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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
塔54 6/15 230–236ページ

『贖いによる解放』

『彼によつて,彼の血を通じて,私達は贖いによる解放を得,私達の罪過の赦しを得る。これは彼の豊かな仁慈の富によるものである。―エペソ 1:7,新世

1 律法の下で献げられた犠牲はどうして実際の『解放』が出来ませんでしたか? しかしそれは何の目的のためでしたか?

罪の中に生れ,邪曲の中に形づけられた人間は,罪の中に生き,罪の刑罰である死の運命を与えられました。イスラエルに与えられたモーセの律法の下で,民の罪は,大祭司の手で献げられた獣の犠牲による模型的方法によつて赦されました。しかし本当の意味で牡牛の血は,罪の刑罰である死から永久性のある実際の解放を致しませんでした。何故なら律法に従つたすべての者も結局は死んでしまつたからです。その上犠牲は規則正しい一定の間隔を置いて繰返し献げなければなりませんでした。律法の契約は実際は『来らんとする善き事の影』であつて神が御子イエス・キリストを通じて為し給う事を図解していたのでした。(ヘブル 10:1-3)『そこで律法は,私達が信仰によつて義しいとされるために,キリストに導く私達の守役となつた』― ガラテヤ 3:24,新世。

2 律法の下で,血はどんな重大な役を演じましたか? しかしイエスが来ることによつて,どんな大変化が行われましたか?

2 しかし律法の取極の下でさえ,義しさはただ血を流すことによつてのみ与えられました。イエスの犠牲と贖いを観察する場合に私達は『血を注ぎ出すのでなければ赦しは行われない』という聖書の明瞭な記述を心に留めて置かなければなりません。それこそイスラエルが罪からの年毎の解放を得るために,模型的な意味で,大祭司を通じて獣の血を引続き献げた理由です。しかしイエス・キリストが来ると共に大変化がありました。何故なら『彼は山羊や小牛の血でない,御自身の血をたずさえて,只一度だけ聖所に入られて,私達のために永遠の解放を得られた』(ヘブル 9:22,12,新世)もはや獣の血を定期的に献げることは不必要でした。何故ならこれらの獣の犠牲が前影となつていたところの真物が来て,永遠の解放を確立されたからです。今は贖いによるその解放の利益を受ける資格を作ることが問題なのです。

3 どんな点でイエスの犠牲は最上のものでしたか?

3 人類の罪のための宥めをし,そして解放を成すためにイエス・キリストが入ることは,地上のどこかの宮に入ることではありません。『実にキリストは真物の模型であるところの手で造つた聖所には入らずに,〔イスラエルの大祭司がしたように〕今私達のために神の御前に現れようとして,天そのものに入られたのである。……キリストは多くの者の罪を負うために,ただ一度だけ献げられた』(ヘブル 9:24-28,新世)キリストがその復活に続いて,彼が注ぎ出された完全な生命の血の功績を献げるために行つた所は,天のヱホバ神の御前でした。そしてこれは,人類の中でその贖いの功績を信ずる者らのために永遠の解放を成すために行われました。ペテロはイエスの流された血が贖いの功績を備えたのであることを確証しています。『あなた方が先祖たちから伝えられた無益な行いの様式から贖いによつて解放されたのは,銀や金のような朽ちる物によつてではなくて,かえつてそれは瑕のない,汚点のない小羊のような貴い血,即ちキリストの血によつてであることを,実にあなた方は知つている。』― ペテロ前 1:18,19,新世。

4 イエスの犠性的死を不必要と考えることは何故愚かですか?

