トルジリオ大元帥への請願書
1957年8月24日,土曜日,
アメリカ合衆国・メリーランド洲・バルチモア
ラハエル・レオニダス・トルジリオ大元帥閣下へ,
アメリカ・メリーランド洲・バルチモア・バルチモア記念競技場に参集した,我々3万3091名の代表者は,5日間にわたるヱホバの証者の『生命を与える叡知』地域大会第4日にあたつて,世界的重要性をもつこの特別の機会を利用して閣下に請願致します。我々は,貴下と貴下の代表される国民,又アメリカ合衆国各地より集つた我々クリスチャンに,重大な関係を有する事柄につき貴下の公式な御配慮あるようにとお願いいたします。
最近,我々は多くの市の新聞やラジオ,テレビジョンを通じて,貴下の政府が,10人のアメリカ市民を,ドミニカ共和国から,飛行機によつてトルジリオ市より,ポルトリコ共和国に追放されたことを見聞しています。公表された報告の示すところによると,これら10人のアメリカ市民は,アメリカ合衆国内で極めて顕著な一宗教制度を代表するクリスチャン宣教者であるとの由で,我々は貴下の政府のとられた行為に驚くと共に遺憾なことと感じています。この宗教制度は広大なこの地だけでなく,全世界160以上の国々でも,神の書かれた御言葉,聖書にある大きな教育の仕事をなしている故に官吏および一般の人々より深甚な尊敬を得ています。
故に,この事に於いて,貴下の政府のとられた行為は全世界の関心と注意を集めはじめました。
公開された貴下の政府の行動に関し,新聞,ラジオ,テレビジョンの報道に加えて,我々はそれら追放処置に実際かかりあつた宣教者たちから,直接に知らせを得る特権を得ました。最近まで宣教者として貴下の国に滞在していた,これら8人のアメリカ市民のヱホバの証者は,代表としてこの地域大会に出席しております。彼らは,この市のテレビジョンに出るだけでなく,大会の演壇上に於いても,彼らおよび,ドミニカ共和国内の他のあらゆるヱホバの証者に対してとられた,貴下の政府の処置を話しました。彼らからの直接の報告は,我々が多くの新聞紙上ですでに読んだ事柄に確証を与えました。事柄がここまで明白に如実に又印象的にされた以上,我々は,貴下の国内にいる我々の同労者,ヱホバの証者のクリスチャン兄弟妹姉のために,この事実を陳述して,請願を提出せざるを得ないと感ずるにいたりました。
事実の陳述
貴下の政府は,ヱホバの証者が貴国に於いて,長年のあいだ活発に活動していることを承知されていることと思います。又,貴下の政府は,これら誠実にして敬虔なクリスチャンたちに許された自由の範囲も御承知のことと思います。宣教者たちは,よく知られているギレアデ聖書学校の卒業生であつて,貴下の国に入国を許可され,かつては,多くの貴下の同胞に多大の霊的福祉を与え,クリスチャン教育運動の特権を楽しんだ者であります。
貴下の公式文書をお調らべになればお分りの如く,1945年,最初のヱホバの証者が,ドミニカ共和国に於いて,聖書教育の活動を拡張すべくトルジリオ市に参りました。彼らが公に又家から家になした神の御国の福音伝道は,神の聖言に対する知識の増進を望む多数のドミニカの人々から,好意ある反響を得たのであります。そして彼らはヱホバ神がキリストを通して支配し,現在如何なる国籍の者であろうと,神に善意を有する全部の者に祝福を与えられる予言された日にそなえて準備することを希望致しました。このように教育された多数のドミニカの人々は,自分たちの責任を悟ると共に,その責任を果してイエス・キリストの次の予言的な命令を遂行したのであります,『御国のこの福音は,もろもろの国人に証をなさんため全世界に宣伝えられん,しかして後,終は至るべし』(マタイ福音書 24章14節より引用)1950年迄に,ものみの塔ギレアデ聖書学校から,風光明媚の貴国に派遣された25人の宣教者がおりました。謙遜で正義を愛するドミニカの人々の反応は著しく,聖書教育は各地に発展しました。
