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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1962
塔62 4/1 195–196ページ

他の人に思いやりを示しますか

思いやりとは他の人の行動や意見を考えに入れ,また尊重することです。廊下で声を落として話したり,夜間,ラジオの音を小さくしたり,感謝の手紙や慰めの手紙を書くのはみなその表われです。事実,「してもよろしいですか」「ありがとう」「どうぞ」「ごめんなさい」と言う度に,人は思いやりを示しています。思いやりを示すのは極めて簡単なことであり,多くの人はそれと気づかずに毎日何百回も思いやりを示します。しかも思いやりは無くてならぬもの,根本をなすものであるゆえに,これがないならば生活はみじめなものになるでしょう。相手が思いやりを少しも示さないならば,毎日人と接することはやりきれないものになります。

自分が他の人に思いやりを示しているかどうかを見るおそらくいちばん良い方法は,他の人,特に目下の人に対する自分の態度と扱い方をしらべてみることです。作家のフランセス・ベントンは「現代の作法の本」という記事の中で興味深いことを述べています,「雇人に対しては他のだれに対するよりも礼儀正しく,思いやりを示し,注意深くしなければならないと,昔の格言に述べられている。もちろんこの事は掃除婦,売場の女店員,食堂の給仕,美容師,事務所の給仕の扱い方にも及ぶ。またこれはその人々がそれぞれ目下の者をどう扱うかにもあてはまることである。従業員の生活をおびやかすことのできる地位にいるからと言って,従業員を粗末に扱うことは許されない。気短かにも給仕と言い争う男や,セールスマンを口ぎたなくののしる女の人を見ると,その人柄とあらゆる行いが疑われる」。

私たちのために働く人々,従って私たちが普通以上に思いやりを示すべき人々は,教師,講演者,神の奉仕者です。授業また集会に何時もおくれてくる人,講演や宗教の礼拝の最中にいたずら書きをする人や,無関心にも眠りこけてしまう人は,たいてい思いやりに欠けています。また大会でプログラムの進行中に,すわって話を聞いているべき人が廊下を歩き回るのも,話している人と話している事柄を軽視する行いです。

他の人に対する根本的な思いやりを示ものは,家庭における振舞です。他人に対しては行儀よく振舞うのに,いちばん近い,親密な家族に対して思いやりのない人があります。このような人は靴をきれいにぬぐってから他人の家にはいりますが,自分の家にはいる時には決してその事をしません。よその家の食卓では申し分のない行儀を示すかもしれませんが,自分の家ではいっこう気にかけません。友人の家の洗面所ならば,自分の使った後をきちんとするのに,自分の家では乱雑にして他の者に片づけさせます。自分の家でも全く同じように思いやりを示すならば,どんなに大きな変化が家の中に見られるか考えてごらんなさい。家の中はもっと片づいて,お互いの親しみも増すことでしょう。各人が他の人の益を求めるようになります。聖書によれば,そうでなければなりません。使徒パウロは次の事を書いています,「だれでも,自分の益を求めないで,ほかの人の益を求めるべきである」。また「おのおの,自分のことばかりでなく,他人のことも考えなさい」とも書きました。愛は「自分の益を求めない」からです。家でこのような思いやりを示す人は,食卓で他の人から求められなくても食物を回して,他の人の必要に気を配るでしょう。客をもてなす女主人は,それぞれの好みが違うことを知って,給仕する前に尋ねるでしょう。このように思いやりは,生活を楽しく充実したものにします。―コリント前 10:24。ピリピ 2:4。コリント前 13:5,新口

公の場所での振舞も,他の人に対する思いやりを示すものです。自分を見せびらかすことは思いやりを示すことではありません。混み合ったエレベーターの中で声高に話すことや,会話を独占するのは思いやりに欠けるだけでなく,礼儀にさえはずれます。乗物や,狭い場所でたばこを吸うのも,礼儀にはずれた思いやりのない行いです。他の人にむかってせきをすることも人柄とその思いやりのないことを示します。その他にも,食卓でくしを使ったり,つめを切ったり,人の前でいれ歯をとったりなど,習慣のために気づかずにする事柄があります。しかし個人的な習慣のために,他の人を不快にしたり,気まづい思いをさせたり,また迷惑をかけるのは思いやりに欠けたことです。

思いやりのある人は3,4人で並んで歩いて他の人の通行を妨げたり,歩道の真中で立ち話をしません。友人に出会って話をしたい時は道の端に人々をよけて立ちます。また思いやりを示す人は,入口に立つか,あるいはすわって人々の邪魔をしないでしょう。

他の人の私的生活を尊重するのは,すべての人にとって良いことです。聖書は次のように述べています,「隣り人の家に足をしげくしてはならない,おそらくは彼は煩わしくなって,あなたを憎むようになろう」。隣りの人の家を余りに度々訪れて,あきられてはならないというのが箴言の助言です。―箴言 25:17,新口。

他の人に対する思いやりは,実際には愛を行なうこと,隣人愛を示すことなのです。その事を心に留めて下さい。従って私たちはあらゆる機会をとらえて,この性質を表わさなければなりません。他の人の気持ちを傷つけないようにするため言葉に気をつけ,他の人のことを考えて行動するとき,すべての人に思いやりを示すことができ,全部の人の生活を楽しいものにすることができます。

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