4 このように犠牲的死によつて注ぎ出された完全な人間イエスの生命の血は,それを信ずる者らを救う功績があるものと見られています。この故に世の救いのために必要なのは,犠牲に供された血であつて,単なる『クリスチャン福音の深遠な,真実の,永遠の真理』ではありません。流された血なしでは解放はあり得ません。聖書はこの真理を特に目立つて強調しています。そこでイエスが自分で犠牲となる道筋は,彼が世の救い主となることには本質的には必要ではない,と見ることは,本当に愚かです。もしも流された血の功績が何人のためにも適用されないなら,人間は永遠の生命を得る希望を持つことが出来ません。イエス・キリストの完全な生命の血は,アダムが失つた生命価値に相当しました。イエスが死からよみがえつて昇天した時に,彼は完全な人間の生命の権利とそのすべての有望な前途とを所有していました。丁度アダムが不従順によつて人類のために失つたところのものと全く同じものを……。イエスは神の御前にこの贖いの価を差出し,それと引換えに,人類のうちより受ける値打のある者共に永遠の生命を得る機会を与えました。―ロマ 5:15-19。

5 どんな大きな質問が提出されますか? そして間違つた見解がどのように人々に害を及ぼしますか?

5 これは先ず,誰が贖いによつて利益を受けるか,という質問を起させます。善い人であろうと,悪い人であろうと,すべての人が利益を受けますか? 御子を与えられたことを心付かせることは,すべての人に対する神の偉大な愛ではありませんか? それは,アダム自身も,そして悪魔さえも含むすべての者が最後には救われるという,多くの人の持つ見解を支持するのではありませんか? 断じてそうではありません。何故なら何物も真理より上のものはあり得ないからです。そのような万能の救いの理論を保持することは人々に大きな害を及ぼします。何故ならそれは贖いの真の目的に対して人々を盲目にするからです。それは人々を油断と無責任の偽りの気持の中に寝込ませてしまいます。何故ならそれは,彼らが何を為そうと,どのように生活しようと,そんな事はどうでもよいのであつて,最後には万事よく成るであろうと彼らに告げるからです。『すべての者のための救い』という信仰を持つことによつて,彼らは,神の御目的を調べる必要を見落し,そしてどんな基礎の上に彼らがイエス・キリストの『血を通じて,贖いによる解放』を得るに資格づけるかを確める必要を見落してしまいます。

6 どんな簡単な事実が,その正確な見解を支持していますか?

6 一寸止めて,或る簡単な事実を考え,調べて下さい。イエスが地上に居て,悔改めを宣べ伝えた時,或る者らは彼の言う事を聞いて信じ,そして他の者らは彼の教えを軽んじました。信仰を以て彼に聞き,「彼の試練の時に彼に固く着いていた」者らに向つてイエスは御国における偉大な祝福を約束しました。(ルカ 22:28-30,新世)そして彼は,他の羊たちもまた後になつて,信仰を以て聴き,祝福を受けるであろうと言いました。しかし彼を取り巻いて,彼の音信を嘲り,彼がキリストであるかどうかを知りたいと要求した不信仰のユダヤ人たちに向つてイエスは答えました。『私はあなた方に告げたけれど,あなた方は信じない。……あなた方は信じない。それはあなた方が一人も私の羊でないからである。私の羊たちは私の声を聞く。そして私も彼らを知つている。そして彼らは私に従いてくる。そして私は彼らに永遠の生命を与える。そして彼らは決して永遠に亡ばされないであろう』(ヨハネ 10:16-30,新世)それらの信じない人々は,後にイエスを石で打つて殺そうとしました。贖つて永遠の生命を与える約束は,このような人々には絶対に与えられないで,ただ信じる人々,即ち,『羊たち』だけに与えられました。

7 マタイ伝 23章の記録は,『すべての者のための救い』を信ずる人々に対して,困惑させるどんな状態を提出していますか?

7 『すべての者のための救い』を提案する人々は,イエス時代の偽教師たち,即ち学者らやパリサイ派の人々に向つてなしたイエスの痛烈な証言に,その目を閉じなければなりません。彼らは神を崇拝すると主張しながら各種の悪い事を行いました。イエスは彼らのために善い事を何も予言しないで,ただ災いの上にも災いの来ることを予言しました。彼らの歩んだ悪い道筋<コース>のために,ヱホバの御手によつて行われるゲヘナ(滅亡)の審判を逃れることが全く出来ないことを,イエスは強く指摘しました。それでも,イエスが彼らに贖いを備えるために死んだのであると言うでしようか? 彼らは贖われたり滅ぼされたり,両方をすることが出来ましたか? 確かにそうではありません。これは良く考える人ならばどんな人も認めなければならない通りです! イエスは彼らが罪に定められたことを彼らに告げました。故に彼らに贖いはあり得ませんでした。―マタイ伝 23章新世。

8 弟子たちに与えたイエスの教訓は,どんな見解を支持していますか?