1950年6月,彼らにとつて状況は変化致しました。貴下の政府は,このクリスチャン宗教組織は法律に違反し,すべての集会と宣伝は,政治国家に敵対するという布告を発したのであります。この布告は,良く知られている公開の証拠が示すように,ヱホバの証者の拡大しつつある聖書教育を心よく思わない,貴国に於けるローマカトリック教職制度の代表者たちによつて煽動され,構想されて発布されたものであります。それ以後6年間,米人宣教者たちは,サント・ドミンゴを去るか,又は国内に止まるためには宣教活動を停止し,非宗教的職業に従事しなければなりませんでした。一方ドミニカ人のヱホバの証者自身は,聖書に基いたクリスチャンの信仰をかたく持ちつづけ,宣教を行いました。しかし,1950年に禁止を受ける時まで楽しんだ自由がなかつたのです。彼らはキリストに従つたペテロや,其の他の使徒たちの模範にならいました。エルサレムの最高法廷が使徒たちを逮捕して,神の御国とキリストの福音伝道を止めるように命じた時,ペテロと他の使徒たちは『人間に従うより神に従うべきである』と証言しました。更にむち打たれ裁判官に威嚇されて釈放されました。しかし法廷を出てから後も,毎日宮で,家々で,イエス・キリストの事を教えて伝道し続け,このことによつて神を支配者として服従し続けました。(使徒行伝 5章29-42節,新世訳)ドミニカ人の証者たちが,この使徒の行に従つたことは,政治国家の顚覆をはかつたのではなく,最高至上の神ヱホバへの服従でありました。この為,神は彼らを祝福されて,サント・ドミンゴに於けるヱホバの証者の数は増加し続けました。このことは,如何なる政府といえども,ヱホバの証者を禁止することに於いて,ヱホバ神から承認も祝福も受けないこと,かえつて神は,彼の忠実で従順な僕たち又証者たちに繁栄を与えられ,霊的に富まされることを証明しました。しかし乍ら我々は,ここで,この禁止期間中にヱホバの証者が耐えなければならなかつた,精神的,肉体的苦痛の詳細には言及しないものであります。
1956年8月,貴下の政府は,ヱホバの証者がまだサント・ドミンゴにおり,彼らの信仰を実践していることに気ずいた時,政府のみの知る理由によつて,突然,禁止を解除致しました。ヱホバの証者の業とその制度は,政府の干渉を受けず,彼らの宗教活動を継続することが出来,彼らに課せられたあらゆる禁止は撤廃されたという短い発表を新聞紙上に掲載致しました。この貴下の政府の賞讃すべき行為に,全世界のヱホバの証者は歓喜致しました。いうまでもなく,この禁止の解除はサント・ドミンゴにあるクリスチャン制度とその活動に良い効果をもたらしました。6年という長い禁止期間中,彼らは,平和を愛するクリスチャンであつて,この国の政治の中にいる宗教的分子に干渉するものではなく,キリストのごとく神に従順にしたがつて,聖言の宣教のみをなしている故に,政府は何ら恐怖する必要ないことを特別に証明しました。
それから,1957年6月30日,一人のローマカトリックの牧師は,公然とヱホバの証者を攻撃しはじめました。新聞,ラジオ,拡声装置を持つトラックはこの攻撃のために使用されました。ローマカトリック教職制度は再び,ヱホバの証者の教育活動を停止させるように,政治家たちや,政府の指導者たちに宗教的圧迫を加えました。ドミニカの人々は,今年の7月2日と25日の間に,この地方の新聞が,二段抜きで,638インチもの紙面をさき,民衆の気持をヱホバの証者に反対させるようにしたことを知つています。この新聞に掲載された記事を調べてみるとき,次のことが分ります。これらヱホバのクリスチャン証者たちは,世界のどこにあつても無神論の共産主義に強い立場をとつているにも拘らず,共産主義の前衛,煽動者,法律違反者,国旗と国歌および国家の制規を冒瀆する者であるという汚名をきせられたのです。至高なる神の聖名に不敬にも,彼らはヱホバ教徒と呼ばれ,記事はいつわりであり途方もないものであつても印刷されたのです。そのような全部の偽りの声明と非難は更に註釈が加えられ,政府に後援されているラジオ放送局によつてくりかえし放送されました。
