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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1956
塔56 1/15 37–40ページ

ヱホバの證者の近代歴史

その14 戦いは法廷にまで及ぶ

1933年以来のヱホバの証者の蓄音機による活動は,ラジオ検閲という手段に頼つていた彼らの激しい迫害者の計略の裏をかきました。しかし今度は,ものみの塔協会の宗教反対者たちは,証者の雷鳴をとどろかすような音を法律の手段に訴えてしずめさせようと迫つてきたのです。コネクチカット州の法廷で,二人のローマ・カトリック信者の告発により,ヱホバの証者は平和撹乱のかどで1938年4月26日有罪判決を与えられました。それは,ローマ・カトリックの教職制度の活動をあからさまに曝露した『敵』という名の判事ルサフォードの講演を,そのカトリック信者の面前でレコードにより,聞かせたからです。不当なる判決は上訴されて,合衆国の最高裁判所にまでその事件は持ち出されました。1940年,5月20日,最高裁判所の9名の判事(主席判事チャーレス・エブアンス・フューゲスを含む)は,こぞつて,ヱホバの証者に勝利の判決を与えました。法廷によると,すべての宗教,特にローマ・カトリックに対して強い攻撃を吹き込んだレコードをカトリック信者の前でかけても,合衆国の憲法に何ら触れるものでなく,平和撹乱罪も構成せず,また,その意図を持つものでもないことが明白にされました。法廷は次のよう述べました。

『宗教上の信仰と政治上の信念には,著しい相違が起ることがある。両方の分野においても,ある一人の信条は,彼の隣人から見ると許すべからざる誤りに見える。自分の見解に他人を説得するため,上訴者は ― 我々の知つているとおり,時に,大げさの形容を用いるが ― 教会又は国家において,著名であつた,又は現在そうである人々の悪口を云つた。あるいは,偽りの言明をなした。しかし歴史の教えるところにしたがつて,この国の人々は次のような結論を抱いている。これら言論の自由は,過度又は乱用と見えても,長い目で見るとき,民主主義国家の市民の啓発された意見とか,正しい振舞の上に肝要なものであると。』― キャンテウエル対コネクチカット州310ユー・エス・

1948年に,ヱホバの証者は最高裁判所において,もう一つの凱歌をあげました。法廷の論告は次のようです。

『拡声器は今日,効果ある公開講演で欠くことのできぬものである。音響自動車は政治運動においても公認の方法となつている。これは,公衆に呼びかける手段と認められている。……騒音迷惑という主張のうらに,思想上の不一致がかくされていることもある。この種の条令につきものの検閲の力は,害を及ぼすものである。』― サイア対ニューヨーク334ユー・エス・

かくして,1940年からの10年に亘つて,キリスト教国の戦士は,ヱホバの民が全世界的規模をもつて遂行していた音声による証言の業を喰い止めることに再び失敗しました。証者は,崇拝の宗教戦線で,いつも勝利者でした。これは,みなヱホバの過分の親切によるものです!

近代のアメリカ歴史上において,ヱホバの証者は,彼ら自身のためのみならず,正直な誠実な人々すべての自由擁護のための勇敢な戦士として,消すことのできぬ足跡をのこしております。歴史家の語る言葉をきいて下さい。

『個人の自由についての現在の憲法上の保証は,1938年の春以前に比較すると,はるかに広範囲に及んでいることは明白なる事実であつて,合衆国の最高裁判所の権威ある見解も,それに一致している。しかもこの自由の拡大の大部分は,ヱホバの証者の31件の事件によつてもたらされている。その最初は,ラベル氏対グリフィン市の事件であつた。若し「殉死者の死が教会を築く因である」とするなら,この不思議な団体の不屈な戦闘 ― 多分,これを献身と呼ぶべきであろうが ― に対し,憲法は,どれほどの借を負うているであろうか?』―ミネソタ法回顧第28巻

