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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1958
塔58 8/15 303–304ページ

南太平洋は呼ぶ

南太平洋のある島にいる家族の手記

1951年「ものみの塔」協会の会長から,太平洋諸島には為すべき大きなわざがあることを聞きました。政府の偏見と憎しみのために,協会の宣教者がこれら多くの島々に入ることができないことも,会長は語りました。これを聞いた妻と私は,提案された島の一つに是非とも行くことに決めたのです。(神権的な利害を守るために,名前や場所を挙げません。)息子や娘にもこの事を相談したところ,皆がこの考えに賛成し,私たちは開拓することになりました。

突然に次のような考えがつぎつぎと心にひらめいて,私たちは苦しみました。このように大きな仕事を始めるのは賢明だろうか。健康や年齢はどうか。私たちは50に近いのだから,これらの島は冒険を好む若い人に任せる方がよいのではないか。また,子供たちの教育や,その将来のことも考えました。島で働くことになれば,よい仕事,高い給料,貯金など,私たちが大切に考えていた多くのものをあきらめねばなりません。島に伝道することは困難だが,極めて緊急に必要であると,支部の僕は語りました。私たち家族はよく考えた結果,やはり,島に行くことは私たちの為すべきことであると考えました。しかし,どこ? またどの島ですか。私たちは五,六の島について語り合いました。協会の許しを得て,ある島にいる兄弟に手紙を送り,どんな仕事があるか,オーストラリヤ人が土地を所有できるか,農場を経営できるか,商売を持つことができるか等を問い合わせたところ,自由保有権の小さな農場と家の売却広告と共に返事を受け取つて,私たちは大喜びでした。

私たちは,家畜が沢山いて,最新式の農業機械を備えた3000エーカーの農場を所有していました。私たちの役に立つてきた農場も今では益々多くの時間と労力をかけることが必要になつており,ただ子供たちのために,それを手離さないでおいたのです。しかし,子供たちはどうして古い世の物質主義を望むべきかと自問した結果,私たちは農場を売ることにしました。売ることを決めると同時に,買い手があり,価格も直ぐに話し合いがついて,私たちはこの世のきずなは少しも残さずにオーストラリヤを後にすることになりました。

一度かたく決心してからは,大きな問題も一つずつ解決されてゆきました。松並木の美しい場所にあつて,現代的な設備も整つている私たちの美しい農場を見た人々は,これを売る理由が分りませんでした。率直に言つて,それは容易ではなかつたのです。また,容易に決め難いことでした。何年もかかつて開墾し,土地を耕やして囲い,灌漑を施し,牧草地を作つて家畜を入れ,更に老後の安全と子供たちの将来に備えていたのですから,私たちが生活し,望み,働いてきたすべての物を突然に売ることは全く容易ではありませんでした。それは分別あり,理にかなつた行いとは見えなかつたことでしよう。この世の人々にとつて,そのように見えたことは私も知つていましたが,私たちはその事をしたのです。

友人,親類,私たちの自動車,そしてオーストラリヤに別れを告げる時が間もなく来ました。山のような持ち物を持つていた私たちも,全部で60ポンドだけの衣類 ― 飛行機で島に持参できる荷物の重さ ― を持ち,いわばから手で新しい世界を開拓することになつたのです。宣教者の精神を持つ私たちは,前途を考えて胸をふくらませ,心を躍らせました。

島に到着して間もなくすると,最初の興奮は無くなりました。私たちは多くの曲折を経てきたのです。これ以上つづけるのは不可能と思えたこともありましたが,それでも私たちはがんばりました。そして,今ではヱホバの愛ある御導きと憐われみの下にいて,私たちはこの喜びにみちた土地,とりいれを待つばかりに熟した収穫場を離れたいとは決して思いません。私たちは新しい農場を始め,新しい家に住み,新しい囲いをつくりました」。しかし,前と違つて今度の目的は,この島に留まり主の他の羊を探して養うことです。

はじめ,私たちは50マイル離れた処で毎週の聖書研究を開いて,未割当て区域の善意者を助け,朝早くから夜おそくまで働くのが常でした。多くの公開講演を開き,家から家のわざが確立されるにつれて,近くの善意者が早く集められ始めました。今では家に近い処を伝道しており,更に多くの時間をついやして養うわざを行つています。私たちがござの上にあぐらをかいて床に坐り,熱心に眼を見開いて耳を傾ける,これらの聖書を愛する人々に聖書の真理を説明している様子を想像できますか。その人々は聖書をよく読み,何回も読み返しています。そして聖書によく通じているので,ある人々は記憶から章を引用できるほどですが,理解には乏しいのです。人々は真理を求め,真理への愛を持つていますが,宗教を非常に恐れています。

死者の霊を恐れているために,昔からの女魔法使が今でもはばを利かせており,昔行われた搾取のために人々は疑い深く,また障壁を築いています。真理を学んでいる島の人々が語るのを聞くと私たちの心は喜びにあふれます。その人々と友だちになつて,交わりを楽しむことは,オーストラリヤの100万の農場にも匹敵するものです。彼らは楽しみを好み,また,本当の愛を持つています。女の人たちは研究を始める前から,姉妹を泳ぎに誘います。彼らは本当に心からの愛を持つ人々です。

御国の音信を伝えるために家族が神のわざを行うことは,祝福された道です。私たちは20以上の研究を定期的に司会していますが,娘は少女と,息子は若い人々と研究し,年寄りは老人の援助を喜んで受け,ヒンヅー教の女の間にある『女の障壁』を打ち砕きます。一歩ずつ進むごとに,私たちの喜びは増してゆきます。いまのところ,差し迫つた必要は,教育のある島の人々に伝道し,その人々が今度は自国語で音信を伝えるようにすることです。多くの人は島の言葉を話しても読むことができないため,効果的な伝道には話す力と読む力が必要です。

奉仕するのにこれほど良い区域があるでしょうか。島の人々はヱホバを知るようになつたと言い,真理のゆえに私たちの子供を愛して自分たちの子供と呼びます。御国の事柄は増し加わり,益々多くの人が集まるようになりました。何世紀もの伝統と東洋のしきたりに従う婚姻に束縛されてきた人々が『私の子供は主にある者とだけ結婚する』と言うのです。人々は婚姻のもつれを清く正しいものにしています。ヒンヅー人が日曜学校の教師に聖書を説明しているのを見たり,インデアンの子供が最初に覚えた英語でヱホバの御名と聖書の本の名前を言うのを聞きます。道のかたわらで家畜を追いながら,また,水田で激しく働いた後で人々は学び,偶像崇拝の悪や,ヱホバの御名の美しさが店やその他の場所で論じられたりします。年老いたインデアンの母親は私たちを兄弟,姉妹と呼び,真の神について人々に話すため一緒に行つてくれと頼みます。読み書きのできない彼女も,真理を語ることができます。これらすべては,南太平洋の呼び声に答えてここに来たとき,私たちの得たすばらしい報いです。ヱホバの恵みに対して,私は謙遜な気持で感謝しています。

私たちの小さな経験を聞く人々が,とり入れを待つばかりに熟したこの喜びの土地に行きたいと願うようになれば幸いです。ヱホバの証者の新世社会の中には,必要の大きい処で奉仕できる人が更に大勢いることでしよう。

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