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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1962
塔62 7/15 440–447ページ

真理を愛する

デイビッド・ウイーデンマンの経験談

生まれつき真理を愛する人は,聖書の真理に対してもすぐに興味を示すようです。その方向にむかって努力すればするほど,真理に対する愛は深くなり,やがて何時か,エホバの助けによって,滅びゆく悪の世につながれていた自分が真理によって自由にされたことを知ります。(ヨハネ 8:32)この幸福な状態にとどまり,真理に対する認識を深めるには,当然,戦いをしなければなりません。このことを考えるとき,真理に対する愛をつちかってゆくことは本当に大切です。私はそのことを経験しました。過去25年間をふり返ってみるとき,ちょうど映画を見るように,それを心に思い浮かべることができます。

400人の町民が城を誇りにしているようなスイスのある古い町から程遠くない田舎を選んで私の父は引退後の晩年の生活を送るために落ち着きました。いちばん下の子で,結婚したばかりの私は父と一緒に住み,家計を助けていました。家のまわりには花壇と野菜畑があって,果樹を植えた牧草地の東の境にはきれいな小川が流れていました。

真理を聞く

ある土曜日の午後私が花畑で一心に働いていると,一人の人が垣に近づいて話しかけました,「ここは静かで,美しいところですね。世界中がこのようになって,人々が平和に住み,エホバの創造の美を楽しみながら何時までも幸福に暮らせるなら,すばらしいことです」。「それはけっこうなことだ。だが私は現実的な考え方をするほうで,真理は現実に即したものと思っています」。私の返事の中に真理という言葉を聞くと,その人はかばんから聖書を取り出してヨハネ伝 17章17節を読み,新教の教会の熱心な信者だった私は,その人の説明に同意しました。

話をしているうちにこの人は痛いところにふれ,「あなたはこれが真理であることを認めています。新教の人々でさえも認めているように,新教徒はカトリックの非聖書的な教えに抗議することをやめてしまいました」。この言葉にいささか憤がいした私は,自分の「教会」を弁護しようとして思わず大きな声を出したので近所の人が窓から外を見てささやき始め,妻は戸をあけて私たちを招じいれました。「どうぞ中にはいってお話し下さい。近所の人がみな聞いていますわ」。

意外にもその人は喜んで家の中にはいりました。その人は聖書研究生(いまのエホバの征者)だったのです。それから沢山の聖句を示して,説明してくれました。その大部分は私の知らない聖句で,しかも私の興味をひきましたが,同時に私はいっそう反発心を起こしました。新教徒でも聖書を持ち聖書に従おうと努めているのです。最後にその人は「黄金時代」を私の手に渡して,ひとつの特別な記事を読むことをすすめ,今度お伺いするときに,御意見をお聞きしたいと言いました。この事を徹底的にしらべて真理を述べようと決心していた私は,その言葉に同意したのです。

1週間の後,戸をたたたく音と,「聖書研究生がまた見えましたよ」という妻の声がしたとき,私は確信を抱いていました。大いに苦心して,反論するための聖句をいくつか用意しておいたからです。それで聖書から証拠をあげて話し始めた私の口調には,かなりの自信がこもっていました。聖書研究生は黙って聞いてから,ひとつひとつの聖句を検討しました。私は文脈に照らして聖句の本当の意味を理解していなかったようです。あやふやになり,汗をふき始めた私の様子を察して,相手は話を変え,とにかく聖書の真理を深くしらべて,それを理解しようとするのは良いことですと言ってほめてくれました。そして「ものみの塔」と「目ざめよ!」を置いてゆきました。

仕事の場所に近いところに新しい家を買うことで忙しかったため,前ほどひんぱんではないにしても,訪問はつづけられました。一方,私はもっと熱心に教会に通い始めましたが,以前と同じ考えを抱いていたのではありません。真理を知りたかった私は,本当にしらべる気になったのです。そのようにして教会の教えが聖書と違うことに気づき始めました。教会には「優秀な牧師」がいると私は断言していましたが,もし本当にそうなら三位一体,霊魂不滅,神が悪を許している理由をはっきり説明しそうなものだと考えついたのです。しかも聖書研究生が隣に住んでいて,牧師と何度も話したことがあるのです。

大きい家に移ったために忙しくなっても,真理に対する愛は根づき始め,義理の両親と一緒に暮らすようになっても,それは変わりませんでした。そのうえ,聖書研究生の集会に行くことも約束しました。地下室で数人が集まっているだけだという事でしたが一緒に行ってみると,こじんまりとした,きれいな部屋で,私はちょっと初期クリスチャン時代のローマのカタコムを考えましたが,集まっていた8人の人とすぐになじむことができました。そこでエホバの御霊を感じました。そうでなければ,私は再びそこに行かなかったことでしょう。

