神の国が治める人類の千年期 ― なぜ文字どおりのものですか
1 「千年期」ということばは何をさして用いられていますか。それについてどんな疑問が起きますか。
千年期とは1000年間のことです。この語に相当する英語ミレニアムは,聖書巻末の本黙示録のラテン語訳20章2-7節にある二つのラテン語,つまり「一千年」を意味する「ミレ アニ」から来ています。ここにあげた聖句によると,イエス・キリストは人類を1000年間治めます。イエス・キリストは地上の最初の人間アダムに似ているので,「最後のアダム」とも呼ばれます。「最初の人アダム」は神に罪を犯し,1000年の命を見ないで930歳で死にました。(創世 5:1-5。コリント第一 15:45-49)黙示録は象徴的な表現に富む預言の本なので,キリストが王として治める1000年は文字どおりのものか,あるいは比喩的な意味をもつ象徴であるかについて,いろいろと議論されてきました。
2 黙示録 20章4-6節は千年期について何と述べていますか。
2 この大切な問題と取り組むにあたって,キリストの統治に関する黙示録 20章4-6節の預言を読みましょう。「そしてわたしは多くの座を見た。彼らはそれにすわった。さばきは彼らに与えられた。イエスのあかしと神のことばとのために首を切られ,獣もその像をも崇拝せず,またその印を顔や手に受けなかった者の魂があった。彼らは生き,キリストと共に千年間治めた。残りの死人は千年が終わるまで生きなかった。これは第一の復活である。第一の復活にあずかる者は祝福されており,神聖である。これらの者に対して第二の死は力がない。しかし,彼らは神とキリストとの祭司になる。そして彼と共に千年間治める」― ローマ・カトリック,ドウエー訳。
3,4 (イ)「千年」ということばが象徴であるかど疑問が起きるのはなぜですか。(ロ)ヨハネは千年期がどれほどの長さであると考えましたか。これを知る手がかりとして初期クリスチャンの中のだれのことを調べますか。
3 ここに引用した聖句の中の,「獣」と「その像」ということばはあるものの象徴です。では,「千年」ということばも象徴で,実際の1000年より長い期間をさしますか。これを書いたクリスチャン使徒ヨハネ自身はどう理解していましたか。ヨハネ自身の注解を直接に得ることはできませんが,2世紀の人で,使徒ヨハネの仲間を知っていたパピアスがいます。このパピアスについて,「カトリック百科事典」(1911年版)11巻308頁は,「千年期」の項に次のことを述べています。
4 「聖ヨハネの弟子,ヒエラポリスのパピアスは至福千年期説の唱道者であったらしく,自分の説を使徒時代の人から得たと主張した。そしてイレニウスによれば,弟子ヨハネに接した他の『長老』も,主の教えの一部として,千年期説に対する信仰を学んでいた。ユーセビウスによれば(『教会史』,III,39),パピアスは,死人の復活ののち,栄光に輝くキリストの見える地的な国の一千年があることを,自分の本の中で明言している……」a
5,6 (イ)パピアスその他のクリスチャン長老はヨハネの幻に従って何を待ち望みましたか。(ロ)キリストの千年統治はどんな「日」以前に始まりませんか。
5 イエス・キリストと,キリストの会衆を構成する14万4000人のあがなわれた追随者による千年支配について,預言的な幻を受けた使徒ヨハネは,その幻を真実の描写として受け入れました。ヨハネは千年期が文字どおり1000年の長さであることを信じたのです。その証拠として,殉教したパピアスや,弟子ヨハネに接したほかの〔クリスチャン〕『長老』」の証言があります。これらの人々はあがなわれたキリストの会衆の14万4000人が復活する時を待ち望んでいました。それはキリストの千年支配の間,自らも生き,統治し,祭司として仕えるためでした。