8 イエスが弟子たちに与えた教訓は,贖いは個人的にすべての人々に適用されるのではないという真理に重みを加えています。何故なら彼はこう言いました。『人がもしあなた方を迎え入れず,またはあなた方の言葉を聞かないならば,その家またはその町を出る時に足の塵を払い落しなさい。ほんとに私はあなた方に言う。審判の日には,その町よりもソドムとゴモラの地の方がはるかに耐えやすいであろう。』(マタイ 10:14,15,新世)彼は,信じない人々や故意に悪を行う人々を贖うことが全く不可能であることを,鋭く指し示しました。何故ならソドムとゴモラはまつたく罪を宣告され,亡ぼされて,絶対に回復される可能性がないからです。

9 サタン,アダムの立場と一般人類の立場との間に,どのような違いがありますか?

9 サタン,悪魔はよこしまと悪の上に基礎を置くこの世の神です。彼は自分で巧らんだ,故意の犯罪者であり,神の主権の違犯者であります。彼のためには回復は全くなく,定まつた滅亡があるだけです。人間アダムも故意に巧らんで,サタンが取つたと同じ叛逆の道筋<コース>を選びましたので,神は正しく死を宣告しました。しかしアダムの子孫の場合は立場が違つています。何故なら彼らはアダムの故意の行為の結果として罪の宣告の下に生れたからであつて,彼ら自身で行つた事のために罪の宣告を受けたのではありません。(ロマ 16:20。黙示 20:10。ホセア 6:7。ロマ 5:14)この故にヱホバは彼等のために,イエス・キリストの贖いによる解放によつて,この奴隷状態から回復する機会を準備しました。

10 贖の利益を得る者の生活に,どんな変化が来なければなりませんか?

10 イエスが善い音信を宣べ伝えられた時代に,アダムの全子孫が生きていて,聞いて信じたのではなく,それですからすべての者が,イエスが後に有効にしたところの贖いの下に来たのではありません。これに反して,信じた人々の場合には,使徒たちのように,彼らの生活に驚くべき変化が起りました。故に今日贖いによつて遂に利益を得る人々は,まず最初に彼らの生活に変化を来さなければなりません。それは,悪を慎み,中庸を保ち,又は目に余る悪事から離れて超然たる立場を保ちながら,このようにしてその人自身の努力によつて築き上げられた美しい人格によつて贖いを得ることを望むということより以上の事を意味しています。むしろそれは,イエスが宣べ伝えた善い音信,そしてイエスが約束された通りに今日では全地に宣べ伝えられつつある善い音信を,聞いて信ずることを必要とします。それは,新しい世を建てるためにヱホバ神が為された全部の取極めを支持して,積極的に活動することを意味します。悪魔および彼と同様の心を持ち故意の罪人となつた人々は,新しい世を支持しないでしよう。彼らは贖いによる利益も受けないし,また彼らを死へ追いやるところの利己的な心の束縛から解放されることも決して経験しないでしよう。

11 『羊』と『山羊』の譬は,贖いが制限されていることを,どのように示していますか?

