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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
塔68 3/15 165–167ページ

子供は親に対してどんな恩がありますか

すべての子どもは,はじめて息をしたしゅんかんから恩を負っています。それは子どもの命を守る責任をもつ父母への恩です。親は子どもに食べさせ,着せ,教育し,世話をしますから,その恩は年とともに大きくなります。ある子どもは,子としてなすべき事を行なって,感謝を示しますが,それをしない子どもも非常にたくさんいます。

聖書の箴言 30章11節には,現代の多数の子どもにあてはまる真実が述べられています。「世には父をのろったり,母を祝福しない者がある」。また別のところで聖書は,「終りの時」になると,子どもたちが親に逆らい,恩を知らぬ者となることを預言しています。(テモテ第二 3:1-4)わたしたちは現在,予告されていたそういう状態が生じているのを見ています。かっとなって,親にあくたいをつく子がいます。それどころか親を殺した者さえいます。しかし,もっと一般的にみても,子どもは親に対して反抗的なところがあります。それは不従順,思いやりのなさ,不親切,無礼な態度などにあらわれます。それは,生まれたときから彼らを愛し,めんどうをみてくれた親に対する感謝の表わしかたでしょうか。そうでないことはいうまでもありません。

思春期を迎えた若い人々は,自分のしたいことが必ず親の反対にあうように思えて,親は自分を理解してくれない,と考えがちです。たとえば親が,夜は何時までに帰りなさい,と言うと若い人はこれを,不当な束縛と考えるかもしれません。親は娘に,多くの女の子が着ているような肌もあらわな服を着ないようにしきりに戒め,男の子には,近所のあるグループの男の子たちと交際するのを禁じるかもしれません。流行をひどく気にし,同じ年頃の人たちから仲間はずれにされることを心配する若い人々にとって,そのような制限は,理解のないことのように思えます。しかし実際にそうでしょうか。忘れてならないのは,両親もかつてはティーン・エイジャーであったということです。親は,子どもも,また自分と子どもが住む世の中をも,よく理解しているからこそ,そのような制限を加えるのです。

夜がおそくなれば睡眠が不足し,健康や,学校での勉強の能率に影響することを親は知っています。世の道徳が低下して,それが若い未熟な人たちにどんな悪影響をおよぼすかを,親は子どもよりもよく知っています。また,若い友だちと深夜まで遊んでいれば,どんな問題が起こりうるかにも気づいています。ですから,親が子どもの行動に制限を加えるのは,子どもを理解していないからではなく,どうすることがいちばん子どものためになるかを,はっきりと理解しているからです。したがって,親に対する子どもの義務は,親のほうがよい判断をくだすということを認めることです。

親を敬うこと

いかなる組織の中においても,権威をもつ者は,その組織内の他の人々から尊敬される権利があります。実際に,数人からなるひとつの小さな組織である家族も例外ではありません。両親,とくに父親は,子どもを生んで,ひとつの家族をつくったことから,権威ある地位を占めます。この家族という組織において,子どもは下位者です。であれば,子どもは当然両親の権威を重んずべきではないでしょうか。

子どもが親を敬うべきことは,イスラエル民族に与えられた神の律法に明示されています。十戒の5番目は,「あなたの父と母を敬え」となっています。(出エジプト 20:12)「敬う」という言葉には,重んずるという意味もあります。何時までに帰るように言われたからといって,または悪影響がありそうだと両親が考える友だちとの交際をとめられたからといって,両親と言い争うのは両親の言葉を重んずる行為ですか。口答えをせずに,親の言うことを聞くほうが,親を敬うことではないでしょうか。

父母を敬うことは,友だちの前で両親のことを話す態度とも関係があります。親をののしったり,親を恥ずかしめるようなことを言ったりすれば,おとなをばかにしている若者たちは笑うかもしれません。でもそれは両親に対して誠実を欠いた行ないです。それよりも,誠実に,敬意をこめて親のことを話すほうが,親の愛にこたえるにふさわしい態度ではないでしょうか。

イスラエルでは,父母を敬うことが非常に重視され,むすこにせよ,娘にせよ,父または母を打ったり,のろったりした者は,処刑されることになっていました。これについてはつぎのようなおきてがありました。「自分の父または母を撃つ者は,必ず殺されなければならない。自分の父または母をのろう者は,必ず殺されなければならない」。(出エジプト 21:15,17)家族の頭に対してそのように不忠実で,不遜な態度を取ることは,ゆゆしい問題でした。クリスチャンは律法契約の下にはいませんが,この戒めは常に親を敬わねばならない,というクリスチャンの守るべき原則を確立します。