6 この人々は「終りの日」が到来して,このことが起きるのを待ち望みました。「終りの日」に関するイエスご自身のことばを,使徒ヨハネがこうしるしていたからです。「人の子の肉を食べず,また,その血を飲まなければ,あなたがたの内に命はない。わたしの肉を食べ,わたしの血を飲む者には,永遠の命があり,わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう」。(ヨハネ 6:53,54)そしてイエスの愛された友ラザロの姉妹マルタは,「終りの日のよみがえりの時よみがえることは,存じています」とイエスに語りました。(ヨハネ 11:24)それでキリストの千年統治は,「終りの日」以前には始まりません。
統治の時
7 (イ)イエスは統治のため神の定められた時まで喜んで待とうとする態度をどのように示されましたか。(ロ)イエスの追随者についてどんな疑問が起きましたか。これについてパウロはどんな態度を示しましたか。
7 イエス・キリストは,王として1000年間治めるため,神が定められた時まで喜んで待とうとされました。悪魔サタンが荒野でイエスを誘惑し,この世のすべての国を提供した時にも,イエスはそれら地上の国々を得るため,悪魔サタンにひれ伏し,崇拝しようとはしませんでした。(ルカ 4:1-8。マタイ 4:8-11)しかし一つの疑問が生じました。イエスの足跡に従う者たちは,み子イエス・キリストと共に治めるため,神が定めた時まで喜んで待ち,その間の迫害と苦難のすべてを耐えますか。とらわれて獄にあった使徒パウロは仲間のクリスチャンに書きました。「わたしは選ばれた人たちのために,いっさいのことを耐え忍ぶのである。それは,彼らもキリスト・イエスによる救を受け,また,それと共に永遠の栄光を受けるためである。次の言葉は確実である。『もしわたしたちが,彼と共に死んだなら,また彼と共に生きるであろう。もし耐え忍ぶなら,彼と共に支配者となるであろう』」。(テモテ第二 2:10-12)そうです,パウロは喜んで待とうとしていました。しかしコリントの一部の野心的なクリスチャンに彼はこう書きました。
8 待つことについて,パウロはコリントの野心的なクリスチャンに何と書きましたか。
8 「あなたがたは,すでに満腹しているのだ。すでに富み栄えているのだ。わたしたちを差しおいて,王になっているのだ。ああ,王になっていてくれたらと思う。そうであったなら,わたしたちも,あなたがたと共に王になれたであろう。わたしはこう考える。神はわたしたち使徒を死刑囚のように,最後に出場する者として引き出し,こうしてわたしたちは,全世界に……見せ物にされたのだ」― コリント第一 4:8,9。
9 パウロが死ぬ時治める者となっていたかどうかをどんなことばが示していますか。
9 使徒パウロは地上で王となって死んだのではありません。むしろ獄の中からこう書きました。「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき,走るべき行程を走りつくし,信仰を守りとおした。今や,義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には,公平な審判者である主が,それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく,主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう」― テモテ第二 4:7,8。
10 (イ)使徒ヨハネのどんなことばは彼が死の時に治める者となっていなかったことを示していますか。(ロ)それで,キリスト教国のある宗教指導者についてどんな疑問が起きますか。
10 使徒ヨハネも主イエス・キリストの未来の出現を心から待ち望んでいましたが,彼も地上で王となり,治める者となって死んだのではありません。長い地上の生涯の終わりに彼は書きました。「世と世にあるものとを,愛してはいけない。もし,世を愛する者があれば,父の愛は彼のうちにない。すべて世にあるもの,すなわち,肉の欲,目の欲,持ち物の誇りは,父から出たものではなく,世から出たものである」。(ヨハネ第一 2:15-17)それでは,法王,総大司教,大司教,司教などが,幾世紀もの間キリスト教国で支配し,華麗な王座にすわり,王が持つような器物を誇示してきたのはなぜですか。