11 御国の音信が宣べ伝えられる結果として地上の民が,羊と山羊の二つの級に分けられることを述べた中で,イエスは『山羊』級が受ける滅亡と,『羊』級が受ける贖いと生命を予言しました。一人のアダムの罪が,すべての人に死をもたらしたという事は一般に承認されるでしよう。しかし『一つの義の行い〔イエス・キリストの行つた役目〕によつて,すべての種類の人々が義とされ,生命を得ることになる』という事も等しく真実です。(ロマ 5:18。マタイ 25:45,46。ヨハネ 3:36。新世)これらの『すべての種類の人々』というのは,イエス・キリストの贖いの功績を聞いて信ずる『羊』たちのことであつて,彼らはその行いと生活の方法によつて,彼らの信仰を示します。これらの者は,彼らのために適用されるイエスの血の贖いの功績を有する人々です。何故なら彼らはそれの価値を認め,そしてヱホバがその御言葉の中に指定して置かれた条件に基いて,それの恩恵を受けることを請願するからです。

12 追加されたどんな事実が,贖いに制限のあることを示していますか?

12 これらの『羊』は,たとえ彼らの信仰が何であり,彼らの生活上の習慣が何であるにも拘らず,すべての国々のすべての人を含んでいない事に,よく注意して下さい。実際そうではないのです。何故ならイエス・キリストの主要な目的が非難された父の御名を証明することであるという事を,私達は記憶していなければならないからです。同様に,これと一致して贖いの主要な目的は,人々をその信仰と献身によつて死の刑罰から買受ける,又は買い戻す権能をイエスに与えることであつて,それは悪魔が噓言者であることを立証することになります。もし或る人々が故意に悪に沈溺し,聖書の救いの音信を完全に無視することによつて自分自身が真理と正義に敵対している事を示すなら,彼らがキリストの贖いの功績を望むことが出来ないのは当然のことです。『この組織制度の完全な終りにおいても,これと同じであろう。御使たちが出て行つて,義しい人々の間から悪人をえり分け,彼らを燃えている炉に投げ入れるであろう』― マタイ 13:49,50,新世。イザヤ 26:10。

13 贖われることは選ばれるということについて,聖書はどのように示していますか?

13 贖いによつて買われることは,選ばれるのであると聖書自体良く注意しており,イエスについてこのように言つています。『あなたは屠られて,その血を以てあなたはすべての種族と,各言語の民と民族と,国民の中から,神のために人々を買い取られた』(黙示 5:9。新世)クリスチャン会衆,天の『王なる祭司職』のために買い取られ,贖われた人々は,すべての種族,各言語の民,民族および国民の中から出て来た『人々』であつたことに注意して下さい。全部の民族と国民がことごとく皆買われるのではありません。何故そうではないのですか? 何故なら彼らは贖いに適わしい資格を付けないからです。贖いに適わしい資格を付けるには,心の正しい人にも,それはやさしいことではありません。何故なら信仰の大きな試みが伴うからです。『もし義人が辛うじて救われるのであるならば,不信の人や罪人は一体何処に出頭するであろうか』― ペテロ前 4:18,口語。

14 すべての人に贖いが有効であることを,更にどんな聖書の記録が支持していますか?

14 贖われた人々についての似たような光景が黙示録 7章9節に述べられていますが,彼らはすべての国民と種族と民族と各言語の民から来るのです。そうです。『すべての種類の人々が救われて,真理の正確な知識を得ること』は神の御心です。(テモテ前 2:4,新世)故に神は贖いの方法によつて生命を得る機会を彼らに与えるのに,決して差別の取扱いを致しません。しかし神は人々の選択に反して彼らに贖いの利益を無理に押しつけません。神は人々に何の義務をも負いません。何故なら『すべての者は罪を犯したので神の栄光に達し得ない』からです。しかし神は仁慈を以て生命を賜物として呈供されます。何故なら『彼らが義しいと宣言されるのは,キリスト・イエスによつて支払われた贖いによる解放を通じて,受け切れないほど大きな御親切によるものであつて,それは無料の賜物として与えられるものである』からです。しかし人々は,使徒パウロが為したように,その賜物を探し求めて,感謝してそれを受け入れなければなりません。パウロはこう感嘆しました。『この言い表し得ない無料の賜物に対して神に感謝する』― ロマ 3:23,24。コリント後 9:15,新世。

15 『大いなる群衆』の中にすべての人々を含むことが出来ないのは何故ですか?