従順

聖書は子どもたちに対して,「子たる者よ,何事についても両親に従いなさい。これが主に喜ばれることである」という賢明な助言を与えています。(コロサイ 3:20)これも子どもが親に対してもつ義務です。従順は,両親の権威,および父親が,家族という組織の中で,聖書にもとづいて行使する頭の権に対する尊敬の表われです。子どもの従順が,家族全体の平和と一致に寄与する以上,子どももそれから益を得ます。

子どもは,何が正しいか,何がまちがいかについて,おとなの導きを必要とします。そしてその導きを両親に求めるのは当然です。クリスチャンの両親に従って,禁じられていることを避けるなら,悪いことをしなくなり,また,両親に協力して,両親がしなさいということをするなら,よいことをするようになります。両親が,文字に書かれた神の義の律法と原則を基準にして善悪を判断するならば,子どもは従順によって最善の生きかたを学び,おとなの導きから十分の益を得ます。

親が子どもに,ある事柄をある方法でしなさいと言うとき,それをすることも従順ですが,同時に言われたとおりの方法ですることも従順です。子どもたちに,そしておとなにでさえよくあるまちがいは,自分のやりかたのほうが,人から言われたやりかたよりよいと考えることです。自分のやりかたのほうがよいかわるいかは重要ではありません。上位者は特定の方法ですることを言いつけたのです。服従の原則は,その特定の方法ですることを義務づけます。たとえば男の子が,母親のつくった書きつけをもって買物にいきます。もし違った物を買うなら,その子どもは従順ではありません。母親は理由があって,書きつけにのっている物を買おうとしているのです。ほかの物にするかどうかは,子どもが決めることではありません。子どもは,大なきことにおいて従順であると同時に,小さなことにおいても従順であることによって,両親が自分にしてくれたことへの感謝と,両親の権威に対する尊敬を示すことができます。

懲らしめ

親の懲らしめを心にとめることは知恵の道です。「懲らしめ」という言葉には,訓練して人格を陶治し矯正するという意味があります。親がしてはいけないということをする子どもは,体罰を与えて懲らしめなければならない時があります。また,言葉で戒めるだけで十分な場合もあります。(箴言 13:24; 29:15)いずれの場合も,子どもの人格を陶治する訓練の一部です。それによって子どもは,社会に出たときにぶつかる諸問題に対処する備えを身につけます。そのような訓練は,正しい決定を下すための基礎を与えて,未熟な子どもの心を導きます。ですから,聖書が子どもたちに,「わが子よ,あなたは父の教訓を聞き,母の教を捨ててはならない」と助言しているのも十分の理由があるわけです。―箴言 1:8。

子どもはふつう家事や商売を手伝うのをいやがります。しかしそのような仕事は,子どもの訓練の重要な部分です。それによって子どもは,勤勉に働くことや責任を果たすことを学ぶと同時に,大切な技術を身につけます。ある程度の仕事を与えることは,ひまな時間全部を気ままにすごさせるよりも,子どものためになります。子どもには,仕事の価値が認められない場合もあるでしょう。しかし,親を愛し,親の権威を尊重しているならば,親から言いつけられた仕事は,どんなことでもするでしょう。親を助けるために,若い時の力を使うのは,正しいことではないでしょうか。これも親に対する子どもの義務です。

成人した若い人は,両親の健康や感情を思いやって,両親への愛を表わすことができます。親を心配させたり,精神的に苦しませたりするような悪い行為を避けることもそのひとつの方法です。これは愛のある行ないです。また,親と話すとき,親切な態度で話すことも愛です。ぶっきらぼうで,いやみのある,そっけないまたは荒々しい話しかたも,敬意をかいた,不親切な話しかたです。それよりも,親切に,おだやかに,敬意をこめて話すほうが,どんなにかすべての人の心をなごませ,家庭の平和に役立つでしょう。

子どもは親への負い目を払いつくすことはできません。おとなになって,親から独立しても,親に対してはいつも,愛,親切,尊敬という負い目があります。

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