貴下の部下エスパイラット陸軍少将は或るヱホバの証者の代表宣教者の面前で,トルジリオ市にいたアメリカ代理大使に電話で次のように話しました,『これらの者たちについて新聞や,ラジオの述べる事柄の故に,我々は彼らに対して処置をとらざるを得ない。故に,我々は,国内での彼らの活動を禁止する法律を議決します。』これはアメリカ代理大使が,ヱホバの証者に対してあまり厳しくしないように,少将に請願した時のことであります。禁止令が再び施行される以前でさえも,激しい迫害がヱホバの証者にくわえられはじめました。遠く隔れた町々や田舎では警官たちは,昼夜証者たちを検挙して打ちたたき,手荒くあしらいました。警察と陸軍の当局者たちは,これら防禦力のない,神を畏れる男女,そうです,子供さえ探し出したのです。或る区域では,全部の家族が投獄され,家族の男子たちは,妻や子供たちの前で,失神するまでたたかれたのであります。
宗教的迫害
この事件が起つたサルセドという区域の或る証者の家に,午後5時頃,約25人の証者を連行した3人の憲兵が来て,その証者を連れ出し,他の者といつしよに,サルセドの軍の監獄に収容しました。約12マイル歩いて,午後8時頃監獄に着きました。監獄の中庭で,男たちや女たちが整列していました。彼らは,ヱホバの証者であることを否定し,ローマ・カトリック教会に復帰を誓約するという声明文に署名するかどうかを質問されていました。全部の者が署名を拒否しました。二人の兵隊がやつてきました。そして男たちの腕をしつかりとおさえ,3人目の兵隊がこぶしで証者たちを殴りました。更にひどいことに,彼らは銃の台尻で血の出るまで打ちました。そして今度は一人づつ,すつかり力が抜けてしまうまで叩きました。それから彼らは一つの独房に入れられ,クリスチャン姉妹たちは別の独房に入れられました。一晩中彼女たちは,その無慈悲な打擲に男子たちがうめき声を立てているのを聞きました。翌朝8時頃,もう一つの独房にいた5人のヱホバの証者の会衆の僕たちは一人づつ事務所によばれました。最初に引き出された証者はネグロ・ジメネスという名前の60歳位の人で,ロス・カカオス会衆の僕でした。事務所に連れて行かれて半時間後,二人の兵隊は,彼の足をつかんで他の囚人たちの見ている前を,ひつぱつて行き,気を失つたまま内庭の土の上に置き去りにされました。彼の耳や鼻や口から血が流れていました。彼は死んでいるように見えました。
次には35歳位の,エル・ホボコにある会衆の僕,ペドロ・ヘルマンが事務所に連行されました。しばらくして二人の兵隊に支えられて出て来ましたが彼の顔には体と同じように,激しく打たれた痕がありました。彼の頬は切りさかれて血が流れていました。そして内庭に連れて行かれ,他の会衆の僕たちと一緒に独房に戻されました。その後もう一人の証者,60歳のアンヘル・アンヘルが同じ事務所に連行されました。後に彼は口や鼻から血を流しながら気絶した状態で運び出されました。顔面を残酷に打ち叩いたためです。丁度同じ頃,兵隊たちは三・四杯のバケツの水を気絶していたネグロ・ジメネスの上にかけました。彼が喘いだ時はじめて彼の生きていることが分りました。生きている徴候を見て,彼らは彼をペドロ・ヘルマンと共に独房に引きずり込みました。
この後,他の二人の証者,60歳位のペドロ,ゴンサレスと25歳位の彼の息子ボルフリオ・ゴンサレスが事務所に連れこまれました。二人がそこから出された時老人のペドロの顔は叩かれて踵れあがり,息子のボルフリオは気絶していたため足を持つて引き出されました。耳や鼻から血が流れ,鼓膜が破られているのが後でわかりました。約1時間位気を失つていました。この打擲は4時間から5時間にわたつて行われ,その後彼らは再び独房に戻され監禁されました。
