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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1967
塔67 12/1 707–708ページ

愛していますか,夢中になっていますか

愛しているのか,それともただ夢中になっているのか。これは大きな問題です。結婚生活の幸不幸は多くの場合,二人が愛し合って結婚したのか,それともただ夢中になって一緒になったかに大きく左右されるからです。青年男女にとっては特に重要な問題です。アメリカにおける十歳代の結婚は,二組のうち一組が別居か離婚に終わっているのです。

しかもこの恐ろしい現実は悲劇の全容を物語っていません。アメリカの家族生活福祉協会の責任者クラーク・W・ブラックバーレは述べました。「結婚生活を無味乾燥なもの,あざむきごと,重荷あるいは失敗と感じ,離婚には至らないまでも幻滅と不満に陥って暮らす若い夫婦の比率が悲劇的なほど高いということは紛れもない事実である」。

これらの男女は,「ほれている…」と感じていたに違いありませんが,「ほれる」とは,異性の肉体的な魅力にひかれているという意味です。時にそれはきわめて楽しく,大きな望みが開かれているかに思えても,幸福が保証されているわけではありません。しかし相手の幸福を図ろうとするある程度の無私の心と豊かな良識とがあれば,その種の愛も幸福な結婚をもたらし得,かつしばしばもたらしています。昔のヘブル人イサクについて聖書に書かれているとおりです。「イサクは……彼女[リベカ]を愛し……母の死後,慰めを得た」― 創世 24:67。

しかし夢中になるということはそれとは異なっており,「無分別な強い愛着」と定義されます。このことばの英語“infatuation”は「愚劣」の意味のラテン語“fatuus”からできたもので,このラテン語からはさらに,「知性および合理的な思考の欠如した状態,特に正当な根拠のない軽薄な望みや願いをいだいている状態」を意味する英語の“fatuous”ということばが派生しました。

異性の二人が互いに強くひかれるようになるのは自然なことです。人類がたしかに「ふえ(て),地に満」つるようになるため,創造者は,互いに異性を求め合う強い力を人間に与えられたのです。医学は,人間の性欲がおもに生殖腺により生ずるのではなく,中脳あるいは視床下部により起きることを示しています。性欲の働きの中心が脳にあるというこの事実から,人間の思考,想像,崇拝などの脳の高次の働きが性欲の影響を受けるということもわかります。ゆえに,いずれに他をつかさどらせるかが問題です。性欲が高次の精神活動を支配しますか,それとも精神活動が性欲を制御しますか。―創世 1:28。

異性に夢中になるのは,人間の未熟さの表われです。芸能界の人気者を偶像視する少女たちに見られるごとく,相手を自らの欲望を満たす対象にし,あるいは,それに伴う責任をほとんどまたは全く無視し,かつ相手の感情や福祉を顧みずに所有しようとすることです。

しかし,このことと愛とをとり違えるのは若い人に限ったことではなく,年齢や経験さえこの誤りを避ける助けとはなりません。再婚後ふたたび離婚や別居する例がしばしばあることからも,それは明らかです。異性に夢中になると冷静に事実を考慮できなくなり,理性や原則を度外視します。きわめて若いにもかかわらず老齢の異性に夢中になる人,既婚者に魅せられる独身の人,趣味,生活態度,主義,宗教などを全く異にする相手に心を奪われる人もいます。しかしこのような結婚では,性的な魅力ゆえに両人が得られる喜び以外にふたりの幸福に貢献できるものは何もありません。

異性に夢中になるということには相反する面があります。つまり無分別であればあるほどその気持ちが強いという傾向です。つまり親や友人の助言に耳をかさず,ただ性急に肉体関係を求める傾向があり,そのために煩悶したり,良心の呵責に悩んだりする事態が生じます。それは,人間が制御できない地震や台風に似て,押えがたいほどに激しい感情です。長続きはしませんが,危険なものです。

愛は盲目であるとよく言いますが,真の愛は盲目ではありません。聖書に出てくるヤコブは,ラケルのために働いた7年間も「ただ数日のように思え」たほど,美しいラケルを愛していました。ヤコブはラケルの良さを認めたのです。また,ラケルを一生涯愛したことは,ヤコブが単に彼女に夢中になったのではなく,真に愛していたことを示しています。また,ヤコブがただ夢中になっていたのであれば,「夢中なふたりはすぐ一つになる」ということばどおり,7年間は待てなかったはずです。―創世 29:20。

しかし夢中な恋は盲目です。よくても片目です。見たいことしか見えず,あるいは見えると想像するだけであって,自己中心であり,ほとんどが不幸に終わります。異性に夢中になる人は,自分を正直に評価せず,相手を幸福にするだけの力や,長年にわたって幸福な結婚生活を営める見込みがあるかどうかを正しく評価していません。また,ごちそう,美しい衣服,“楽しみ”を好む以外に,ほんとうに心を合わせてやれるようなことが自分たちにはあるだろうかとは考えません。そして,イエス・キリストの述べられた,「受けるよりは与える方が,さいわいである」という原則を顧みません。―使行 20:35。

しかし,無分別な結婚がすべて別居か離婚に終わるわけではありません。人のことを考えない未熟な若い二人が結婚したとしても,精神的に成長し,互いにおりあい,愛し合うことを学べます。二人がその気になれば,結婚生活の破綻は回避できるのです。しかしそれには,謙遜な心,忍耐,たゆまざる努力,自制,思いやり,配偶者に対する無私の関心が必要です。―ガラテヤ 5:22,23。

ゆえに異性に夢中になることを避けなさい。人が性の力を制御でき,また制御しなければならないことは,聖書が淫行や姦淫のみならず神のしもべと不信者との結婚をいましめていることからも明らかです。(申命 7:3,4。コリント第一 6:9,10; 7:39)いましめられている以上,性の力は制御でき,かつ制御され,正い方向に導かれねばなりません。そのときはじめて幸福が約束され,神に誉れを帰し,また神を喜ばすことができるのです。―コリント第一 10:31。

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