キリスト教は第一面のニュース
『キリスト教は社説欄を通して世に来たのでなく,ニュース欄を通して来たということを忘れてはならない』とハルフォード・イー・ルコックは「クリスチャン信仰の宝」(英文)の中で書いています,『それはニュースの出来事であつた ― 第一面の大見出しのニュスであつた。特別なことが起きたのだ……福音は最初ニュースとして伝道された。キリスト教が力をもつて伝道されたときには,それは何時でもニュースとして伝道された。キリスト教が単なる助言という弱いものになつてしまつたとき,それは単に社説のキリスト教になつてしまい,霧のごときばくぜんたる雲に蒸発してしまつたのである。』
キリスト・イエスは次のことを示しました,すなわち神の御国が天で設立されたという音信はニュースであつて最善の種類のニュースであるということです。『この良いニュース』は,『すべての民に対してあかしをするために,全世界に宜べ伝えられるであろう。』― マタイ 24:14。
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「ヱホバの御名を呼び求める者はみな救われるであろう。しかし,信じていない者をどうして呼び求めることがあろうか,聞いたことのない者を,どうして信じることがあろうか,伝道する者がいなくては,どうして聞くことがあろうか。つかわされなくては,どうして聞くことがあろうか。つかわされなくてはどうして伝道することがあろうか。『ああ美わしいかな。良いことの良いたよりを宣べ伝える者の足は』と書いてあるとおりである。彼らには聞えなかつたであろうか。実際に『その声は全地に行きわたり,その言葉は地の隅々にまでおよんだ。』」― ロマ 10:13-15,18,新世。