15 黙示録 7章9節の『大いなる群衆』は『その衣を洗い,小羊の血によつてこれを白くし』,そしてこの故にその血の贖いの功績は彼らのために適用されたので,彼らは神の御前にあつて恵まれた立場を有する者として示されています。贖いによつて利益を受ける者として描かれているこの群の中には確かに人間や御使たちの内の故意の悪者は一人も含まれていません。そのような事は決して出来ません。何故なら悪者は全然神に奉仕しないからです。しかし,この『大いなる群衆』は『昼も夜も神に聖い奉仕を致す』と述べられています。彼らは至る所から来た人々であつて,彼らは善い音信を聞いて,光の中を歩むためにこの世の暗黒から離れたのです。そしてヨハネが言う通り,『神が光の中に居られるように,もし私達が光の中を歩むならば,私達は,互に交際を持つのであつて,御子イエスの血はすべての罪から私達を潔めてくれる』― 黙示 7:14,15。ヨハネ第一 1:7,新世。

16 神は御子を与えるほどに何の『世』を愛しましたか? そしてこれに関して各人は何を表わし示さなければなりませんか?

16 そこで,神がその御子を与え給うたほどに愛された世とは,明らかに正義の新しい世のことでした。神はこの新しい世の建設の基礎を準備するために御子を与え,彼の血を注ぎ出させ給うたのです。生命の無料の賜物を受け,そして人類共通の父アダムから受け継いだ罪と死の宣告から解放された人々の住む世は,今や極く近づいています。そしてこれに関して各人は,信仰を正しい行いによつて,自分のために贖いの功績が適用されるように,その個人的願いを表わし示さなければなりません。それで,すべての人各自に対して『贖いによる解放』であるということは,全然間違いということになります。何故ならすべての者が神に奉仕し,無料の賜物を受け入れることを選ばないからです。それでは解放されるためには何が必要ですか?

17 アブラハムの立場は,どのように私達の立場と同一でしたか?

17 さて,私達はアブラハムが持つたと同じ信仰を持たなければなりませんし,また彼のように私達もその信仰を行いによつて裏付けしなければなりません。アブラハムはヱホバを信じました。そして『それによつて彼は義とされた』(創世 15:6,新世)アブラハムはその信仰によつて神の御前に善い立場を得ました。そしてこの故に彼は復活と新しい世の生命の祝福とを当然受けられます。それはキリストの贖いによつて可能とされました。パウロはこの言い方を次のように証明しています。『「義とされた」と記されているが,しかしそれはただ彼のためにだけ記されたのではなく,また義とされる運命を持つ私達のためにも記されたのである。何故ならば私達は,私達の主イエスを死人の中からよみがえらせ給うたお方を信ずるからである。彼は私達の罪過のために渡され,私達を義とするためによみがえらされ給うたのである』― ロマ 4:22-25,新世。

18 何故贖いは,過去の時代の信仰の人々を助けるでしようか?

18 パウロ自身と,イエス時代の他の信者たちは彼らの地上の生命を犠牲的に投げ出しました。何故なら彼らはすべて神に忠信を尽して死んだからです。アブラハムの信仰のように,彼らの信仰は神に義とされました。それによつて彼らは恵まれた立場に立ち,『贖いによる解放』を受け,やがて与えられる贖いに伴うすべての利益を受ける立場に立つたのであります。キリストの仲間の犠牲者として忠信を立証する故に,彼らはキリストと共に御国の栄光の共同の世嗣になるために,天の生命への復活を受けるでしよう,アブラハムと同様に忠信の人であつたダニエルは,キリストの初臨以前に死んだけれど,しかし神の御前における彼の正しい立場は決して見捨てられないであろうという約束が彼に与えられました。神は言いました。『汝は安息に入り,日の終りに至り,起ちて汝の分を受けん』(ダニエル 12:13)神の記憶の中に保たれるのは,すべてこのような信仰の人々です。そしてイエス・キリストの贖いは,今間近かに迫つている新しい世の新しい地で彼らを助けるでしよう。

19 今日すべての人の前には,どんな大きな選択の道がありますか?

