ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔55 11/1 403–404ページ
  • 牧師はアインシュタインに勧告す

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 牧師はアインシュタインに勧告す
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1955
  • 関連する記事
  • アインシュタインの飛躍の年
    目ざめよ! 2005
  • 人間の知識に対するアインシュタインの評価
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1982
  • 「平和がいつまでも続く」
    目ざめよ! 2019
  • 科学ではきわめることができない領域
    目ざめよ! 1983
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1955
塔55 11/1 403–404ページ

牧師はアインシュタインに勧告す

4月13日附のアトランティック市からの共同通信記事は,こう述べていました。『最高の一カトリック教育者は,アルバート,アインシュタインをはじめ科学者たちにむかい,専門の中性子に専念すべきであつて,「哲学めいた言説」を止めるよう,今日つよく勧告した。セント・ルイス大学修学院の院長ロバート・ヘレン師は,「40歳になると哲学めいた言説を述べ」始める「科学者」がアメリカに多くいると述べた。その多くは,「そうする訓練をうけていない」と,同師は語つた。国家カトリック教育協会の例年大会のニュース会議で,最近のアインシュタインは「神の性質と存在」について哲学的な言説を述べている。そして「アインシュタインが絶対の事について権威ある言葉を言うのに,私は反対する」とヘレンは言つた。「神は存在するや否やについて,アインシュタインはなんら語る訓練をうけていない。」』― 1955年4月13日,ニューヨーク,ポスト。

1955年5月2日のライフ誌によると,故アルバート・アインシュタインはこう述べていました『私は,善には報いを与え,悪を罰する神学の神を信じない。……私は生命の恐れとか,死の恐れ,または盲目の信仰に基く神の観念を認めることができない。』すべての知らせから判断すると,アインシュタインは温和な気質の人であつたようです。その人が,神学の神を信じ得なかつたのは,まつたく当然至極のことです。なぜなら,神学の神は,火の燃える地獄で魂を永遠にくるしめるか,あるいは魂の救を祈つてもらうよう地上の牧師に十分の賃銀を支払う時まで,火の燃える煉獄で幾世紀ものあいだ魂を燃す神だからです。

同じ号のライフ誌は,アインシュタインの言葉をこう報じました。『不可解な宇宙に啓示される……最高の理性力の存在は,神についての私の考えを形成するものである。』正統宗教の教えた神学の神は,とうてい認めることができないため,アインシュタインは別の神を探し求めました。アインシュタインは,創造されたあらゆる驚異の背後にある最高の霊または理智を信じ,かつ宇宙の秩序に強い感銘をうけました。1955年5月2日のタイム誌は,そのことを述べつつ,アインシュタインの『私は宇宙とサイコロ遊びをする神を信ずることができない』という言葉を引用していました。雑誌は,続けてこう述べていました。『しばしば,霊魂不滅の教理を信ずることができないと言つたアルバート,アインシュタインは,神秘の辺を遊行して,時折り神に親しく感じたことを,認めていた。彼は曾つてこう言つた。「宇宙の宗教的経験は,最も強く,かつ最も気高い力であると思う。私の宗教は,謙遜な気持ちの中に無限の至上の霊を尊敬することである。その御方は,私たち弱少な心でも認めることのできる微小な事柄に御自身を啓示しておられる。」』聖書は,『霊魂不滅の教理を信ずることのできない』アインシュタインと意見が一致しています。聖書によれば,『罪を犯せる霊魂は死ぬべし。』と書かれており,さらに罪のないイエスでさえ『おのが霊魂をかたぶけて死にいたらしめた』と書かれているからです。―エゼキエル 18:4。イザヤ 53:12。

アインシュタインは,『盲目の信仰』に基く神の概念を信ずることはできない,と言いました。ヱホバ神にたいする聖書の信仰は,盲目のものではありません。それには絶対の基礎があるからです。信仰は『まだ見ていない事実を確認することである。』(ヘブル 11:1,新世)アインシュタインは電気や引力を見なくても,それらの存在を信じました。彼はその事実を確信する証拠を見たからです。アインシュタインは『無限の至上の霊』を見なくても,宇宙内に見える尊貴,力,そして秩序の故に,その存在を信じました。これら創造された驚異こそ目に見えない創造者を確証するものと,聖書は指摘しています。『神の見ることのできない性質,すなわち永遠の力と神なることとは,世の創造の時以来,造られたものによつて理解することができ,明らかに見られる。』(ロマ 1:20,新世)聖書の言葉を知つて理解することは,聖書の神を信ずるときに必要なものです。それで,ロマ書 10章17節(新世)は『言葉を聞いてから信仰を持つ』と述べています。しかし,正統神学の神に信仰を持つことは,聖書の真理に基づいていないため,盲目の信仰であります。正統神学の信仰は,古代祭司の異教の想像か又は現代牧師の強く主張する哲学に基いているものです。理性を持つ人なら盲目の信仰に基く,そのような神の概念をうけ入れることはできません。たとえ,正統宗教の教える神の概念が偽りのものであるにせよ,それらの人は,聖書の神から背くべきではありません。聖書を研究して,宇宙を創造した神を学ぶべきです。宗教的な偽りのために,神への偏見を持つべきではありません。―彼らを真理によつて潔めて下さい。あなたの御言葉は真理です。ヨハネ 17:17。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする