神を愛する子供たち
子供の信仰
● 死人を復活させるという神の愛ある約束の意味を小さな子供が理解できますか。子供がその意味をよくわきまえて,復活に信仰を働かすことができるでしょうか。ある母親からの感動的な手紙を読むと,おとなが想像している以上に子供でも復活について深く理解できることがわかります。その母親は次のように書いています。
「お手紙を差しあげましたのは,小さな子供を持って,エホバのみことばを教えるのに時間を費やしておられる他の人々の励ましにでもなればと思ったからです。時々子供の小さな心がどれだけ真理を理解しているか,はっきりしないことがあります。でも結局のところ子供も強い信仰を持っています。
「わたしが今からお伝えするのは,わたしの5歳になる娘の経験です。娘は最近白血病で死にました。病気の兆候が最初に表われてから,わずか3か月しか命がありませんでした。骨髄性白血病だったからです。わたしたちがそれを隠そうとしても,娘はとても察しがよく目ざとい子でしたから,一部始終を知っていました。そして,自分は眠りにつくけれど,エホバはすぐに目ざめさせてくださるので死ぬことはこわくない,と何度も言って親を安心させるのでした。娘はこう言いました。『墓にいる時間はそんなに長くないわ。夜寝て,翌朝目をさましたら,そこにはエホバの新しい秩序があって,動物たちと遊ぶこともでき,悪い人はだれもいないのね』。
「そのような信仰を見て,わたしたち親はどんなにほっとしたことでしょう。死んだ日の朝,娘はこう言いました。『ママ,泣かないで。新しい秩序でママを捜すわ』。
「時々,親は子供たちがどれほど理解しているのか疑問に思うことがあります。しかし子供が試練に会うとき,たとえそれが最もきびしい試練であっても,本当に『潔き』者の子供であることを証明するものです。(コリント前 7:14)生命はなんと貴重なものなのでしょう。そして,わたしたちに復活というすばらしい希望を与えてくださった偉大な神は,なんと親切で,愛のある方なのでしょう」。
良心的な幼い伝道者
● クリスチャンの親は,自分の子供の霊的福祉に大きな関心を払います。愛をもって,神の清い崇拝に従って,幼いときから子供を訓練します。このクリスチャンの訓練から,どれだけ子供が益を受けているかは,幼い娘を持つ両親の次の経験からよくわかります。
「ある朝,朝食が終わったあとのこと,一番下の娘が雑誌を入れるカバンと子供用の聖書2冊を持ち台所へ来て,こう言いました。『ママ,いま,家から家の伝道に行くところなのよ』。子供たちはいつも,聖書研究の司会や,御国会館に出席するまねをし,それに,戸別伝道のときのように互に雑誌を提供し合うまねをして遊びます。それで妻は,それは良いことだと言い,庭から出ないようにとその子に言いました。
「しばらくして,妻は,その娘が他の子供たちと裏庭で遊んでいないことに気づきました。表の方に居ないかと思って呼んだところ,隣りの奥さんが戸を開けてこう言ったのです。『お宅の娘さんならほんの10分ほど前にここへ来て,わたしは宣教者ですが,聖書が欲しいかどうかを知りたいと言ってましたよ』。自分の家にある雑誌に手がとどかなかったので娘はきっとくふうして雑誌のかわりに自分の聖書を使ったのでしょう。
「さて妻は,娘が遊んでいるのではなく,本気で伝道に出かけたのだと知りました。妻が通りをさらに行くと,確かにお宅の娘さんが立ち寄って行ったと言う,庭で仕事をしていた奥さんに会ったのです。その奥さんはこう言いました。『ええ,お嬢さんはわたしの所に来て,エホバ神がどんな方であるか知っているかと尋ねていましたよ。わたしが知っていると答えたところ,なんと,わたしに聖書をすすめてくれました』。もう少し行くと別の奥さんにも娘が伝道したことがわかりました。というのは,その奥さんの話によれば,娘が来て,主のわざを行なっているところだと言っていたからです。
「わが家の活発な幼い伝道者は,何事にもまずエホバに従いなさいというその子に与えたわたしたちの教えについて深く考えたようです。わたしたちはくりかえし次のように尋ねて,子供にこの事を教えています。『もしエホバが,あなたに何かをしなさいと言い,パパがそれと違ったことを言ったら,どっちに従いますか』。子供たちは,『エホバの言われることをします』と答えます。これは子供の小さな心に,エホバに仕え御心を行ないたいという気持ちを植えつけたのです。それで,両親は庭の外に出てはいけないと言うが,エホバは行って伝道しなさいと言われていることに子供は気づきました。庭では多くの人に話すことができないので,娘はエホバに喜ばれると思ったことをしたのであり,善意でもって外に出たのでした。私たちは人通りの多い通りに住んでいたので,そのころには妻はとても心配していました。伯父や伯母も一緒に娘を捜してくれました。しかしどうしても見つけることができなかったので,警察を呼ぶつもりで家に帰りました。
「彼らが車の向きを変えて家に戻ると,辛抱強くみんなを待っていたのはほかならぬ幼い娘でした。結局,娘は,エホバから委ねられていると信じていたことを実行してから家に帰ったのです。わたしが帰宅したとき,娘にこらしめを与えましたが,熱意をくじかせないために励ましも与えました。そして,そのような年ではあぶないから決して一人で外に出てはいけない,と納得するようによく説明しました。すると『でも,パパ。わたし一人ではなかったのよ』,と娘は真剣に答えたのです。
「『一人ではなかったの?』とわたしは尋ねました。
「『そうよ,ジョニイーが一緒だったの。そして家から家へ行く方法を教えてあげてたのよ』。と娘は楽しそうに言いました。ジョニイーの家族はカトリック教徒なので,彼にとってこれは初めての経験だったにちがいありません。自分の年をものともせぜ,娘はエホバに仕えたいと望み,しかも他の人もそうするように訓練することさえしていたのです。今ではだれかと一緒に行くことが必要であると娘は悟っています。なぜなら娘は5歳になったばかりだからです」。