11 これらの人々は明らかに何を考えていますか。ローマの法王についてどんな疑問が起きますか。
11 これらキリスト教国の宗教上の公職につく人々は,キリストの千年統治がすでに始まり,たとえキリストは天にいても自分はキリストとともに地上で治める権能を与えられたと考えてきたのですか。そして「ナショナル・カトリック年鑑」は法王を,「ローマの司教,イエス・キリストの代理者,使徒の君たる聖ペテロの後継者……ローマ州の大司教,バチカン市国の元首」としていますが,目に見えないキリストはこのような見える人間を代表者にして地上を治めてこられましたか。
12 キリスト教国のこれら宗教上の公職にある人々はどれくらいの間治めてきましたか。それらの中で黙示録 20章4-6節を個人的に成就した者がいますか。
12 これら宗教上の公職にある人々はローマのコンスタンチン大帝の時代もしくはそのしばらくあとから今日に至る,b 文字どおりの1000年より長い期間にわたって,人々を治めてきました。法王レオ1世(西暦440-461)は述べました。「わたしはこの地上にあと一度支配を回復する。それはカイザルを連れもどすことではなく,新しい神権政治を宣言し,わたし自身がキリストの代理者となることによる。またそれはペテロになされた約束の力によるのであり,わたしはその後継者である……わたしは王冠でなく三重冠を着ける。それは宇宙主権の象徴であり,その前に暴虐は逃げ去り,幸福は復興するであろう」。c しかしこれらキリストの代理者と称された者たち,また司教の座についた大司教,司教などのうち,イエス・キリストがなさるように1000年間治めた者はいません。それでこれらの者のうち,キリストと共に治めることに関する黙示録 20章4-6節を成就した者はいません。
定められた時より先ばしる
13-15 (イ)それで黙示録 20章4-6節の解釈上の変化についてどんな疑問が起きますか。(ロ)「カトリック百科辞典」のオーガスチンに関する記述はこれら疑問の解決にどう役だちますか。
13 それでは,黙示録20章4-6節のこの解釈上の変化はいつ,どのように,またなぜ起きましたか。宗教指導者が千年期を象徴的な意味に解釈し,キリストの再臨に先だち,肉体の人間が人工の物質の王座にすわって行なう地上での支配と見るようになったのは,いつのことで,またどんな理由によりますか。この点で問題解決に役だつのは「カトリック百科事典」です。その1911年版第10巻309ページは「千年期」の項に次のことを述べています。
14 「聖オーガスチンは最後に,千年期は存在しないという確信をいだくに至った。悪の世界およびサタンに対するキリストとその聖徒の戦いは,地上の教会でなされる。この偉大な聖会博士は,そのことを自著『デ シビテイト デイ』〔神の都について〕の中に書いている。彼はこの本の中で,黙示録 20章に比喩的な説明を加えている。この章が扱う第一の復活はバプテスマによる霊的な生まれかわりである,と彼は言う。有史6000年のあとに1000年の安息が続くことはつまり永遠の命である。言いかえれば,千という数は完全さを表わし,最後の1000年は世の終わりをさすと見るべきである。いずれにしても,黙示録が言うキリストの国とは教会のことにほかならない。d ……
15 「著名な聖会博士のこの説明は,以後の西方神学者が採用するところとなり,千年期説は当初の形ではもはや支持されなくなった……さらに,教会とローマ帝国とのつながりが深まるにつれ,俗権に対する教会の態度も変遷を見た。迫害時代における千年期説は,やがてキリストが再現し,選民の敵を打ち破るという希望の表われであったが,こうした時代的な変化が,クリスチャンを従来の千年期説から離れさせる力となったことは疑いない……中世は一度も千年期説に染まらなかった。この時期の神学また一般の宗教感情にとって,千年期説は全く無縁であった……千年期説に新時代を画したのは16世紀の新教運動である」。
