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  • 『柔和な人たちはさいわいである』
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1958
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1958
塔58 6/1 207–213ページ

『柔和な人たちはさいわいである』

地上に生を受けた者の中で最も偉大な人間であるイエス・キリストは,教えと手本の両方を通して柔和であるように励まされました。イエスは『柔和な人たちは,さいわいである。彼らは地を受けつぐであろう』と言われ,また人々に『わたしは柔和で心のへりくだつた者であるから……わたしに学びなさい』とすすめられました。柔和であるということの意味を理解していないため,多くの人々は,イエス・キリストに対して間違つた考えを持つています。カトリック百科辞典第8巻384頁には,イエスの外見に対する,20人の画家の概念が示されています。一,二を除いた他のものは,イエスを女性的にまたは苦行者のように描いています。―マタイ 5:5; 11:29,新口。

しかし,イエスは頑健で,男性的な性格を持つていました。事実,この地に足跡を残した者の中で,一番強い人でした。彼は常に自分の考え,感情,動作に対して完全な制御力を持つていたのです。彼は権威のある話し方をして聞く者を驚嘆させ,偽善と貪欲の故に当時の宗教指導者たちを激しく非難することを容赦されませんでした。イエスを捕えるために派遣された兵士たちは,あまりにも強く感動させられたので彼らの使命を果すことができなかつたほどでした。彼は,御自分の父の宮から両替屋やその他の脅迫者を2回も追い出されました。イエスの人間としての生涯の最後の晩に,武器を持つた暴徒が彼を捕えるためにやつて来た時,イエスの大胆な言葉と態度は彼らをしりごみさせたほどでした。殆んどの人が,『柔和』という言葉に関連させて考えるのは,おずおずした,気の弱い骨なしですが,イエスはそのような人ではありませんでした。

では,柔和であるということは何を意味しますか。柔和な人とは,よく教えをきく人だと言われて来ました。柔和な人が喜んで教えをきくのは真実ですが,柔和であるということは,遥かそれ以上のことを意味します。これを証明するものは次のような『柔和』の定義です。『おだやかで温和な気質。自制心があつておだやかである。すぐにいからず,いらいらしない。侮辱や困惑に対して忍耐強い。』現代に翻訳された聖書には,古い翻訳に使われている『柔和』という言葉が『温和な』とか『おだやかな』という言葉に,度々置きかえられています。イエスが柔和であるのは疑問の余地がありません。聖書に示されているもう一つの柔和の著しい実例は,モーセです。神の聖霊は,霊感を与えて,彼のことを次のように書かせました,『モーセはその人となり温柔なること世の中の諸の人に勝れり。』― 民数 12:3。

柔和や温和は神の聖霊の実です,『御霊の実は,愛,……柔和。』柔和であることは,高慢,貪欲,気短か,残酷,争いずきで攻撃的であるのと,ちようど真反対です。温和または柔和な性質に欠けている人は,揚々かつ歩するのを好み,荒々しく,無愛想で,おこりつぽく気むずかしい人です。彼こそ一生涯人を押しのけて通る人であり,何時でも喧嘩を売る用意のある人です。そのために,妻たちは,特に温和と柔和を自分たちの飾りとするよう推奨されているのです,『柔和で,しとやかな霊という朽ちることのない飾りを,身につけるべきである。これこそ,神のみまえに,きわめて尊いものである。』― ガラテヤ 5:22,23。ペテロ前 3:4,新口。

なぜ柔和とおだやかさが必要か

なぜですか? それは,義と愛の道だからです。それは,『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』という神の御命令に一致しており,また,イエスの次の命令とも一致しています,『だから,何事でも人々からしてほしいと望むことは,人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。』― マタイ 22:39; 7:12,新口。

また柔和とおだやかさは,知恵の道でもあります。それは私たちが,永遠の生命に導く戒めを受けるのを容易にします。柔和は私たちをおだやかに,優しく,気持よく,つき合い易くします。それは,他の人々が私たちに近づき易くします。イエスはそのようでした,『すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだつた者であるから,わたしのくびきを負うて,わたしに学びなさい。そうすれば,あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく,わたしの荷は軽いからである。』― マタイ 11:28-30,新口。

その柔和とおだやかさこそ,ヤコブが示した知恵でした,『あなたがたのうちで,知恵があり物わかりのよい人は,だれであるか。その人は,知恵にかなう柔和な行いをしていることを,よい生活によつて示すがよい。しかし,もしあなたがたの心の中に,苦々しいねたみや党派心をいだいているのなら,誇り高ぶつてはならない。また,真理にそむいて偽つてはならない。そのような知恵は,上から下つてきたものではなくて,地につくもの,肉に属するもの,悪魔的なものである。』― ヤコブ 3:13-15,新口。