他の囚人たちも連れ出されて,ヱホバの証者であることを否認する声明文に暑名するかどうかを質問されました。新聞記事によると約27人の囚人が声明文に署名しました。全部で100名か,それ以上の者が刑務所にいたのです。声明文に署名した人々の中の多くの者は,実際にヱホバの証者ではなく,唯何回か集会に出席したことがある丈の善意者でありました。その多くは未成年者や子供たちで,声明文が読めませんでした。署名は地方の官庁で知事や他の官吏たちの面前で行われました。署名した者たちは逮捕用トラックで彼らの家の方向に5マイルだけ運ばれ,そして釈放されました。
新聞報道によると,声明文に署名した28人のもう一つのグループは,強制的に大型の軍用トラックに乗せられ,ローマ・カトリックの教会に連れて行かれました。ここで兵隊たちは宗教的なミサを聞かせるために小銃や銃剣を突きつけて彼らを教会の中に入れました。その後トラックに乗せられ,家に連れ戻され,釈放されました。
神の御国を伝道するドミニカ人の特別開拓伝道者たちのいた他の町々では,兄弟たちは警察所長の事務所や役所によび出され,仕事を止めて町から出て行くようにいいわたされました。これらの或人たちは逮捕されるのを避ける為に衣服や家具を残して夜出て行かなければなりませんでした。少し大きな町では,ローマカトリックの牧師たちが仕事場をまわり歩き,ヱホバの証者を雇用しているか否かを尋ね,もしそうであれば,直に彼らを解雇するよう勧告しました。製糖会社で働いていた一人の証者は,2分間の中に事務所を出て行くよう,そして3時間以内に家族と共に町から出て行くようにいい渡されました。4人の証者は,告訴される前に1週間捕えられ,監禁されました。そして政府に反対する煽動的行動という罪を着せられました。
貴下の首府トルジリオ市に於いては,一人の証者が捕えられ3日間食物を与えられず留置されました。彼はポケットに入れていた35セントでキャンデーを買いました。3日間に彼の食べたものはただこれだけでした。彼は国旗に敬意を示さなかつたとの理由で告訴されたのであります。5分間の裁判の時彼を連れて入つて来た警官は云いました,『この人は国旗に不敬を働きませんでした。私は彼をよく知つていますし,彼は常に国旗を尊敬しています。』しかし裁判官は彼に1年の入獄と250ドルの罰金を課しました。
我々は再度,これら宗教的迫害の背後にある,ローマカトリック教職者の煽動行為に,貴下の御配慮を願いたいものと存じます。6月30日,バスクエス,サンスと称するジエスイト派の牧師は,ラジオ放送を通じてヱホバの証者に対する憎悪運動を開始する演説を致しました。新聞はこの牧師が,ヱホバの証者を共産主義者であり,あらゆる秩序を嫌悪する者,ドミニカ共和国の法律を尊敬しない者と呼んでいることや,その他の偽りの事柄を述べた演説を掲載致しました。新聞の論評だけでなくサント・ドミンゴの他の著名な人々も同様な記事を書き,7月29日までには,ついに何百インチもの紙面がヱホバの証者排斥のためにうめつくされたのであります。演説をしたことにおいてはロブレス・トレダノと称するもう一人のローマカトリックの牧師をあげることができます。彼はその演説で,ヱホバの証者は癌のごとくに成長したものであり,そしてドミニカ共和国から根絶されねばならなかつたと述べました。
アメリカ人宣教者たちの追放