真理を愛するゆえに困難に打ちかつ

何ヵ月かののち天気のよい日曜日の午後,私は日当りのよいバルコニーで安楽椅子にかけて「和解」と題する本を読んでいました。「アダムの子孫である罪人のために,神が最愛の御子を地上で死なせ,悔改める人々との間に和解を図るという事は可能だろうか」と,私は考えました。しかしその事は聖書的に,また多くの見地から説明されていました。少しの疑いもありません。私たちがそのことを考える前に,エホバは大きな愛を示されたのです。「神がまずわたしたちを愛して下さった」ゆえに,今こそ愛すべき時であると,私は考えました。(ヨハネ第一 4:19,新口)心をつくしてエホバに仕えるか,古い世の道に歩みつづけるか,そのどちらかを選ばねばなりません。

しかし心の奥で決心ができていました。自分の地位,新しい家,大勢の親類,クラブなどがどうなるかという心配は,聖書の知識を深めるにつれて無くなったのです。聖書と「和解」の本を手に,私は読んだ事柄を妻に説明し,今日かぎりで教会をやめると宣言しました。その時まで教会にそれほど興味を持たなかった妻も,これには驚きました。そして私が今まで抱いていた疑問を一度に感じたようです。

しかしこれからも良い夫であることに変わりはないと言って,私は妻を慰めました。聖書から見ても,それは当然です。協会の出版物を読んでいた妻は,それ以来,聖書の質問をするようになりましたが,ついにある日「私も集会に行きたい」と言い出して,私を喜ばせました。「願ってもないことだ」と私は答えました。

反対にあう

教会をやめると共に,私は合唱団,聖歌隊,自転車クラブをやめ,妻も聖歌隊をやめました。反対が起きました。聖歌隊の副隊長がやってきて,私を「立ち返らせよう」と大いに弁じましたが,私は自分のとった行いを説明し,中途半端なことのできないわけを話したところ,期待に反した副隊長は大そう驚き,「君はこのような考えを持つぐらいの人だから,他の人によい影響を与えることができるのに」と言ってその場をとりつくろいました。だか人間に救いを帰する歌を,もう歌うことはできません。

聖歌隊の古参である老齢の父も,どうしたことかと私に尋ねました。「指揮者が今日私に言ったことを知っているかね。『あなたの息子のデイビッドは何時から気が違ったのか』と言うんだ」。このような反対にあうのは当然なことを私は説明しました。イエスも反対に耐えたのです。父は真理を十分に理解したわけではありませんが,最後にこう言いました,「お前のしていることが正しいことは確信している」。

職場での嵐を乗り切る

上役に呼ばれて事務所にはいると,今までに見たこともないほど,いらだった様子で「聖書研究生に加わったことが支配人に分かれば,君はくびにされてしまうだろう」。「そうかも知れません。そのことも考えてあります。エホバが毎日の糧を与えて下さることを確信しています」。「給料とパンを与えてくれるのは会社ではないか」。上役は私をおどそうとしましたが,私の心は動きませんでした。

二,三週間後に,仕事のことで支配人に会いましたが,何時も人を威圧するような支配人が意外にも親切な態度でした。その後ふたたび上役に呼ばれたとき,次のように言われたのです。「支配人は何もかも承知している。彼は君の態度に感心しているよ」。私はほんとうに感謝しました。

1936年の国際大会

真理の知識が深くなるにつれて,集会と奉仕の喜びも大きくなり,ものみの塔協会のベルンの事務所から定期的にくる兄弟たちの話も喜びの源となりました。1936年にルセルンで開かれた国際大会が近づき,外国の開拓者をもてなす特権に恵まれました。そのユーゴスラビアの若い開拓者夫妻プラタ兄弟,姉妹から御国奉仕の経験を聞き,エホバに対する無私の,忠実な献身ぶりを見て,私たちは感銘を受けました。(後にこのプラタ兄弟は真理のため,ナチのテロにあって殺されました)忘れることのできないその大会で,私たちは水の浸礼により献身を公に表わしました。カトリックの牧師の反対が原因で,大勢,逮捕されたうえに,当局との問題がからんで,せっかく宣伝したルサフォード兄弟の講演会は遂に禁止され,非公開のエホバの証者の集会として開かれました。