19 今日この古い組織制度の終りは近づきました。それはすべての国民に対する最後の警告の時を指示していると共に,また善意を立証するすべての人々のための完全な『贖いによる解放』が間近かに迫つていることを指示しています。私達すべての者の前には大きな選択の道があります。即ち神の賜物を受入れるか,又はそれを投げ捨てるかです。イエスの正確な予言の通り,御国の善い音信は証言として全世界に宣べ伝えられつつあります。(コリント前 10:11,マタイ 24:14,新世)善い音信を聞く人々は,御国の偉大な祝福の中に彼らの希望を定める前に,彼らは先ず流されたイエス・キリストの血を信仰しなければなりません。彼らはその新しい世の生命に至る道を開いたイエスの血の効力を認識しなければなりません。彼らは『神と人との間に一人の仲保が居られる,即ち人間キリスト・イエスである。彼はすべての種類の人々のための,相当する贖いとして御自身を与えられた』ということを確と納得しなければなりません。(テモテ前 2:5,6,新世訳欄外)彼らは溢れるばかりの大きなヱホバの御親切によつて,キリストを彼らの救い主として信ずることを告白しなければなりません。そしてヱホバの御言葉の中に概説されている道に基いて,イエス・キリストを通じて神に近づこうと努めなければなりません。これは聖書中に定められている正義の原則に基いて,キリストを通じてヱホバに献身し,神の忠実な僕になつて,その信仰を行いによつて示さなければならぬことを意味します。

20 単なる信仰の言い表わしだけでは何故拒絶されますか?

20 それは,手を振り上げて,私は救われているのですと言う,感情的な宗教的『信仰復興<リバイバル>集会』に参加することよりも,更にそれ以上のことを意味します。それは,口を開いて『はい,私はイエス・キリストを信じ,流された彼の血を信じます』と言うことよりも,更にそれ以上のことを意味します。もしも,そうすることがすべてであつたなら,酔ぱらい達や姦淫者達や偶像崇拝者達や殺人者達も含めた誰でもがそれを行うことが出来ます。しかしそのような種類の人々は贖いに適わしい資格を持つことが出来ないと,聖書は明かに断言しています。(コリント前 6:9。ガラテヤ 5:20,21,新世)そうではなくして,むしろそれは新しい型の生活状態を開発させ,古い型の生活状態を取り除くことを意味します。それはヱホバの御言葉の一定不動の原則に支配されて行動し,生活するように良心的な努力をすることを意味し,そして正義の新しい世に対するその人の希望と願いを固く保つことを意味します。それは,この現在の腐敗した組織制度について次のように言つた使徒ヨハネの忠告に従うことを意味します。『世をも,また,世にある物をも愛するな。もしも誰でも世を愛するならば,父の愛は彼の中にない。……その上,世とその慾望とは過ぎ去りつつあるが,しかし神の御心を行う者は永遠に存続する』― ヨハネ第一 2:15-17,新世。

21 それでは何を行うべきですか?

21 それでは,どのようにすべきですか?『古い人格をその常習と共に脱ぎ捨てて,新しい人格を着なさい。この新しい人格は正確な知識を通じて,その人格を造り給うたお方の像に従つて新しくされるのである。……キリストの平和があなた方の心を支配するようにしなさい。……キリストの言葉があなた方の中に豊かに住むようにしなさい。……そしてあなた方が言葉において,または行いにおいて為す事は何でも,すべて主イエスの名によつて為し,彼を通じて父なる神に感謝しなさい』― コロサイ 3:9-17,新世。

22 あなたはそうすることが出来ますか? 何故ですか? そしてどのようにですか?