7月8日アメリカ人宣教者たちはすでに治安警察署に呼び出されはじめ貴下の政府の官吏,アルトロ・エスパイラットに尋問されました。それから間もなくして,彼らは,新聞やラジオに言われていることから照らし合わせてみて,荷物をまとめて出来る丈はやく去るようにいい渡されました。しかし宣教者たちは国を出て行く用意をする気配がないので治安警察署はいらいらして来ました。宣教者たちが彼らの持物を殆ど売り払つたという報告を受けると貴下の職員エスパイラットは,宣教者たちは,7月の末まで余裕を与えるが,その時には国を出て行くよういい渡しました。7月30日宣教者たちは,スパルデイン・アメリカ代理大使に面会を求めて,追放されない限り,いかなる状態が起つても国を出て行かないことを告げました。スパルデイン氏の取計らいにより彼らは渉外部秘書バエズ氏と面談致しました。バエズ氏は彼らが国を出なくてはならないことをくりかえしていいました。しかしもし宣教者たちが,国の法律にしたがい,国歌と国旗に敬意を表し,又ものみの塔聖書冊子協会と全く関係を絶つといふ声明文に署名すれば,宣教者たちが国内に留まれるように取計うと話しました。それから数日の後,宣教者たちはアメリカ大使館に声明書を提出し,彼らは聖書中に定められている神の律法に違反しないドミニカ政府の法律には従うこと,そして従来の如く国歌と国旗に敬意を示すという言明文を提出しました。翌日エスパイラットの役所から知らせがありました。そして,全部のドミニカ共和国の法律は,大統領が署名し,国民議会を通過したものであるから神の律法と調和している故に,宣教者たちの言明文は弱すぎるものであるといいました。
ポルトリコの新聞は,ドミニカの兵隊たちが我々の仲間のクリスチャン,ヱホバの証者を打ち叩き,手ひどく扱つたことを詳細に説明した記事を掲載しました。貴下はエスパイラット氏を事務所によばれ,迫害の記事に赤い印をつけてこの新聞を彼に手渡されました。エスパイラット氏は事務所から出て来ると新聞を彼の机の上に投げつけました。『これで事は決つた。我々はあなた方を追放します。どうしてこの情報が国外に出たのであろう』といいました。宣教者たちと暫く言葉をやり取りした後エスパイラット氏は次にように言いました。『もしあなた方が殉教者になりたいならおなりなさい,しかしそれは1000年前のことで時代おくれです。それでお望みならあなた方のアパートに役人を行かせてあなた方を追放します。』そして彼は宣教者たちに,午後4時半までに支度をととのえ,パンアメリカンの飛行機で出発するように勧告しました。午後1時に役人はやつて来て,宣教者たちは午後1時半までに出なければならなくなつたと告げました。彼は3台のタクシーを呼んで来ました。宣教者たちは荷物と共に,飛行場に連れて行かれました。そこにはデルタ機が半時間待たせてあつたのです。貴下の政府はタクシー代を支払い,ポルトリコまで宣教者たちの飛行機の切符を買いました。そして飛行場で宣教者たちを見送ろうとするドミニカ人は誰でも逮捕するか射殺するよう命令を出しました。
請願と結論
ローマ・カトリックとその支持者たちの煽動下に閣下の政府は,貴国にいる我々のクリスチャン兄弟ヱホバの証者に対して非常な不正を働かれたのであります。これによつて貴下の政府が作り上げた記録は,急速に全世界のニュースとなり,また貴下に不利な証言となりつつあります。かくして,貴国の属する国際組識,国際連合によつて発令された,人権宣言に従うということは疑問の事柄となります。
閣下の政府のよりよき裁判と不公平な事態を改正し得る能力に期待し,請願を許可下さるよう,前述のごとく事態の一部をお知らせ致しました。故に,我々幾千の者が地域大会に参集している現在,事態に対する閣下の御再考を願い,貴下の政府によつて再び置かれたヱホバの証者の禁止を解除する必要な手続をとられ,貴下の役人たちにこれら無害なクリスチャンたちの虐待を中止するよう命令されんことを請願致します。貴下の政府は,ヱホバの証者が聖言に示されている命令に従つて神を崇拝し,また人類の唯一の希望である,キリストによる神の御国を全世界に伝道するという理由の故に,彼らを迫害し抹殺しようとしている共産国ロシヤやその衛星国と同じ級のものになつたという事実を好まれないことでしよう。又貴下は,ヱホバの証者と戦うことによつて,貴下の政府を神と戦つている者の部類に加えるという事実を好まれない事も確かでありましよう。我々は,ペテロと彼の同僚の使徒たちに宗教的迫害をくわえた者に対して発せられた,次の警告に貴下の御注意をうながします,『あの人たちから手を引いて,そのなすままにしておきなさい。その企や,しわざが人間から出たものなら,自滅するだろう。しかし,もし神から出たものなら,あの人たちを滅ぼすことはできない。まかり違えば,諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない。』(使徒行伝 5章38,39節)ヱホバの聖言は,神と戦うことは,死人からの復活のない滅亡を意味すると警告しています。
