聖書の正直さ
新聞の常時特約寄稿者シドニー・ジェイ・ハリスは,聖書の全き正直さに非常に心をうたれてつぎのように書きました,「ある一つの見解を宣伝したり,ある特定の信仰をすすめる本は,ほとんどみな,あらゆる矛盾,あらゆる弱点,反対者たちのあらゆる反対をひどく無視するものである。しかし,旧訳聖書は,人間のそのような欠点や弱点でみちている。宗教指導者たちを攻撃し,背教した国民を非難し,神の激しいさばきが彼らの上にのぞむことを警告したイザヤ書のような預言書を考えて見るがよい。米国共和党全国委員会が,その運動用文書の中にアデライ・スチーブンソンの激しい非難を載せるのを,またその反対を想像できる人がいるだろうか。ところが,旧約聖書の編集者は,その通りのことが聖書の一部になるのを許したのである」。―1959年12月16日号の「テレグラフ・ジャーナル」より
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「聖書は,すべて神の霊感を受けて書かれたものであって,人を教え,戒め,正しくし,義に導くのに有益である。それによって,神の人が,あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて,完全にととのえられた者になるのである」。―テモテ後 3:16-17,新口。