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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1955
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1955
塔55 10/15 384–386ページ

日常実行できる聖書の原則

どんな時でも一番大切な本である聖書! 実際聖書について,あなたはどれ程のことを知つていますか? あなたは聖書により,どのように仕合わせになり,健康になり,満足するでしょうか? あなたは聖書をどう考えますか? この記事の中には,はつきりしていて,しかも分り易い答が書かれています。

聖書の原則は今日実行することができるだけでなく,生活の良い導きであると,あなたは考えますか? ある人々は,聖書の原則が実用的でないと考えております。他の人々は,そうは考えないものの,その挙動の示すことから見ると,聖書の原則は今日実用的であるとは信じていないようです。しかし,聖書の原則は実際に行うことのできるものであり,あなたの生活をより健康なもの,仕合わせなもの,より楽しく長くするものです。まつたく確信してそう言えるのです。

例えば,子供の訓育についての聖書の原則に従うなら,青少年犯罪はなくなります。家庭生活についての聖書の原則に従うなら,離婚や家庭分裂などはなくなります。聖書の教えに従うなら,心配,敵意,劣等感,しつと,その他の感情はなくなります。さらに,すべての人が聖書を真実に信ずるなら,宗教的な意見対立というものはなくなります。これらのことは実際的な事柄です。それはあなたの毎日の生活に直接ひびく問題です。しかし,それはまだ最初にすぎず,聖書からはもつと多くの事柄を知り得ます。そのことは,この記事の中で研究されますが,まず聖書の原則はあなたの日常生活をどのように改善するかを調べてみましよう。

家族生活,子供のしつけ,道徳

家族生活についての聖書の教えは,要を得て簡単であり,しかもはつきりしています。だれでもその教えが分り,行うことができます。家族の他の者に関係する部分ではなく,あなた自身に関係する部分に注意しなさい。その教えを行いなさい,そうすればあなたの家族生活はもつと仕合わせなものになります。『妻たちよ,夫に従いなさい。それは主にある者にふさわしいことである。夫たちよ,妻を愛しなさい。つらくあたつてはならない。子供たちよ,なにごとにも両親に従いなさい。これは主によろこばれるものである。父たちよ,子供たちを,気落ちさせないように,じらしてはならない。』(コロサイ 3:18-21,新世)家族の他の者がこの聖書の教えを行わないからと言つて,あなた自身,自分の生活に実行する必要はないと考えますか? それなら,彼らの行うべき本分は,あなたの責任になるのではなく,あなたは自分の行うべき本分に責任を取らねばなりません。あなたの態度が変るなら,家族の他の者の態度は変りますか? あなたは正しい模範を示していますか? それとも悪い模範を残していますか? あらゆるものを正しくするこの良い教えに従うなら,争いはなくなり,そして家族の分裂はなくなるでしよう。試してごらんなさい! 聖書の教えは,たしかに行えるものです!

子供のしつけについての教え? 子供たちを正しくしつけるのは,両親の責任です。『子をその道に従いて教えよ。然らば,その老いたる時も之を離れじ。』正しい親の権威を行使しなければなりません。『子を懲すことを為ざるなかれ。鞭をもて彼を打つとも死ぬることあらじ。もし鞭をもて彼をうたばその魂を陰府より救うことをえん。』しかし,親の感情をしづめようとして,怒りの気持ちから為されるべきではありません。懲しめには,憐れみ,正義,愛が加味されるべきであつて,しかも終始一貫していなければなりません。丁度,ヱホバの懲しめに憐れみや,正義や,愛が加味され,そしていつも終始一貫しているのと同じようにすべきです。正しい模範を示して,かつこの責任を正しく果している両親には,青少年犯罪の問題がありません。―シンゲン 22:6; 23:13,14。

大人の道徳と,刑務所を充ち溢れさせる多くの犯罪についてはどうでしようか?『自分のごとく隣人を愛しなさい』といういましめに従うなら,問題はことごとく解決されます。人々はそのいましめになぜ従つていませんか? それは,前の記事が示すように,宗教指導者たちが今日その原則に従う重要性を教えていないからです。真のクリスチャンは,その教えにたしかに従います。さらに,コリント人に与えられたパウロの次の助言を心に銘記しています。『あなた方は知らないのか。不義な者は神の御国を相続することができない。惑わされてはならない。淫行をする者,偶像崇拝をする者,姦淫をする者,男娼となる者,男色をする者,盗みをなす者,貪欲な者,酒に酔う者,罵る者,奪う者は,神の御国を相続しない。あなた方の中のある者は,むかしこのような者であつた。』本当に,むかしの行がどんなものであろうとも,それは聖書の命ずる高い標準に変化することができます。人がもし真のクリスチャンになりたいと願うなら,その人は聖書の高い原則に従わねばなりません。―マタイ 19:19。コリント前 6:9-11,新世。