警官は一般の人が会場にはいるのを阻止し,コングレスハウス正面の広場は人で埋まりました。拡声機の使用も許されず,警官の処置にふんがいしながらも,1時間半のあいだ静かに会場の外で待っていた人々に,私たちは話の内容をいくらか伝え,また文書を渡しました。このすべてのことを経験しても,真理に対する私たちの愛は変わらず,かえって大会また開拓者から大きな励ましを与えられました。「義理の両親に対する責任がなくなった時には,家を離れ,仕事をやめて奉仕に専心できるだろうか」。私のこの問に妻は答えました,「もちろんですわ」。「家や庭の仕事についやしている多くの時間を,伝道に使ったら本当に有益です」。私の心は喜びでいっぱいでした。

開拓奉仕への門出

1年半が過ぎ去り,大きな家には妻と私だけが住んでいました。健康のすぐれなかった義理の父は他界し,義理の母は,妻をなくした自分の兄弟と住むようになったのです。子供好きな私たちにまだ子供ができなかったのは少しさびしいことでしたが,最も貴重なもの開拓奉仕をエホバの助けによって始めない理由があるだろうかと,私たちは考えました。早速,祈りの気持ちで慎重に考慮した結果,私たちの決心はきまりました。開拓奉仕は私たちの道です。

商用で一緒に旅行したとき,私は上役にその計画を話しました。黙って聞いていた上役は,人間の見地から色々な意見を述べて私の考えを変えようとしましたが,神の言葉に基づいて下した私たちの決定は動きませんでした。神の御霊と真理に対する愛が初志をつらぬく力となったのです。家の買い手も見つかり,ベルンを経てパリにたつ朝に正式の売約が成立しました。

フランスで開拓奉仕

パリでは兄弟たちに暖かく迎えられました。ハウテピレネ県に任命された私たちは,数日後にパリをたって,仲間のチェコの開拓者ハウスナー兄弟と共に目的地にむかいました。県のおもな町タルベでは別の開拓者リエ兄弟が待っているはずでした。到着早々に私たちは家具つきの小さな部屋に落着きましたが,それは以前の大きな家とは何と大きな相違でしょう。ともあれ,この事は食物の変化と共に覚悟していたことです。私たちは早速,伝道を始め,それは以前の限られた奉仕よりも大きな喜びをもたらしました。

「どうかしたのかい,いやにもじもじしているじゃないか」。「何でもないわ。ただ少しかゆいの」と妻は私に答えました。電灯をつけてみると,見たこともない赤い虫が逃げてゆくではありませんか。全くこんな虫のことまで考えていませんでした。シーツを払ってから,ベッドの足を石油を入れた鑵の中に立て,これで虫も退散すると思ったのは間違いで,壁をはい上がった虫は天井からベッドの上に落ちてきました。こういう事に経験のあるリエ兄弟に教えられて,わらびをマットレスの下に敷いたところ,虫に悩まされなくなりました。

この小さな問題を片づけたのもつかの間,私は県庁に呼び出されました。役人は厳しい顔をして「あなたは観光客だと言わなかったかね。おまけに照会先として国際的に有名な会社の名前をあげた。ところがここの人々に,宗教の本を配布しているではないか」。私は答えました。「これは商業的な仕事ではありません。誠実な人々が聖書の真理を知って慰められるように,自発的に自分の時間を使っているのです」。役人は2冊の本を渡すようにと言い,私は一時的に釈放されましたが,この仕事をつづけてはいけないと固く命ぜられました。そのうえ再度の出頭命令にも応じなければなりません。こんなに早くこのような事になろうとは,思いもよらなかったことです。始めたばかりの仕事をやめなければならないでしょうか。また国外に追放される危険をおかさなければならないでしょうか。私たち4人はすっかり気落ちしてしまい,事の次第をパリの事務所に報告しました。県が私たちに有利な決定をするように,エホバに熱心に祈りました。何事もなく日が過ぎ,緊張しているうちにある日警官が来て出頭令状を渡し,私はエホバの導きを祈ってから複雑な気持ちで県庁に出頭しました。私を迎えたのは同じ人でしたが,前とは違う表情なのを見て私は勇気づけられました。その人は本を返して,にっこりしながらこう言ったのです,「あなたの『自由な時間』にこれをつづけてもよろしい。ただし毎晩タルベに帰ることが条件です」。私はこおどりして足も地につかないほどに飛んで家に帰りました。天の父の明らかな導きに対し,私たちは喜ぶと共に心から感謝しました。