ヱホバの証者に対する現在までの経験により,彼らを恐れる必要がないことは貴下の政府も間ちがいなく熟知されています。1957年8月24日,バルチモアのアフロ・アメリカン誌16頁に掲載された昨日の報告によれば,アメリカ合衆国駐在大使,マヌエル・デ・モヤ氏は貴国が,8月3日に10人の米人宣教者を追放したことを確認しました。そして『ヘクター・トルジリオ大統領の政府を倒そうとする陰謀の疑いがあつたから』だと話しました。このような非難はあまりにも途方もないもので,ヱホバの証者を良く知つている世界の政府にとつては,苦笑を禁じ得ないものでありましよう。これらのクリスチャンたちが少しも政治的野心を持つていないこと,従つて全く政治に干渉しないことは,全世界に知れわたつております。彼らは天にある神の御国が全地を支配されるのを待つています。そして彼の地上にいる証者たちがこの古い世のどの政府に対しても小指1本動かすことなく,神が来るべき宇宙戦争ハルマゲドンによつてこのことをなされるのを待ち望んでいます。聖言の中にヱホバは彼の証者たちに告げておられます。『汝らの戦に非ずヱホバの戦なればなり』(歴代志下 20:15)この理由にもとづいてヱホバの証者は,人々が今,平和と正義を追い求め,来つつある神の御国の側に立場を取り,ハルマゲドンに於いて神と戦う者と共に滅されないよう,警告を与えています。
我々は貴国にいる証者たちに対してとられた貴下の最近の行為がヱホバ神の御前にいかなる結果をもたらすか,貴下の御考慮を願うものであります。若し貴下がこれらキリストの追従者の迫害を固執されるならば,彼らの活動を止めさせ沈黙させるためには,貴国にいるあらゆるヱホバの証者を皆殺しにしなければならないことを知られるでありましよう。しかし彼らの指導者キリスト・イエスさえ,神の御国の伝道と,ヱホバを神として崇拝した理由によつて殺されました。しかし神は彼を死から復活させて報いを与えられました。故に,ドミニカ共和国内のヱホバの証者は,彼らの死に致るまでの忠実の報いとして,神が来るべき新しい世界に於いて彼らを死から復活させ永遠の生命を与えられるという全能の神の御約束に確信をもつておりますから,死に直面することを恐れません。しかしながら,貴下が一刻も早くヱホバ神に対する負け戦を中止されて,我々があらゆる近代設備を通して全世界に次の如く発表出来ることを期待致します。即ち,ドミニカ政府は7月24日付の禁止を取り消し,再び証者に他の非共産主義国で持つ宗教的自由を許し,国家の威厳を取り戻した。この決議により正式の通知が貴下の政府に送達されました。今貴下の責任は最高者ヱホバ神の御前にあります。この神の法廷に於いて,文書のみでなく,貴下の政府の行為による御返答をお待ち致します。
敬具
ヱホバの証者
バルチモア地域大会司会者によりこの決議の採決が動議さる,
大会司会者
マルコム・エス・アレン
同大会理事により賛成さる,
大会理事
ジョン・オー・グロー
1957年8月24日大会第4日目午後,ヱホバの証者『生命を与える叡知』地域大会により満場一致採決さる。
1957年8月24日土曜日夜(原文は法的に公証され署名され速達航空便でトルジリオ大元帥へ送付されました。複写も法的に公証され署名され1957年8月26日月曜日,アメリカ合衆国ワシントンD・C,にあるドミニカ大使館に,特別代表者を通じて提出されました)。