22 もしもあなたがこれを行うなら,あなたは光に歩き,そしてあなた自身に救いを保証する生活の型に従つているのです。しかしあなたは言います。『どうしてこれを行うことが出来ますか? 古い世の習慣に馴らされている私の全生活を,このように完全に変えることが私に出来るでしようか?』。はい,出来ます。そうでなければイエス・キリストはすべての種族,各言語の民およびすべての国民たちの中から,あらゆる種類の人々を救うために死なれなかつたでしよう。そしてもしも彼らが生活を変えて,新しい生活の型を切り開くことが出来なかつたならば,彼らはイエス・キリストの贖いによつて利益を受けることが出来なかつたでしよう。故にあなたはそうすることが出来ます! この故に『神はその僕を生み出された後に,あなた方一人一人を悪い行いから引きもどして祝福するために,先ずあなた方に彼を遣わされたのである』『故にあなた方の罪が拭い去られるために,悔改めて帰つて来なさい。それは,ヱホバから元気回復の時期が来るであろうから,そして神はあなた方のために定めて置かれたキリスト・即ちイエスを遣されるであろうからである。神が古代の聖なる予言者たちの口を通じて語られたところの,万物復興の時まで,天はたしかにイエスを保つていなければならない』― 使行 3:26,19-21,新世。

23 出発点は何処ですか? そして包有される心はどのようですか?

23 あなたはどのように始めますか? そうです。あなたは先ずすべての偽の宗教的考えを取り除きて,すべての人に適用されるイエスの贖いに関係を持たなければなりません。そして神の承認を得るために,あなた方すべてが行う必要のある事は,上品な礼儀正しい生活を行い,そしてあなた方が人からこうしてもらいたいと思う通りに,あなた方もまた人に行うことであると,あなた方に告げる教えを取り除きなさい。そうです。あなたの全生活に亙つて教え込まれたこれらの考えを取り除きて,聖書の正確な教えをあなたの心に満たし始めなければなりません。あなたは『この組織制度に倣うことを止めて,心を入れ変えて新しくし,善い,悦ばしい,完全な神の御心を,あなた方自身で証明』しなければなりません。(ロマ 12:2,新世)始めるのはあなたの心からです。それで,偽宗教のどんな種類の混ぜ物もしないで,神の御言葉の真理を吸収しなさい。この真理はあなたの心の中にもまた溢れるでしよう。そしてそれは正しい行いをあなたに行わせるように励ますことによつて,救いの道へあなたを進ませるでしよう。

24 もしもこの賢明な道筋によつて,今あなたが完全にならないなら,その道筋はあなたに何をしますか?

24 これはあなたが今肉体において完全になることを意味しません。またそれはあなたの高い道徳生活のために,あなたを称讃するすべての人に感嘆されることを意味しません。しかしあなたが神の御前に正しい立場を持ち,神に対するあなたの奉仕が神に悦ばれることを意味します。この故にキリストの贖いの功績はあなたのために適用されるでしよう。何故ならあなたは正しい方法でそれを探し求めるからです。あなたの信仰はあなたの行いの中に明かになるでしよう。そしてあなたは過去と現在双方の,他の忠信な神の僕たちと共に,あなたの地位を占めるでしよう。そしてあなたは『私達の主イエス・キリストを通じて神との平和を喜ぶのであつて,私達は彼を通じて,信仰によつて,今受けているこの分外に大きい御親切に入ることが出来たのである』― ロマ 5:1,2,新世。

25 それはあなたにどんな知識と信頼をもたらしますか?

25 このような立場で,神の驚くべき救いの道を研究するためにあなたの精神と心を注ぎ続けるならば,あなたはどんな事が起ろうとも決して震われないでしよう。(ロマ 5:3-5)新しい世のために,そしてそれに入ることを探し求める人々のために示される神の偉大な愛を十分に覚つて,あなたはヱホバ神に十分に信頼するでしよう。あなたは次のことを知つて,勇気づけられるでしよう。『私達がまだ罪人であつた時に,キリストは私達のために死んで下さつた,そしてこのことによつて神は私達に対する御自身の愛を示された。それ故に私達は今や彼の血によつて義とされたのであるから,まして彼によつて怒りから救われないはずがない。もし一人の罪過によつて死がその一人を通じて王として支配したのであるなら,まして受け切れぬ御親切と義の無料の賜物を豊かに受ける人々は,一人の人イエス・キリストを通じて生命にあつて王として支配するに違いない』― ロマ 5:8,9,17,新世。

26 どんな状態に戻ることを,あなたは防がなければなりませんか? 何故ですか?