聖書の原則は,20世紀後半でも全く実行し得るという事実について,今日のヱホバの証者ははつきりと証しを立てています。ヱホバの証者の大会で示されるよろこび,統一,無私の協力は多くの話題をひきおこします。聖書の原則に従うなら,社会の不平等もなく,人種の偏見も,国家主義もなく,ただ愛だけが存在します。神に奉仕する人は,みな平等であると認められます。『ユダヤ人もなければギリシヤ人もなく,奴隷もなければ自由人もない。男性も女性もない。実にあなた方すべてはキリスト・イエスにあつて一つである。』ヱホバの民のあいだには,人種的な憎しみや,社会的な不平等,あるいは国家主義がありません。分裂をもたらすこれらの問題も,聖書の原則により解決されています。―ガラテヤ 3:28,新世。

感情の煩悶

心配懸念の問題がありますか? そのときには,愛を行いなさい。神の愛と隣人愛を行いなさい。『与えなさい,そうすれば自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ,ゆすり入れ,あふれ出るまでに量をよくしてあなた方のふところに入れてくれるであろう。あなた方の量るその量りで自分にも量りかえされるであろう。』またイエスの次の助言をも記憶しなさい。『何を食べ,何を着ようかと体のことに思いわずらうのを止めよ。あなた方の中の誰が思いわずらつたからとて,自分の寿命に一キユビットを加え得るか? このように小さな事をもなし得ないなら,なぜそう他の事に思いわずらうのか?』 パウロの指摘したように,ヱホバは御自分の僕たちにこう約束されています。『私はあなた方を決して棄てず,また見棄てることは決してない。』それで,真のクリスチャンには,心配懸念という問題はありません。―ルカ 6:38; 12:22,25,26。ヘブル 13:5,新世。

あなたは他の者に憎しみの気持ちを抱いておりますか? もしそうなら,『怒つたまゝで,日が暮れるようであつてはならない。』という教えに従いなさい。自分は,他の者よりも劣つていると感じますか? それなら,次の聖句を憶えてください。『神はこの世と比較すれば貧しい人々を信仰に富む者とし,そして神を愛する者に約束された御国の相続者になるように選んで下さつたではないか。』あなたは他人を羨しく思いますか? それならば,真実に価値あるものは神から来るのであり,神の祝福こそ最大のものであると記憶しなさい。そして,ねたみの気持ちに対する解毒剤は寛大であり,自分自身のごとく隣人を愛することであるのを記憶いたしなさい。『愛は耐え忍び,感謝の心である。愛はしつとせず,誇らず高ぶらない。不作法をせず,自分の利益を求めない。怒らず,恨みを抱かない。』愛は今日の諸問題を多く解決するでしよう! ―エペソ 4:26。ヤコブ 2:5。コリント前 13:4,5,新世。

そのような愛を持つとき,敵意や,劣等感や,しつとがなくなります。そして,心の中からこれらの感情を取り除いてしまえば,ただに精神面だけでなく,肉体の面でもあなたの健康を改善するものです。なぜなら,精神は体の状態に大きな影響を及ぼすからです。『施しを好むものは肥え,人を潤おす者は,また利潤をうく。』とは真実であります。また『憐みある者は,己の魂に益をくわえん。』― シンゲン 11:25,17。

なぜ原則の実行

『他の人がしないのに,なぜ私はこれらの原則を行わねばなりませんか?』『私を憎む人々に,なぜ愛を示すべきですか?』『盗みをする人々に対して,なぜ正直に振舞わねばなりませんか?』『私を一度も助けたことのない人々を,なぜ助けねばなりませんか?』 たいていの人は,そう質問します。しかし,なぜこれらの事をしないのですか? 他の人々がそれぞれの仕合わせを棄てるからと言つてなぜあなた自身の仕合わせを少くするのですか? なぜ彼らの悪い手本に従うのですか? どうして,あなたの良い手本を示さないのですか? 世に腹を立てたからといつて,貪欲な行をしてはなりません。そうすれば,ますますあなたの不幸が増すばかりです。イエスの残された正しい道に従うなら,あなたは不幸を避けることができます。『この道のためにあなた方は召されたのである。キリストはあなた方のために苦しみをうけられ,あなた方が彼の足跡にしつかりと従うようにと手本を残されたのである。彼は罪を犯さず,その口に欺きはなかつた。罵りをうけたとき,彼は悪口で言い返すことをなさらず,苦しみをうけられたときも脅かそうとはせず,義しい裁きをされる方に御自身を委ねておられた。』それよりももつと良い道がありますか? それと違う道に従おうと努めてみて,あなたは本当に仕合わせですか? それなら,力と決意と,節義を以つて,ここに述べられている正しい生命を与える聖書の原則に従いなさい。―ペテロ前 2:21-23,新世。