国々の法廷での戦の記録のかげには,何があつたでしようか?―ピリピ 1:7。

すでに述べたように,ヱホバの民を逮捕せんとのキリスト教国の運動は,ニューヂャーシー・南アンボイで,1928年すでに開始されております。起訴された実際の数の記録は,初めの頃保存されていませんでしたが,1933年にはアメリカ合衆国だけで268回ありました。1934年には340回,1935年には478回,1936年には1149回という記録です。ニューヂャーシー及びその近辺の州では,御国伝道者は幾度も法廷に連行されました。彼らは,許可証なしに販売,平和撹乱,許可なしに行商,日曜日の安息日の法律に違反,福音の伝道者でなく懇願する行商人などとの偽りの疑をかけられたのです。ヱホバの民は,このような不法なる権利の侵害を排除するのを,彼らの責任でもあり,崇高なる特権と感じました。協会はブルックリンに法律部門を設けて,当時各地でおきていた戦に助言と援助を与えるようにしたのです。『法廷の順序』も発行され,全伝道者はよくそれを研究し,法廷で各自が弁護できるようにしました。不利な判定はすべて上訴するという方針が定められました。若し地方行政官,警察法廷その他の普通法廷で決められた数多くの有罪判定を上訴しなかつたならば,不利な先例は山のように堆積し,崇拝の分野に,取り除くことのできない障害となつたことでしよう。しかし,上訴することにより,正反対の結果を得てきました。最高裁判所は,証者をいつも救つて,『ヱホバの御国を宣明する』良いたよりの伝道者として認め,崇拝と言論の自由という権利を確保しました。

ここに再び,ヱホバの証者はその主動性をとり戻し,法律の力によつて害を及ぼそうとした牧師たちの運動に立ち向うことができました。証者は,黙示録 9章7-9節によると,戦に出てくる『いなご』にたとえられます。このことは1933年から驚くべき方法で成就し始めました。次に1万2600名の伝道者は自発的に申出てて,家から家の野外奉仕で電撃的訪問をなす準備を始めました。彼らは反対の強い都市の方面へ特別の使命を帯びて派遣されたのです。それらの伝道者は,アメリカ合衆国を通じて78の群に組織されました。5名が乗つている10台から200台の自動車が一つの群を形成します。予想される,又は出合つた牧師や警官からの反対に対抗して,特別の証言戦術が採用されました。通常の野外奉仕の業で或る証者が逮捕されると,その報告はブルックリンに直ちに通知され,そこから,事件の起きた最寄りの群のところに出動命令が発せられます。事件後の日曜日に,群は,その近辺一帯の家々を1時間又は2時間以内にくまなく働き,綿密な証言をなしとげます。非常命令が群に対して出されると,その伝道に出かける自動車の群は,今『包囲』しようとする都市から数マイルはなれた,特別に打ち合せてある場所に集合します。ここで,細い注意が与えられ,車はおのおの割当てをうけます。『いなご』がこの近辺一帯に活躍し始めると,牧師のあと押しで,官憲が御国伝道の業を全く禁止し,鎮圧しようとあがいても,証者の大群衆前に,彼らは,圧倒されてしまい,地方の監獄の収容制限である,20名又は30名をせいぜい逮捕する以外に,何ら施す術がありませんでした。この方法でその区域がどのように迫害のひどいところであろうとも,殆んど各家庭が絶対的多数の証者により伝道されました。

最も激烈であつたニューヂャーシーの戦線では,時折,ニューヨークとかニューヂャーシーの200台からなる大群(一群は1000名の『いなご』からなる)を必要としました。それらの群は,週のあいだの逮捕事件により,交互に出動したのです。また『包囲』区域にすむ住民に対しての啓発を更にはかるために,ダブリュー・ビー・ビー・アールのものみの塔放送の効果ある奉仕が実施され,これら西方の群の運動隊と緊密な連絡が保れていました。―ダニエル 11:32,33。

ブルックリン・ベテルにおいても,もの真似の上手な経験をつんだ兄弟たちが,『王の劇団』と呼ばれていたものを組織していました。彼らは近代法廷の場面とか聖書の劇をありのまま上手に再現することができました。週間中に牧師からの影響をうけた判事が少数のヱホバの証者の裁判にあたつて,不当なる判定を下したようなとき,裁判の進行状態の完全な記録を証者たちは速記レコードに取つておきます。殆んど,何れの場合にも,宗教家,行政官からの言明には,偏見,より好み,統制のない不当なる註解があつて,起訴された証者をおとしいれようと彼らの企てや意図を明白に物語つておりました。速記レコードをもとにして準備された台詞を急いで稽古し,大規模な宣伝によりラジオの大聴衆を集め,次の日曜日に,『王の劇団』の俳優たちは,熱心にきき入つている尨大な聴衆に地方法廷の判事たちの愚行を公やけにしました。誤つている警察,検事や一般判事などに公衆の注目が向けられてきたので,彼ら役人たちはヱホバの証者の取扱いに細心の注意を払うようになつてきました。