賢明な人は成果をあげます。そして他の人を扱うのに良い結果を得るには,私たちはとげとげしさや,争いを避けねばなりません。神は私たちの中に,自由を愛する心を植えつけられましたから,圧迫に対して憤慨するのは,人間の自然の情の一部です。圧迫は,高慢で愛のないことを暗示しています。ですから誰でも他の人々を監督する地位にいる人々が,おだやかな気質を持つていると,その人は人々からより良い協力を得るでしよう。というのは,その人は,協力を快いものにし,強制でなくて,何か自発的にするもののようにしむけるからです。両親,学校の教師,音楽の先生,またはクリスチャン奉仕者であれ,他の人を教える人々にとつて,おだやかさは特に欠くことのできないものです。原則を守るために私たちは,時にはしつかりとした不屈さが必要ですが,しかし,教えようとしている人々の喉にその事実を,押し込むかのようにとげとげしくしたり,支配的になつたり,威圧的になる必要は決してありません。

賢明な人は,知恵と,温和と,やさしい愛のこもつた方法で行います。彼は,原則,論理,音信の美しい魅力に訴えて,聞く者の注意を引きつけ,また感化します。そういう理由でペテロはクリスチャンたちに,『あなたがたのうちにある望みについて……やさしく,慎み深く……弁明』することができるようにせよと忠告したのです。事情によつては,温和な態度を示すのはむずかしいことですが,むずかしければむずかしい程それを示す重要性も大きいとさえいえましよう。

使徒パウロが次のように私たちに告げている通りです,『主の僕たる者は争つてはならない。だれに対しても親切であつて,よく教え,よく忍び,反対する者を柔和な心で教え導くべきである。』― ペテロ前 3:15。テモテ後 2:24,25,新口。

神は柔和な者をかえりみ給う

神の御言葉は,柔和な人々に対して多くの約束を与えています。『へりくだる者はくらいてあくことをえ』『その道をへりくだる者にしめしたまわん。』『ヱホバは柔和なる者をささえ』『(キリスト)正義をもて貧しき者をさばき,公平をもつて国のうちの柔和な者のために定めをなし』。すべてこれらの約束の中に暗示されているものは何ですか。それは柔和な者が,繁栄と義を受けることを意味しています。それを得るのに,人は,隣人に対して自分の柔和さを捨てる必要はないのです。―詩 22:26; 25:9; 147:6。イザヤ 11:4,新口。

神の怒りの日が接近していることを考慮する時,柔和な者は次の神の御約束に特に関心を持つべきです,『すべてヱホバの律法を行うこの地のへりくだるものよ,汝らヱホバを求め,公義を求め,謙遜を求めよ,さすれば汝らヱホバの怒りの日にあるいはかくさるることあらん。』この神の怒りの日は,他の箇所では,『全能の神の大いなる日の戦闘』ハルマゲドンとして描写されています。―ゼパニヤ 2:3。黙示 16:14,16。

ノアの日の洪水のように,ハルマゲドンが,暴力と悪をこの地上から一掃した後には,新しい組織制度,「正義のやどる新しい天と新しい地」が発足するでしよう。その時には神が私たちの最初の両親に与えられた命令『生めよ,殖えよ,地にみてよ,これを服従せよ。』の中に啓示されている,この地に関するヱホバ神の最初の御目的に一致して,全地はかつてのヱデンの園のような楽園とされるでしよう。その新しい世は,愛と,平和と,幸福の世界であつて,柔和になろうとしない人々は,その中に存続することを許されません。というのは,彼らは自分自身みじめであると同時に他の人の幸福も妨げるからです。―ペテロ後 3:13。創世 1:28。

それは,イエスが,『柔和な人たちは,さいわいである。彼らは地を受けつぐであろう』といわれた御約束の成就をしるしづけるものでしようか。そうではありません。少くとも最初のものではありません。詩篇記者ダビデの口から最初に出たこれらの言葉は,まず最も優れて柔和な方,イエス・キリストに適用されます。彼の父ヱホバ神はイエスに言われました,『われに求めよ,さらば汝にもろもろの国を嗣業としてあたえ,地の極をなんぢの有としてあたえん。』イエスが地をうけつがれることは,彼が地上に人間としておられた時に示した柔和と信仰に対するむくいの一部です。―マタイ 5:5,新口。詩 2:8。

イエス・キリストと共にこの嗣業を受ける者は彼の『花嫁』で,14万4000人に限定されており,イエスの足跡の追随者,天的むくいを受ける人々です。(黙示 14:1,3)使徒パウロは彼らに告げています,『もし子であれば,相続人でもある。神の相続人であつて,……キリストと共同の相続人なのである。』イエスはこれらの特に愛された追随者たちを,御自分の『小さき群』と呼ばれます。しかしながら,マタイ伝 5章の5節に言明されている原則は,柔和である故に地上で永遠の生命を受ける,イエスの他の羊にも適用されます。どのように? 彼らは,キリストと彼の花嫁から信頼されて地を管理します。いわば,永久の借地人です。―ロマ 8:17。ルカ 12:32。ヨハネ 10:16。

ですから,新しい世において,ヱホバ神の祝福を享受したいと望む人々は,義と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めることにより,神に対する信仰と,神と人とに対する愛をしめしなさい。―テモテ前 6:11,新口。

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