でした。(レビ 26:9。申命 28:4,11,18,63。詩 127:3-5)神は胎児の生命と姙婦の生命を重んじています。人がもし胎児の生命か姙婦の生命に,誤まつて,危害を及ぼすような場合でも,その人には重い罰が課せられました。それは,モーセの律法である出エジプト記 21章22-25(新口)に示されています。『もし人が互に争つて,身ごもつた女を撃ち,これに流産させるならば,ほかの害がなくとも,彼は必らずその女の夫の求める罰金を課せられ,裁判人の定めるとおりに支払わなければならない。しかし,ほかの害がある時には,命には命,目には目,歯には歯,手には手,足には足,焼き傷には焼き傷,傷には傷,打ち傷には打ち傷をもつて償わなければならない。』

夫である将来の父親が一番の影響をうけました。それで,その女の夫は一時的な傷害に対して危害者に罰金を課しました。しかし,子供の生命か産婦の生命が失われた場合には,その事態を引き起した者は自分の生命で償わねばなりません。間ちがつて,産婦に害を及ぼすことがそんなにも重大事であるなら,意識的にすることはもつと大きな罰をうけます。私たちは,モーセの律法下にいませんが,しかしこのような場合における生命の神聖さに関して神の御心が変ることはありません。この事柄に関して,クリスチャンの原則は昔の律法以上に厳しいものです。―マタイ 5:38-42。

それで,胎児や姙婦に傷害とか死がおよぶような事柄について,ものみの塔協会はそれをすすめる提案を与えません。堕胎には出血や病毒伝染という危険がともない,母体に不治の傷害や死をもたらします。堕胎は胎児の成長を中止して,胎児を殺すことです。もし堕胎しなければ,その胎児は神の創造の定めに従い,正常に人間に生まれてくるでしょう。胎児の成長の程度から判断して堕胎の善悪をきめるという考えは全く駄目なものです。神は出エジプト記 21章22-25節で述べられた律法にそのような制限をつけていません。昔の律法によると,胎動のある場合に堕胎がなされると,堕胎罪が成立しました。現代の法令も聖書のその掟にかなり近いものです。『胎動の前または後に堕胎がなされるなら,それは土地財産を没収せらるべき犯罪行為である。』― クラーク著『アメリカ法典集摘要』(英文)122頁

各夫婦はこれらのことをよく慎重に考え,それから自分たちの行動を決定し,最高の神をよろこばすように行わねばなりません。問題は彼らのものであり,決定は彼らのものであり,その結果も彼らのものです。このことに関する決定や責任を,他の人やものみの塔協会に押しつけることはできません。このような事柄については,『人はそれぞれ,自分自身の重荷を負うべきである。』― ガラテヤ 6:5。

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