富くじの誘惑
多くの人々が富くじに魅力を感じるのは疑いない事実です。富くじに伴うスリルはもちろんのこと,ほんの少しのお金を払っただけで多くを得られるという望みは,かなり多くの人々にとってたまらない魅力となっています。この事実を見てとった,アメリカのニューヨーク州は,富くじを設け,去る6月15日に発売をはじめました。
富くじの魅力には二つの面があると言えるでしょう。つまり,富くじを買う一般市民のみならず,政府にとっても財源の一つとして魅力があるのです。ニューヨーク州の場合,富くじに反対投票をしたのは160万4694人で,一般市民の有権者の大半を占める246万4898人が賛成投票をしただけでなく,議会でも再三,賛成投票が行なわれました。こうして同州は,3年前にアメリカで過去70年来初めて富くじを発売した,近隣のニューハンプシャー州の先例に従ったのです。全世界では80以上の国々が富くじを売買しており,毎年合計10億ドル(3600億円)の収益を上げています。
国の後援を受けて盛んに行なわれ,また世界的にも最も広く知られている富くじの例はアイルランドの競馬です。そしてこの競馬はアイルランド最大の事業となっています。アメリカの主要な実業雑誌「フォーチューン」によれば,アイルランド競馬の馬券は146か国で売買されているとのことです。そして,この競馬によって毎年約4500万ドル(162億円)の利益が得られ,その5分の1は慈善事業に回されていると言われています。西ドイツは富くじの面で世界一と言えるでしょう。政府は3種類の富くじで毎年5億4500万ドル(1962億円)の収入を得,その3分の1を国民の保健,青少年の福祉,スポーツの振興などの諸計画の財源にあてています。昨年の12月には,スペインのマドリッドで最大の祭日富くじが売買され,当選者に対して5000万ドル(180億円)の賞金が配分されました。英国,フランス,メキシコも富くじで多額の収益を上げていますが,ソ連,チェコスロバキア,ハンガリーなどの共産圏諸国でも同じことが行なわれています。
しかし,政府の財源に関しては富くじは一種の詐欺的な手段であると言えるため,アメリカ公民権問題の一部の指導者は強力な反対運動を展開してきました。ニューヨーク州でも,実際には一部の最高責任者から強い反対を受けました。なぜですか。ニューヨーク・ポスト紙はその理由を次のように述べました。「富くじを求めるのは,求める余裕のほとんどない人々である。ゆえに富くじは逆行的な課税[累進課税の逆]a であり,社会的に言って誤っている……英国ではもぐり賭博場で貧しい人々を相手に富くじの大半が売買されている……貧乏人は,一獲千金を夢見て,食物や衣服など生活必需品にあてるべきお金を賭博に使うようになるのは確かなことである」― 1966年10月3日付。
これが単なる憶測ではないということを示したのは,プエルトリコの富くじ関係の従業員が起こした10日間のストライキです。この期間中,一部のスーパーマーケットで食糧品の売上げが30パーセントふえました。富くじの売買が中止され,富くじにお金を費やすことができなかったので,貧しい人々は明らかにより多くのお金を食費にあてたのです!
アメリカ税協会も,財源としての富くじの売買は一種の詐欺であると見ており,こう述べました。「どれほど多くの巧みな方法を考案しようと,そのいずれに関しても決して万能薬はないということを遅かれ早かれ知るであろう……『痛みを感じさせない』治療法が遂には最も激しい苦痛を伴う療法となってしまうということはしばしば生ずるものだ」。
富くじが一種の詐欺であるということは,富くじが本質的に不健全であるという点からもわかります。富くじは売買に多大の労働力を要しますが,富を生み出しません。それは,相当の費用をかけて,多くの人の手から集めたお金を少数者の手に分配するだけの事なのです。ある場合には,総経費が売り上げ総額の50パーセントを占めています。しかしお金を譲渡する正当で健全な方法は,純粋の贈与,何らかの対価および労働力と引き替えに与えることなどの三つの型しかありません。
聖書の原則を導きとする人は,富くじや賭博を行なうよう誘惑される場合,抵抗するすべを知っていなければなりません。たとえ当事者たちが自分のお金を奪われることに同意していても,それは略奪行為です。決闘は,両人の合意に基づく殺人であるとは言え,長年,法で禁じられています。賭博もそれと同様です。賭博は当事者相互の合意に基づく略奪で,一人の人間がもうけるには,他の多くの人間が損をしなければならないのです。他人の苦痛や損失を利用して喜びあるいは利潤を得ようとするのは道徳的な悪です。
確かに富くじは利己主義を助長します。富くじに手を出す人は,隣人が払ったものを自分のものにしようというむなしい望みをいだくからです。こうして各人は実際のところ他の人々を自分の敵にしているのです。これはコリント人への第一の手紙 10章24節にある次のような聖書の助言にまっこうから反しています。「だれでも,自分の益を求めないで,ほかの人の益を求めるべきである」。その行為の根底にあるのは金銭に対する愛です。使徒パウロによれば,その種の愛はすべての悪の根なのです。―テモテ第一 6:9,10。
それで,富くじを取り扱う機関にしばしば腐敗がつきまとっているのも驚くには及びません。一つの州から別の州に富くじを送ることが70年前にアメリカで禁じられたのも実にこの理由からでした。また決して見のがせないのは,賭博に夢中になる人のみじめな生活です。苦しい生活のためにしばしば悲惨な事態が生じ,あらゆる種類の犯罪が起きます。
富くじの誘惑に屈するということはまた,人間は働かねばならないという聖書の原則にも反します。富くじの誘惑に負けてしまう人は,一生懸命に働くことの代わりに「幸運」をあてにしているのです。しかし聖書は明らかにこう述べています。「働こうとしない者は,食べることもしてはならない」― テサロニケ第二 3:10。箴言 6:6。
それでクリスチャンは,他の人が行なうことには干渉しませんが,神を喜ばすためには,富くじの誘惑に抵抗します。そして,略奪する者はクリスチャン会衆から除かれることおよび富くじに関係する仕事に雇われるのは略奪に加担するに等しいことを知っていますから,富くじを売ったり,それに類する職業に従事したりせず,一生懸命に働き,働きの実をもって満足し,だれをも苦しめることのない方法で自分の楽しみを求めるでしょう。―コリント第一 6:9,10。
[脚注]
a 累進課税とは,支払い能力に応じて課税する方法で,収入が高くなればなるほど,課税率も高くなります。