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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1960
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読者よりの質問

● ヘブル書 11章1節をどのように理解すべきですか。信仰は,見えない実体の明白な表明である,という意味ですか。または,信仰は見えない実体の明白な表明にもとづくという意味ですか。あるいは,その節は別の仕方で理解すべきですか。―デンマークの一読者より。

この質問の聖句は,次の通りです,「信仰は望む事柄を確信して期待することであり,見えない実体の明日な表明である」。―ヘブル 11:1,新世。

あきらかにエレンクホスというギリシヤ語の言葉を「明白な表明」と訳されていることから,この節の意味についての質問が生じています。1948年のリデルとスコットの「ギリシヤ語 ― 英語辞書」再版は,このギリシヤ語の言葉を次のように訳出しています,「否認の論議,反論,厳重に調べること,試験すること,徹底的に調査すること,そしてまた確信に対する証明」。ヘブル書 11章1節のところには,その最後の意味が適用されます。

新世訳は文字通りのもので,その意味を全くみたすためとか,又は説明づけるために必要と思われる言葉はつけ加えられていません。使徒パウロ自身が,信仰は明白な表明である,つまり目に見えぬ実体について確信のための証明と言つています。別の言葉で言えば,明白な表明すなわち確信に対する証明は,非常に積極的で力づよいものであるため,信仰はそうである,と言われているのです。

信仰は見えない実体にもとづきません。信仰があるためには,見えない実体についての明白な表明,すなわち確信に対する証明がなければなりません。目に見えない事柄が存在していることについての証明または明白な表明がないなら,どうしてそのような目に見えぬ物,感知できないものの存在に信仰を持つことができますか。それですから,この節を次のように読むことは間ちがいです,「実体の明白な表明は見えなくても,信仰は望む事柄を確信することである」。なぜそうですか。なぜなら,実体の明白な表明を見ないなら,どうしてそのような実体を知ることができますか。またその存在についてのたしかな確信を持つことができますか。ギリシヤ語の聖句の中では,「見えない」という言葉は「実体」に適用されていて,その言葉を修飾しています。「見えない」という言葉は,「明白な表明」にあてはまりません。「実体」は私たちの人間の目に見えないものであるため,そのような見えない実体の存在を信ずるため,それらについての明白な表明を持たねばなりません。

それで,ヘブル書 11章1節を書いた人は,次のように言つているのです,すなわち信仰は「見えない実体の明白な表明」と同等である,ということです。信仰を持つている人は,この明白な表明に確信しています。この理由の故に,その人は実体そのものを見なくてもすみます。それですから,その人はそれらの実体をたとえ見なくても,それらの実体と調和した行いをいたします。しかし,盲目な行いをしているのではありません。頭の感知力と心の認識により目に見えない実体の実在を証明する明白な表明を持つているからです。

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