16 宗教指導者が将来のキリスト千年統治の必要を感じなくなったのはなぜですか。彼らはキリストの模範に従っていないことをどのように正当化しようとしましたか。
16 ここに答えがあります! 4世紀の宗教指導者がローマ帝国の公認を得,宗教的な権力の地位につき,かくして宗教と国家とが手をつないだ時,彼らに起こったことは何ですか。宗教指導者は,天の栄光を受けた会衆と共に将来行なわれる,イエス・キリストの文字どおりの千年統治の必要を感じなくなったのです。彼らはローマ帝国のあと押しを得,顕著な宗教上の地位にあってすでに治めていました。さらに,キリストの模範にならわず,死からの復活以前,地上に肉体でいる間に政治家と共に支配権をとったことを正当化するため,彼らは黙示録 20章4-6節を自らにあてはめました。彼らは,人類に対するキリストの千年統治についてのこうした考えの変化を,信徒にも信じさせました。このことは,マクリントックとストロングの宗教に関する「百科事典」6巻265ページ2欄が確証しています。
17 マクリントックとストロングの「百科事典」は前述のことを支持して何と述べていますか。
17 「この著しい考えの変化は,教会の状態と見通しが変わったことに大きく由来している。当初,クリスチャンは主の再現を熱望した。さらに,十字架の精神的な力をもってローマ帝国を征服することは,キリスト自身の超自然の介在によらないなら,全く望み得ないことであった。しかし,福音が広まるにつれ,クリスチャン運動が,真理と霊の力によりすべての敵に平穏な勝利を収めることは可能であり,あり得るという確信が,信徒の心に宿るようになった。古代教会著述家の中で,福音固有の力によるこうした勝利の実際性を明言したのはオリゲン(180年に生誕,254年に死亡)が最初とされている」。
18,19 (イ)国家との結びつきのゆえにキリスト教国の教会はすでにどんな時代にはいったと考えましたか。(ロ)その考え方を助長したのはどのカトリック教父ですか。どのように?
18 キリスト教国の宗教組織が政府の保護を得,国家との友好関係,また国家への影響力を持ち,異教徒の強制的な改宗のため国家の武力をも利用するに及んで,キリスト教国の教会はすでに使徒ヨハネの予告した千年期にはいったということが主張されました。千年期についてのオーガスチン博士の論じ方は,こうした考えを大きく押し進めました。前述の「百科事典」はこう述べています。
19 「オーガスチンのこの問題の扱い方は,転期となる。自分はかつて1000年の安息を信じた,そして義人の喜びが霊的なものとみなされるかぎり,今でもこの説に反対しないと,彼は言う。(「デ シビテイト デイ」,XX,7)しかし,論議を続ける彼は,地上のキリストの国は教会であり,教会はすでに千年期にはいり,すべての敵に対する栄光の支配を開始しているとの命題を提出する。こうして指導的なカトリック教父〔オーガスチン〕の支持を得た,この脚色された預言解釈が,この問題に関する中世思想を色づけしたと思われる」― 6巻,1890年版,265ページ。
20 (イ)ローマ・カトリック法王制度における字義どおりの千年統治はいつ成就したと考えられていますか。(ロ)その後に続いた苦難はどのように解釈されていますか。これはなぜ正しくありませんか。
20 黙示録 20章4-6節についてこのような解釈を広めたカトリック教父アウレリウス・オーガスチンは,西暦354年から430年の人です。キリストの千年統治は地上のローマ・カトリック教会においてすでに始まっているとする彼の見解に合わせて,のちに次のことが考えられました。すなわち,ローマ・カトリック法王の字義的な意味での千年統治は,法王レオ3世がローマでシャルルマーニュに神聖ローマ帝国の帝冠を与えた西暦800年から,ナポレオン・ボナパルトによりすでに退位させられていた法王ピウス6世がバチカンで捕えられ,フランスのバレンスに流された西暦1799年まで続いたというのです。ピウス6世はこの年の2月20日に流され,同年8月29日,バレンスで死んでいます。e このうちローマ・カトリック教会に臨んだ苦難は,悪魔サタンが千年期の終わりに「少しの間」解放されたことのしるしとみなされました。(黙示 20:1-3,7,ドウエー訳)しかし,1799年以来すでに168年たっています。これは悪魔が解放される「少しの間」ではありません。しかも法王政治のかかえる苦難はいよいよ大きくなっています。そして今,大いなるバビロンの滅びは近づいており,その最強の成員であるこの宗教帝国の前途は危うくなっています。
