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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1958
塔58 3/15 120ページ

読者よりの質問

● 「ものみの塔」は,民数紀略12章1節の中で,ミリアムが反対したのはクシ人の女でチツポラだと述べています。しかし,「宗教は人類の為に何を成したか?」の115ページで,彼女がアブラハムの子孫だと述べられている以上,どうしてチツポラがクシ人であり得るでしようか。―アメリカの一読者より。

欽定訳の民数紀略 12章1節は次のように書かれています。『そしてミリアムとアロンはモーセが娶つたエチオピアの女のために,モーセを諦つた。』新世訳は次のようです,『そこで,ミリアムとアロンは,モーセが娶つたクシ人の妻のために,モーセをそしりはじめた。彼が娶つたのはクシ人の妻であつたからだ。』このことは,モーセがヱホバの代弁者として責任を取りすぎるというミリアムとアロンの不平にただちにつながる争いを起しました。それはモーセの妻の選択に反対する以上のものでした。その背後にあつた実際の動機は,ミリアムとアロンが,営の中でより大きな勢力を欲したことでした。そしてミリアムは特にそうでした。

ある聖書註解者はこのように言います。つまり,モーセは,チッポラと長い間結婚していたから,ここで関係があるのはチッポラではない。彼女に対して反対があつたとしたらずつと前に起きたに違いない。そして,チッポラは死んでモーセは再婚し,この度はエチオピアの女を選んだ。そしてこの再婚は,行われてまだ間がなかつたので,争いが起きたのだと彼らは推論します。しかし,聖書はこの事を述べていませんし,事情もそのような推論を必要としません。チッポラは,モーセと離れていましたが,シナイ山の近くの営でまた一緒になりました。この争いが起きたのは,営が進みはじめて間もなく後のことです。ですから結婚は新しいことではありませんでしたが,チッポラが営に来たのは新しいことでした。―出エジプト 18:1-5。

ミリアムは,チッポラが営に来たので,営中第一の婦人としての地位を取り替えられはしないかと恐れました。彼女は,モーセに不平を言うのにアロンを身方につけました。最初は彼の妻を理由にし,それをきつかけに次にはもう少し一般的な争い,モーセは権威を持ちすぎると不平を言いました。どちらの不平にも嫉妬深い野心が関係しており,民数紀略 1章の1節と後に続く事柄を理論的に結びつけます。ある註解者たちは,この関係に気ずきません。1節と後に続く事柄があわないから挿入句に違いないと主張します。

これらの理由と,チッポラの死やモーセの再婚の記録がないため,私たちは,そのクシ人の女はチッポラだと考えます。しかし,チッポラは,ミデアンを通して,アブラハムの子孫が住んでいた。ミデアンの地の祭司リウエルの娘でした。彼女はエチオピア人ではありませんでした。エチオピア人の先祖あるハムの息子クシの子孫という意味のクシ人でありませんでした。クシとかクシムと呼ばれたアラビヤ半島には,黒人でもエチオピア人でもないアラビヤ人がいました。このことは,ハバクク 3章7節で示されています,『クシヤンの天幕は艱難に罹り,ミデアンの地の幃幕は震う。』クシヤンはミデアンと同じ場所として示されています。ですから,『クシ人』といつても,必ずしも,クシを通したハムの子孫または黒人に限られていたわけではなく,ミデアンの地に住んでいたある人々にも適用されていたようです。それ故,民数紀略 12章の1節で,チッポラを指しクシ人と言うことができました。

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