26 あなたは,神があなたのためにイエス・キリストの贖いの功績を適用しなければならないという偽の信仰の安心感の中に眠り込まされないで,かえつてあなたは,贖いによる十分な解放は奇しい賜物であつて,神が備えられた狭い道によつてそれを探し求める人々だけに与えられるであろうということを認識するでしよう。故にあなたは悪い道と古い世の習わしに戻ることと,故意にもう一度罪の中へ飛び込むことは,ただ死に落入だけであることを知つて,そうすることを防ぐでしよう。『私達が真理の知識を得た後,もし故意に罪を犯すならば,もはや罪のためにどんな犠牲も残されていない。ただ定まつた審判を恐れながら待つことと,逆う人々を焼きつくそうとしている火のような烈しい心配とがあるだけである』― ヘブル 10:26,27,新世。

27 贖いを準備される神の御目的を理解する鍵は何ですか?

27 それについて過ちのないように,ヱホバ神は人類の贖いを準備するのに,はつきり確定した御目的を有しています。その御目的に対する鍵は神御自身の偉大な御名の証明の中にあります。ヱホバ神を崇拝する人間の社会を再び始めることを含めて,新しい世を建設するということは,ヱホバ神が永遠の主権者であることを立証する神の御目的の一部であります。これは,何故神がイエス・キリストによつて贖いの価を支払うことを取り極められたかを理解する助けとなります。何故ならそれを通じて,核心となる人々がハルマゲドン後の『新しい地』に参与する資格を付けることが出来,そして彼らが子供を生んで,神の道に従つて子供等を薫陶することが出来るからです『すべての種類の人々に救いをもたらす神の溢れる御親切は既に現わされて,それは,不敬虔と世の慾とを捨てて,この現在の組織制度の真只中で健全な心と正義と敬虔を以て生活することを教え,同時に幸福な希望と偉大な神と私達の救主キリスト・イエスとの栄光ある顕現とを待ち望ませるものである。彼は私達のために御自身を与えられたが,それは贖いによつてすべての不法から私達を解放し,善い業に熱心な彼御自身の特有の民を彼のために潔めるためである』― テトス 2:11-14,新世。

28 イエス・キリストのどんな出現が,祝福と艱難の両方の時となるでしようか? そして今すべての人はどんな調べをしなければなりませんか?

28 ハルマゲドンにおける神と御子イエス・キリストの次回の顕著な表明は,イエス・キリストの贖いの功績に適わしい資格をつけぬ人々には,喜ばしい事ではないでしよう。その表明はヱホバの側の正しい行為でありましよう。何故なら,『主イエスがその能力ある御使たちと共に,燃える火の中に,天から現われ給う時,あなた方に苦難を与える者らに苦難を以て報い,苦難を受けるあなた方には私達と共に安息を以て報いて下さるのは,神の正義であるからである。その時主イエスは,神を知らぬ者らと私達の主イエスについての善い音信に従わぬ者らに正当な刑罰を与え給う。これらの者らは,主の御前から,主の力の栄光から離れて,永遠の滅亡という処罰を受けるであろう。その時,その日に,主はその聖い者らによつてほめたたえられ,信ずるすべての者によつて驚異を以て敬われるために来られる。何故ならば私達が与えた証言はあなた方の間で信ぜられたからである』(テサロニケ後 1:6-10,新世)神はすべての人々を救わなければならぬ,という教えによつて眠りに引き込まされないようにしなさい。神はそのようなことをしないでしよう! しかし神は,神が定められた条件に基いて贖いを受け入れる『すべての種類の人々』のために贖いを有効にされます。あなたがそれらの条件に適合するかどうか調べなさい。何故なら,それはあなたの生命を意味するからです。

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