比喩的な千年期の誤りは証明される
21 キリスト教国の教会の敵に対する栄光の支配について,オーガスチンの誤りは今日どのように明らかですか。
21 ローマ・カトリック「聖徒」オーガスチンの誤りはここで明らかです。キリスト教国の教会が「千年期」を迎えたことはなく,いまだに敵の諸国家を打ち砕いたこともありません。キリスト教国の教会は「すべての敵に対する栄光の支配を開始している」と,オーガスチンは,述べましたが,今日このように言える人はいません。異教世界はキリスト教国の教会制度より早く拡大しています。また,無神論の共産主義はローマ・カトリックの地盤にも広がっています。オーガスチンが,キリストの千年統治に関する黙示録 20章4-6節に象徴的,もしくは比喩的な解釈を加えたことは明白な誤りでした。キリスト教国の教会制度下にあって,人類が約束された千年期の祝福を受けたことはありません。
22,23 (イ)すべての敵に対するクリスチャン運動の平穏な勝利を期待した宗教指導者の望みについてはどうですか。(ロ)千年期に先だつキリストの再臨について,彼らのどんな異論は根拠のないことが暴露されていますか。
22 それでは,キリストの天の御国による文字どおりの千年統治を退けた宗教指導者についてはどうですか。「クリスチャン運動が,真理と霊の力によりすべての敵に平穏な勝利を収める」という彼らの望みは打ち砕かれています。キリスト教国の宣教師により世界は平和裡に改宗され,栄光を受けたイエス・キリストが天から強力に介入し,千年期をもたらすことは必要でないというのが彼らの考えでした。この考えが聖書の誤った解釈であることはすでに証明されました。キリストが文字どおりの千年統治に先だち,御国の権威をもって再臨することは不必要であるとする,これら宗教指導者の異論は根拠のないものであることが暴露されています。そのような異論について,マクリントックとストロングの「百科事典」(6巻266頁)は述べています。
23 「キリストの到来まで世界は堕落の過程をたどり,人類の改宗をはかるクリスチャンの努力は無益であるとして,希望をさまし,クリスチャンの宣教活動を抑制する千年期説の傾向は,このような見解に対して少なからぬ反対論となっている」― 1890年版。
24 (イ)1914年以来のできごとを見,先の異論に関連してどんな疑問がありますか。(ロ)ものみの塔協会の歴史は,努力が抑制されず,希望がさまされていないことをどう示していますか。
24 このことばが出版されたのは1890年,つまり今から77年まえです。それでは1914年以来の世界についてはどうですか。それは「堕落の過程」をたどっていますか。キリストの到来以前に全世界の改宗をはかるキリスト教国の努力は無益でしたか。世界情勢の傾向はこれらに,『然り!』と答えます。しかし,人類を祝福する,キリストの文字どおりの千年統治を待ち望むクリスチャンの,伝道および宣教者活動は抑制され,その望みはさまされていますか。過去88年間の歴史がはっきりこれを否定します!「シオンのものみの塔」誌は1879年に創刊されました。そして1884年,ものみの塔聖書冊子協会は「聖書の研究」として知られる一連の本の発行を始めました。これは1巻から6巻まであり,当初,「千年期のあけぼの」と呼ばれました。二つの世界大戦を通じて迫害を経験したにもかかわらず,ペンシルバニアのものみの塔聖書冊子協会は,今日,全世界に95の支部を所有しています。そして,きたらんとするキリスト千年統治の福音を164の言語で宣明しています。その宣教者と伝道者は199の土地にいます。そして,御国伝道者の数は年毎に増加しています。
