「家から家へ」
新世訳によると使徒行伝 20章20節は次のとおりです,「私は益となることなら何でも,あなたがたに語って,人中でも家から家へ行っても,あなたがたを教えるのをためらわなかった」。ある人はこの訳がまずいと言います。なぜなら「家から家へ」という言葉がはいっており,エホバの証者の家から家の活動を支持するのに使われているからだと言います。事実はどうですか。
ギリシャ語の聖書の中で,「家」(オイコウス)という言葉は,ギリシャ語の前置詞カタの後にきています。この場合「家」は対格復数です。この前置詞カタを対格と共に用いることについて,「スクールとカレッジのためのギリシャ語文法」という本の中で,ハードレイとアレンは,その256頁,カタの項で次のように述べています。「対格と共に用いて……配分的な表現に用いられる。カタ フィラは氏族ごとに,カタ ジョはふたりずつ,カスヘメランは日ごとに」。
「ギリシャ語聖書の文法入門」の中で,ダナとマンティ神学博士はその107頁,カタの項で次のように述べています,「(3)対格と共に使う場合: で,に,よると。ルカ伝 10章4節,……『だれにも道であいさつするな』。また,配分的な意味でも使われている。使徒行伝 2章46節のカット オイコン,家から家へがそれである。ルカ伝 2章41節のカット エトス,年ごと。コリント前書 14章27節のカタ ジョ,ふたりずつ。さらに,ルカ伝 8章1節と13章32節を見よ。」
もう1冊のギリシャ語の権威書,神学博士,サムエル・ジー・グリーン「ギリシャ語聖書文法の手引」(1912年版の改訂版)の248頁と249頁,カタの項で,次のように言っています,「B,対格と共に用いる場合……4配分的に場所とか時,ひとつの場所から他の場所へ。マルコ伝 13章の8節,セイスモア カタトポオス あちこちに地震があり。ルカ伝 8章の1節,ディオデウエ カタ ポリン 彼は町々を巡回した。カット エトス 年ごと。ルカ伝 2章の41節,カット オイコン 違った家々で。使徒行伝 2章46節,5章の42節,カタ パン サバトン 安息日ごとに。使徒行伝 15章21節」などです。
もう1回だけ権威ある書から引用してみましよう。今度は「新約聖書のギリシャ語 ― 英語辞典」からです。この辞典はジョセフ・ヘンリー・サィヤー神学博士によりほん訳され,改訂され,増補されたものです。この辞典の327頁には,カタの見出しのもとに,こう述べています。「II対格と共に用いた場合……3いろいろなものの関係,釣合を示す。a配分的に,ひとつのものに他のものが続く場合,a場所と関係して,カタ ポリン各々のまちで,(まちごとに,まちからまちへ),ルカ伝 8章1,4節。使徒行伝 15章21節。20章23節。テトス書 1章5節」。そしていくつかの例がこの後に出ています。使徒行伝 20章20節にあるように,ギリシャ語の前置詞カタに対格が伴う場合の配分的な使用法について説明している文法書は,まだほかにも必ずあるでしょう。
ここで興味あるのは,パウロの宣教について,エー・イー・ベイレイが「聖書時代の日常生活」の中で言っていることです,「パウロはたいてい,日の出の頃から午前十一時まで,自分の仕事をした。……そして,十一時から,四時まで会堂で伝道した。……それから最後に家から家に行って福音を説いてまわった。この仕事は午後四時から夜おそくまで続いた」。
以上すべてのギリシャ語の文法家たち,またこの歴史家は,自分たちが家から家へ行って,福音を宣明する仕事をしていたために,みなかたよった見方をしていると言えるでしようか。そうではありません! それで,新世訳による使徒行伝の20章20節の言葉は,エホバの証者が家から家の奉仕活動に参加しているからだと,だれも言うことはできないはずです。しかし,その句よりほかの言いまわしの方がよいなら,使徒行伝 20章の20節にある脚注の方をとればよいでしょう。そこには「または『そして個人の家々で』」となっています。