しかしながら,ニューヂャーシーにおいてのこの闘争は,その後,幾年も継続されました。ついに1939年11月22日,アメリカ合衆国の最高裁判所は,シュナィダー氏対ニューヂャーシーの事件においてヱホバの証者側に勝利を与えました。この判決は,ラベル氏対グリフィンのとき証者のかち得た勝利に基いてなされたものです。(ラベルの事件・ユー・エス・444は合衆国の最高裁判所において全員一致のうちに決定され,その判定記録は主席判事チャーレス・エブアンス・フューゲスにより1938年3月28日発表された。この件はヂョーヂア州から上訴されたものである)ニューヂャーシー及びその近辺の州は11年間も色々の都市条会や州令を不当に適用して,ヱホバの証者を起訴し,迫害しつづけてきましたが,ここに至つて,殆んど,そのような事件は跡をたちました。

国旗敬礼

1934年頃までに,もう一つの悩みがあらわれ,ヱホバの証者の反対者は,最高至上者ヱホバに対し証者のもつ絶対の忠誠をくつがえそうと企み始めました。国旗敬礼の事件は拡るばかりでした。2年前に,ドイツのナチスの指導者たちは国旗敬礼を真先にかかげて,ヒトラーの鉤十字の旗印のもとに欧州大陸の人々を統一しようとする手段としました。今では誤つた方向に走つた愛国主義の風潮がアメリカ合衆国やカナダに漲つてきていました。1935年の秋,新聞界はチャーレトン・ビー・ニッコルス・ジュニヤーの事件について,沢山の記事をかきました。彼はヱホバの証者の子供であり,まだ若いアメリカの学童でしたが,アメリカの国旗の敬礼を拒みました。同盟通信はものみの塔協会の会長に対して,この新しい問題についてのヱホバの証者の見解を求めました。1935年10月6日に,判事ルサフォードは有名な講演『国旗敬礼』をラジオ放送を通じて行い,新聞界への返答としました。この話はただちに,『忠節』という32ページの冊子となつて発刊され,数百万冊も配布されました。アメリカ新聞界へのこの聖書的返答のうちに明確にされたものは次のようです。即ちヱホバの証者は国旗を尊重するが,聖書的責任とヱホバへの関係を考慮するとき,どんな偶像にも,信仰対象物へも,敬礼することを全く差し控える。何故なら,そうすることは十誡の第2の教えの原則に反する宗教行為になるからであると。(出エ 20:4-6)さらに,聖書に規定されている真の宗教と正しい行動を子供たちに教える責任は,主として,その親の肩にかけられていることも明白にされました。

ヱホバの証者の数千という罪なき子供たちは,この全国に及んだ問題の渦にまきこまれて,捕えられました。これら幼い子供たちが勇敢にも生ける神ヱホバに全くの献身をささげていたことは,州に対する,この上ない良い証言となつたことでしよう! 学校の級友からの罵りや絶交に対して取つた崇高な態度は,これら幼い子供たちへの家庭における両親の聖書的訓練の真価を示したものです。ヱホバへの忠節にあくまでもとどまつて,ヱホバの証者は歴史を作り,国家の最高顧問機関を驚かしていました。1935年11月6日,ヱホバの証者ウォルター・ゴバイチスの子供,リリアン及びウイリアム・ゴバイチスは国旗敬礼を拒否して,ペンシルバニヤ・ミナースビレの公立学校から退校されました。この事件は連邦裁判中,新聞に報ぜられ,国中の耳目をひき,注目を浴びた事件となつて,ワシントンの最高裁判所にまで上訴されて戦われました。ものみの塔協会の会長である70歳の法律家ジェー・エフ・ルサフォードは,みずから合衆国の最高裁判所に姿をあらわし,ヱホバの証者のために弁論をたたかわしました。連邦及び州の裁判が手間どつて最高決定をうるまで5ヵ年も要していたので,ヱホバの証者は自分の子供たちを訓練するために個人の学校を組織し,運営しなければなりませんでした。それらの学校は,『御国学校』と呼ばれています。これら個人経営の学校はペンシルバニヤ,マサチューセッツ,ニューヂャーシー,マリーランド,及びヂョーヂアの各州にありました。ついに1940年6月3日,合衆国の最高裁判所は8対1でヱホバの証者に不利な判定を下し,学校において子供の上に荷する規則を決定するのは学校当局であつて,法廷にあるのではないという意見を明らかにしました。これは,崇拝の自由の戦における敗北のうちの主たるものとなりました。この敗北のために,迫害は一層拍車を加えられ,それは,1943年6月14日最高裁判所が判決をくつがえすまでつづきました。1940年代の動きは,次号につづく。

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