25 (イ)オーガスチンはある時千年期について何と述べましたか。(ロ)現代の年代研究は人間の地上の存在について何を示していますか。
25 15世紀前,ローマ・カトリックの「聖徒」オーガスチンは,6000年の歴史,および七日目の休息の期間としての1000年の「安息」について述べました。しかし,彼はこの見解を途中で捨てました。これまで幾世紀もの間,カトリックおよびプロテスタント信徒は,ジェームス・アッシャー大司教の作成した聖書年代表を採用してきました。この年表は最初の人アダムの創造をキリスト前4004年としており,これに従えば,人間存在の6000年はこの20世紀が終わる少し前,つまり西暦1996年に終わります。しかし聖書年代の最近の計算によれば,人類存在の6000年は1975年の後半に終わります。これは今世紀のさなかです。聖書の千年期はこれから将来にあり,年代的な計算と世界史上のでき事とから言うなら,それは近づいています。ローマ・カトリックの聖書注釈が言うごとく,それは今終わろうとしているのではありません。英語のドウエー訳聖書マーフィー版の中で,黙示録 20章1,2節はこうです。
26,27 (イ)マーフィー版聖書の脚注は,いつサタンがつながれたとしていますか。(ロ)また,千年期はいつであり,殉教した聖徒はその間に何をするとしていますか,
26 「そしてわたしは,一人の御使いが底のない穴のかぎと,大きな鎖を手にもって,天からおりて来るのを見た。そして彼は悪魔であり,サタンである龍,古いへびを捕え,千年の間つないだ」。
27 「つないだ」ということばについての脚注はこうです。「サタンの力はキリストの受難によって非常に制限されるようになった」。また,「千年の間」ということばに関する脚注はこうです。「つまり,新約聖書の全時代をさす。しかし特に『バビロン』もしくは異教ローマの滅亡から,世の終わり近くにある,『ゴグ』と『マゴグ』の教会に対する新しい努力の時までをさす。その間,殉教者と聖徒の魂は『第一の復活』にあずかり,天のキリストと共に生きて統治する。これは魂の栄光の命への復活であり,『第二の復活』は,全体的な裁きの日にある,からだの復活である」― バルチモア(メリーランド州)版。
28 「異教ローマ」の消滅以来どれだけの時がたっていますか。サタンが底のない穴にいるかどうかについて歴史の事実は何を示していますか。
28 しかし,「異教ローマ」が5世紀に法王制度下のローマとなって以来すでに1000年以上が経過しています。そして歴史の事実は,悪魔サタンがこれまでつながれ,底なき所に入れられていたということを否定しています。黙示録 20章3節(ドウエー訳)はこう予告しています。「そして彼[天からの御使い]はこの者を底のない穴に投げ込んで閉じこめ,その上に封印をし,千年が終わるまでもはや諸国民を惑わすことがないようにした。そしてその後,この者は少しの間とき放たれる」。
29 黙示録はハルマゲドンの戦いをどこに位置づけていますか。それに関連し,龍,悪魔サタンがすでにつながれ,底のない穴にいるかどうかを何が示していますか。
29 黙示録は,サタンがつながれ,底のない穴もしくは底なき所に投げ込まれる以前に,ハルマゲドンの戦いが起きることを明示しています。聖書の記述によれば,龍,悪魔サタンの口から出る汚れた霊は,獣や偽預言者の口から出る汚れた霊と共に働き,全地の王をハルマゲドンで行なわれる全能の神の大いなる日の戦いのために集めます。したがって悪魔サタンは,諸国民をハルマゲドンの戦場に集めることに直接参加するのです。ここにあげた三つの源から出る三つの悪霊の霊が地上の支配者に働いているのは今です。著名な人々がすでに何度も警告しているとおり,地上の支配者とその軍勢は今ハルマゲドンに向かって行進しています。そして悪魔サタンの口から出る汚れた霊は地上の支配者とその軍勢をハルマゲドンに集めることに加わっているのです。したがって,今諸国民を惑わしている龍,悪魔サタンがつながれ,底のない穴にとじ込められているはずはありません。―黙示 16:13-16,ドウエー訳。