神に奉仕することは,経済的にも社会的にも,必らずしも儲けのあるものではありません。しかし,神の祝福と永遠の生命を失うよりは,物質を失う方が良いものです。今日の満足した生活だけでなく,聖書から得る霊的な益こそ,私たちにとつて最重要の事柄であります。それには,正しく考えねばなりません。宗教的な形式 ― ローソクに火をつけたり,珠数を算えたり,断食したり,歌つたり,日曜の説教に出席したりすること ― ではなく,真心から正義に献身することが必要です。この世の考えは,神が聖書の中で述べられていることと非常にちがつています。なぜ? なぜなら,この世の考えにたいしてはサタンが責任を持つているからです。『この世の組織制度の神は,不信者の心をめくらにし,神の像であるキリストについての栄光ある良いたよりの光を輝かせまいとしている。』しかし,あなたは古い世の悪い考えに従う必要はありません。あなたは,不従順の父であるサタンが支配している現在の組織制度の仕方を棄てて,生命の父であるヱホバの御言葉に書かれている正しい道に従うことができます。このためには,神の御言葉を正しく知らねばならず,そして『この世の組織制度に従うのを止めなさい。むしろ,あなたの心を入れ代えることによつて新しくなり,神の御旨にかなう善き御意を全くわきまえ知るべきである。』― コリント後 4:4。ロマ 12:2,新世。

従うべき道

今日の牧師たちは,しばしばすべての人をよろこばせようと努めていますが,聖書はすべての人をよろこばせようとはしていません。そのことを記憶すべきであります。物事の正しい価値判断をなし,そして神をよろこばしたいと欲する人なら誰でも聖書に従うことができます。しかし,そのような事を願わない人については,聖書はその人たちの程度まで下りてきません。そのような人が,たとえ多く居ようと,なんらの影響をももたらしません。聖書は,聖書を信ずる者の気持ちと心の守りとなります。聖書は創造者の御心を啓示します。聖書を正しく知ることにより,私たちは心を変えて新しくなり,事物を正しく判断して神をよろこばします。詩篇 119篇9節は,簡明にこう記しています。『わかき人は何によりてかその道をきよめん。聖言にしたがいて慎むのほかぞなき。』

十中の八,九,あなたのお宅には聖書があります。多くの家庭に聖書はあります。しかし,聖書があるということは,大切なことではありません。あなたは聖書の言葉を知らねばならず,信じなければならず,その教えを実行しなければならず,そして日常の導きとして聖書を用いなければなりません。パウロがテモテに諭したように,あなたは『何物をも恥じることのない働き人として,真理の言薬を正しく扱いなさい。』― テモテ後 2:15,新世。

神の御言葉から,あなたは何を学びますか? 第1に,あなたはキリストの贖の犠牲という恩恵をうけねばなりません。しかしそのためにはあなたも行わねばなりません。聖書には,こう書かれています。『人の子が来たのは……多くの人のためにひきかえの贖として自分の魂を与えるためである。』全部の人ではなく,多くの人であることに注意いたしなさい。贖は,本当に無料の贈物です。しかし,贈物をするのには,与える人といただく人のふたりが必要です。贖をうけるために,あなたは積極的な行をなし,その御準備の恵をうけねばなりません。あなたはヱホバ神を宇宙の主権支配者,贖い主の御父,救の与え主と認めねばなりません。とおなじく,ヱホバの御言葉内に述べられている教えに従わねばなりません。ヱホバに忠実な奉仕を捧げることによつてのみ,ヱホバの設けられた愛の御準備に感謝を示すことになります。―マタイ 20:28。詩 3:8。

そして更に,あなた一人の個人の行であつてはならず,神の民と是非定期的に集まらねばなりません。『ある人の習慣のように,共に集まるのを怠つてはならない。(古い世の終の)日の近づいているのを見て,ますますもつてそうしようではないか。』(ヘブル 10:25,新世)いつたい何処でそのような人々と集会し,そのような事柄を研究し得ますか? 今日の多くの教会制度でないことは確かです。人々は,40年も50年も教会員でありながら,キリスト教の初歩の教えを教えることができません。しかし,もしあなたが全地で1万4000以上の御国会館で開かれるヱホバの証者の集会に定期的に出席されるなら,そのような励ましを与える人々に会えるばかりでなく,神の御言葉を真実に研究します。

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