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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
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神をあやまり伝える教会

キリスト教国の教会を神の代表者と見る9億6000万人のひとりであれば,神をあやまり伝える教会ということばに驚くかもしれません。そして個人的な見聞に照らしてもそのことばに同意できないかもしれませんが,ともかく若干の事実をここに述べさせてください。真理を恐れない人はそれを検討することでしょう。

神の固有の御名は,聖書の中でも初めヘブル語で書かれた部分において4つの文字で表わされています。教会はこれらの文字が何を表わすかを知っています。その文字は,世界各地の教会,例えばニューヨーク市の聖パウロ礼拝堂,イタリー,バリースの聖ビクトル教会堂,パリー最古の教会セイン・ジェルメ・デ・プレなどにとりつけられてさえいます。神の固有の御名を知りながらも,教会はそれを人々から隠してきました。聖書のほん訳の中でも,そのことは行なわれています。

代わりの称号

聖書のヘブル語写本の中で神の固有の御名を表わす4つのヘブル語文字が表われている箇所において,教会の聖書はほとんどすべての場合に「主」という称号を代わりに用いています。神の固有の御名を表わす4つの文字は,英語ではJHVHあるいはYHWHです。これがどうしてLORD(主)になるのでしょうか。それは神の御名とは似ても似つかないものです。神の御名は母音を加えるとJEHOVAH(エホバ)あるいはある人々が好んで用いるYAHWEH(ヤーウエ)となります。

教会組織は欽定訳聖書とカトリック・ドウエイ訳聖書を生み出しました。欽定訳は,ヘブル語で6800回以上現われる神の御名をわずか4回そのとおりに訳し,また場所あるいは祭壇の名称と結びついている場合に3回だけ神の御名を用いています。(出エジプト 6:3。詩 83:18。イザヤ 12:2; 26:4。創世 22:14。出エジプト 17:15。士師 6:24)ドウエイ訳において,神の御名をエホバと訳した箇所は一つもありません。両方のほん訳とも神の御名のかわりに「主」あるいは「神」すなわち他と区別するところのない称号を用い,原語の聖書の述べるところを変えています。カトリック教会は,人々に神の御名を知らせないでおきながらも,カトリック百科事典の中では神の御名を認めており,1910年版第8巻329頁には「エホバ,旧約聖書における神の固有の名」としるされています。

ヘブル人が神の御名を「エホバ」と発音したかどうかは確かではありませんが,それは神の御名を用いない理由にはなりません。

JEHOVAH(エホバ)は,神の御名を表わすヘブル語の4つの文字を含んでおり,神の固有の名として昔から認められてきました。エホバは,人間の作った無数の神々,たとえばインドの3億3000万の神々から,御名によって区別されています。共通の称号である「主」によっては区別されません。教会は,それがヘブル語の正確な発音ではないとの理由でエホバという名を受け入れませんが,神の御子の場合には,それがヘブル語あるいはギリシャ語の正確な発音ではないにもかかわらず,イエスという固有の名を用いています。教会はこの点で首尾一貫していません。エホバの名を隠し,称号をそれに代えることによって,教会は神をあやまり伝え,神には名がないかのように見せかけています。

三位一体としてあやまり伝える

この不敬でも足りないかのように,教会は,三つにして一つの神という理解のできない教えによって真の神をあやまり伝えてきました。教会では,神をさして「三位一体の神」あるいは「祝福された三位一体」と呼んでいます。聖書の中をさがしても,「三位一体」ということばは出ていません。また教会で教えるように,全能の神は同等かつ等しく永遠の三位が一体を成したものであるとは述べられていません。聖書にしるされている事柄はそれとは全く異なっており,したがって三位一体の教義はまちがいです。

この教義を支持する教会は,神が三位一体であることはいろいろな聖句に示されていると主張しています。たとえば,「われわれにかたどって人を造り」と述べた創世記 1章26節の,「われわれ」ということばは,神が三位一体であることを暗示していると言われます。もっともこの「われわれ」が幾人をさすかは,この節に示されていません。彼らはその後生大事にしている教義に合わせようとして,聖書をまげているのです。ここで創造者が最初の被造物すなわち独り子に語っていられることは,コロサイ人への手紙 1章15,16節の聖句から明らかです。「御子は,見えない神のかたちであって,すべての造られたものに先だって生れたかたである。万物は,天にあるものも地にあるものも……御子によって造られたのである」。力あるこの霊者の御子は,エホバの主要な働き手でした。全能の神は単にご自身に語っていられたのではなく,当然にこの霊者に語りかけていられたのです。

三位一体の教えを裏づけるがごとくに曲解されている別の聖句は,ヨハネの福音書 10章30節にあるイエスの次のことばです。「わたしと父とは一つである」。イエスはご自分が神であることを,このことばによってあかしされたと解釈されていますが,はたしてそうでしょうか。ヨハネの福音書 10章30節を同じ福音書の17章20,21節とくらべると,そうでないことが明らかです。あとの聖句にあるイエスのことばによると,イエスに信仰を持つ人々は,イエスおよび御父と一つであると述べられています。明らかに,イエスは,目的の一致について語っておられ,神性において一つであると言われたのではありません。

多くの教会では,人類をあがなうために神がご自身を犠牲にされたと教えていますが,これは甚しく神をあやまり伝えるものです。ミズーリ州の永遠賛美ベネディクト修道院から出ているカトリックの出版物には,「神みずから我らの犠牲となり給う」という,聖書の教えと一致しない題がつけられています。またモルモン教書のアルマ 42章15節には,「神みずから世の罪をあがない給う」とあります。永遠の神をこのようにあやまり伝えることは,イエスが神であるという偽りから出ました。モルモン教書のエステル 4章12節には,イエス・キリストのことばとして「われは父なり」という句があり,この偽りを極端に押しすすめています。

イエス・キリストが,その宣教期間をとおしてご自身を神と宣言されたことは一度もありません。イエスはご自分が神の子であると言われました。しかし,三位一体の神の一位である,と言われたことはありません。聖書の筆者も同様です。御父と同等であるとは言わず,イエスはこう言われました。「父がわたしより大きいかたである」。(ヨハネ 14:28)御父と同等ではないという関係は,イエスの復活と昇天ののちも変わりません。コリント人への第一の手紙 11章3節と15章28節は,復活後のイエス・キリストが御父に従属することを示しています。

イエスは追随者に対する次のことばの中で,御父をさしてご自分の神であると言われました。「わたしは,わたしの父またあなたがたの父であって,わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く」。(ヨハネ 20:17)イエスは追随者が崇拝したのと同じ神を崇拝されました。刑柱の上で息をひきとる前に,イエスはこの神すなわちエホバに祈って言われました。「わが神,わが神,どうしてわたしをお見捨てになったのですか」― マタイ 27:46。

キリスト教国の教会は,イエス・キリストが神であり,人間を救うために神が地に来て死なれたと教えています。しかし,前述の聖句から明らかなように,それは偽りです。神が三つにして一つ,すなわち三位一体の神であるという主張は,異教徒がその神々について主張するところと似ており,甚しく神をあやまり伝えるものです。会はその教義を裏づけようとして,聖句を曲解しています。真の神とその御名をこのようにあやまり伝えている教会が,神を代表しているはずはありません。このような組織に属しているなら,正直に言って真理の神に喜ばれると,あなたは思われますか。―黙示 18:4。

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