30 (イ)サタンの地上の政治上の手先きに関するどんなことは,サタンがまだ穴に封じられていないことを示していますか。(ロ)ハルマゲドンにおいて,それら政治上の手先きはどうなりますか。サタンがそこに加わるのはいつですか。
30 そうです,悪魔サタンをつなぎ,底のない穴に1000年間とじ込めることはまだ起きていません。象徴的な「獣」と「偽預言者」はまだ地上にいます。同じように悪魔サタンは地の近くにおり,「獣」と「偽預言者」を手先きとして,地上の王とその軍勢を全能の神の大いなる日の戦いによる滅亡に集めています。黙示録 19章は神の大いなる日に行なわれるハルマゲドンの戦いについて述べ,それがサタンをつないで底のない穴に投げ込むことのすぐ前に行なわれることを示しています。このきたらんとする戦いにおいて,「獣」と「偽預言者」は象徴的な火といおうの池に投げ込まれて,滅ぼされます。そして悪魔サタンは,全人類に対するキリストの千年統治が終わった時はじめて,そこに加えられます。―黙示 19:11–20:3,7-10,ドウエー訳。
31 それで,キリストの千年統治はこれから将来であると言えるのはなぜですか。今日,それに関して,どんなすばらしい事実がありますか。
31 それで,ハルマゲドンの戦いがこれから将来のものであるごとく,サタンをつないで底のない穴に投げ込むこともこれから将来に起こります。これらの事柄はハルマゲドンの戦いの次に起こるからです。そしてこの点から見ても,キリストの千年統治はこれから将来のものでなければなりません。キリストの千年統治は,サタンを底のない穴に投げ込んだあとに始まり,サタンがそこにとじ込められる1000年の間つづくからです。こうして,オーガスチンおよび他のキリスト教国宗教指導者の,千年期を否定する教えのまちがいは再び明らかになります。わたしたちはキリストの文字どおりの千年統治をこれから迎えねばなりません。そしてすばらしい事実を言えば,それは今非常に近いのであり,わたしたちに救いをもたらそうとしているのです。
[脚注]
a このことを確証するのは「アメリカナ百科事典」21巻(1929年版)268頁の記述です。「パピアス,キリスト教著述家,ヒエラポリスの司教。イレニウスおよび後期の著述家は彼を『ヨハネの話を聞いた者,ポリカーブの友』としている。彼は西暦163年ペルガモで殉教した。彼は千年期説,つまり死人の復活後キリストが自ら地上で1000年間治めるという説の初期の信者の一人であり,主のことばに関する5冊の注釈書の著者である。その断片は少数ながら現存している。聖マタイの福音書がヘブル語で書かれたとされていたこと,また3番目の福音書の記録の際に福音伝道者マルコがペテロの解釈者もしくは書記になったと考えられていたことなどについては,この断片が資料となった」。
b マクリントックとストロングの「百科事典」8巻396頁は述べています。「コンスタンチンの時代以前,国家機構において牧師が占める立場はなんら顕著なものではなかった。しかしキリスト教がローマ帝国の国教となるや,その奉仕者は威信を失った迷信的な異教の司祭に代わる立場を占めるようになった」。
c ナジョン・ロード法学博士著「歴史のかがり火」(Beacon Lights of History)第3巻244,245頁参照。1884年ニューヨーク版,第30章「マルチン・ルター: プロテスタント宗教改革」。
d オーガスチン博士の「デ シビテイト デイ」,XX5-7参照。ジャック・ポール・ミーニュ版,ラテン語の,「Patrologiae curusus completus」,XLI607,608頁。これより前,西暦3世紀における千年期論争については,モシェイムの「教会史原論」,3章「神学の歴史」,第12項,および1848年ロンドン版のジェームス・シートン・レイド神学博士の脚注。
e 「時は近づけり」(「聖書の研究」第2巻,英文)356頁参照。および「シオンのものみの塔」1881年12月号6,7頁,1882年5月号8頁,1889年8月号3,4頁。