この事の後真理をひろめて再訪問することから,大きな喜びと祝福を得ました。私は妻と二人で,これこそいちばん幸福な生活だとしみじみ感じました。また色々な経験によって,天の父とその愛する御子に対する愛は深くなったのです。

もっと大きな困難を克服

ある日,近くの村を伝道してから,私たちはある牧草地で落ち合って昼食をともにしました。静かな秋の日で,ここかしこには農夫が馬車をかって牧草地を横切っていました。たいていの農夫は野がもや動物を撃つために鉄砲を肩にしています。一人の若い農夫が馬車を駆って近づいてきました。馬車をとめて鉄砲を肩からはずし,馬車から飛びおりたとき,暴発して男は地面に倒れました。女は悲鳴をあげ,私たちは他の農夫たちと共にその場にかけ寄りました。

「私に何かできますか」。「あなたの車でいちばん近い町に行って,大急ぎで医者を連れてきて下さい。これが住所です」。私は3人を後に残して町に車を走らせ,医者は自分の車でかけつけましたが,不幸にして手おくれでした。

2日後,朝の5時に激しく戸をたたく音と共に「警察の者だ。すぐに来てもらいたい」という声に飛び起きて戸を開けると,二人の警官が待っていて,私は警察に連れて行かれました。半時間待たされてから,尋問され「おとといこれこれの時間にどこにいましたか」という,質問に始まって,「その時何をしていましたか」など,矢つぎ早に質問されましたが,答えるほどに係官はだんだんやさしい態度になりました。20分後に別の部屋に連れて行かれましたが,驚いたことにそこにはリエ兄弟がいたのです。それから5分もたたないうちに,これもまた尋問されたハウスナー兄弟が来て,私たち3人は,これがあの不幸な農夫の死に関係しているかどうか,何の説明も与えられずに釈放されました。おそらくだれかが密告したのでしょう。しかし3人とも同じ供述をしたので,無実なことが証明されたのです。その時には予想しなかったことですが,このように警察と近づきになったことには利益もありました。

この時から私たちは区域にある警察署にも伝道して,聖書の文書をすすめるようになったのです。それは「私たちはここにいます」ということを知らせるためでした。そのため,警察では,狂信的なカトリック信者や牧師が私たちの伝道に抗議しても,それをとりあげませんでした。

しかし特筆すべき例外としては次のような事件がありました。ある時,上官の命令で私の自動車の中を調べた警官は,小さな箱と重い鞄を見つけ,あけるようにと命じました。「なんだ,蓄音機じゃないか」。そして私は二,三枚のレコードをかけて聞かせ,証言をすることができました。このようにして,問題はその場で解決したのです。

リエ兄弟とハウスナー兄弟がアルジェリアの新しい任命地に去ってからも,妻と私はツールースに残って働くことになりました。エホバに奉仕する喜びは減少することなく,大勢の善意者を見出し,「ものみの塔」を一緒に勉強するにつれて喜びは大きくなりました。ある老夫婦は機会のある毎に友だちに征言し,二人の若い人は私たちと一緒に奉仕し始めました。会衆を設立する明るい見通しがありました。

1939年の8月はじめ,チューリヒの大会に出席するためにスイスに行ったとき,私たちはツールースの友だちに大部分の持ち物を預けて「オ・ルボアール」(また会いましょう)と言いかわして別れを告げましたが,今日に至るまで私たちは再会していません。国境を越えるか越えないうちに,国境は有刺鉄線で閉鎖され,私たちはあの大災害をもたらした第二世界大戦の始まったことを知ったのです。その後,タルベとくにツールースには強い会衆ができたことを私たちは聞きました。

スイスでの奉仕

すべての事にもかかわらず,私たちは自分の国で宣教をつゞけました。そして1年の後ベルンの支部に呼ばれて,そこで奉仕することになりました。これは大きな特権であり,以来21年間,私たちはベテルにいて神の与えられた真理に対する愛を常に表わし,また強めることができました。

ベテルで私たちはさまざまの経験をし,数多くの奉仕の特権を与えられ,言いつくすことのできない喜びを味わっています。また色々な試練もありました。私は以前の会社や親類から度重なる勧誘を受けましたが,その度に「過ぎ去るもののために,真理と生命の道を離れるのは理にかなわず,きわめて愚かなことではないか」と自問しました。そして何時もこれらの誘惑を断固として退けてきました。必要な力はだれから与えられますか。私たちを愛の中に導かれた,恵み深い天の父エホバです。私たちはエホバの真理を愛します。私たちの心をこめての願いは,エホバの助けにより,この真理をどんなことがあっても決して手放さないことです。

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