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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
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「敬虔は…すべてのことに益あり」

聖書は敬虔,すなわち信心深い態度が報われることを教えています。それは永遠の救いという希望を保証するだけでなく,現在にも益をもたらします。クリスチャン使徒パウロの言うとおりです。「敬虔は今の生命と後の生命との約束を保ちて凡の事に益あり」。確かに,敬虔は今の時でさえ報いをもたらします。そしてその報いは霊的な性質のものに限られず,肉体的なものにも及びます。―テモテ前 4:8。

「敬虔」とは何を意味しますか。パウロがここで使ったギリシャ語はいろいろに訳されています。「敬虔」を初め,「信心深いようす」,「霊的であること」,「篤信」,「信心」,「霊的適合性」,「神聖」,「霊的訓練」などがあります。その文字どおりの意味は,「神聖な事柄に深い関心があること」です。

では,なぜ敬虔は現在に益をもたらすのですか。一つには,徳,つまり自分の情欲に対する制御心が培われるため,不品行からしばしば起こる感情的,精神的または肉体的な害から身を守ることができるからです。(箴言 7:22,23; 23:29-32)敬虔があれば満足すること,自ら足れりとすることができるので,今も益があります。大きな害をもたらす金銭に対する愛というわなから保護されます。これについては,次のような警告が与えられています。「金を愛するは諸般の悪しき事の根なり,或る人々これを慕ひて信仰より迷ひ,さまざまの痛をもて自ら己を刺しとほせり」― テモテ前 6:10。

さらに,敬虔は神の霊を伴うので現在に益があります。聖書は,神の霊が「謹慎」をもたらすと説明しています。(テモテ後 1:7)たとえば,数年前,家から家に神の国の福音を伝道していた一人のエホバのクリスチャン証人が,病院にいたことのある一人の精神病患者に出会いました。この人は偏執性精神分裂症を10年間もわずらっており,医師たちからも回復の見込みはないと告げられていました。かれは非常に不潔でだらしのない格好をしており,病院に入れられていない理由は,指定された薬剤を強制されないでも飲むからで,定められている1日分の薬品は33錠を数えました。

この人は最初大変むずかしい人でした。しかし,明らかに誠実な様子なので,そのクリスチャン奉仕者はくりかえし訪問を続けました。かれは定期的な聖書研究を司会し,男の人は神の正義のご要求と,神の国のもとで人類にもたらされるすばらしい祝福の希望について学ぶようになりました。その患者は少しずつ自分の服装に注意を払いはじめました。やがて煙草をやめ,さらに8か月後には病状が著しく良くなり,薬剤を必要としないまでになりました。1年後かれの名前は患者名簿から消され,治ゆ者として退院しました。

そのクリスチャン奉仕者が戸別訪問中に初めてこの男の人を尋ねてから4年たちましたが,かれは現在でもなお健康であり,良い職業を得ています。その上クリスチャン伝道に大変活発に働き,自分に非常に益となったエホバ神の御国に関する,慰めをもたらす福音を他の人に伝えています。10年間も治療を受けたあげく,医師団から不治の病人と診断された人がこのような変化を遂げるというのはどういうわけなのですか。敬虔,つまり「神聖な事柄に対する関心」がその答えです。かれはエホバ神の次の約束が真実であることを証明しています。「なんぢの法をあいするものには大なる平安あり,かれらにはつまづきをあたふる者なし」― 詩篇 119:165。

愛していた人を突然失った人の生活に希望をもたらすという点でも,敬虔には益があります。それは悲しみの痛手をいやすのに役だち,たとえ親しい人の突然の悲しい死に直面しても,何か生きる目的を与えてくれます。最近,あるクリスチャン宣教者養成学校で,一人の若い夫が心臓発作で夜中に突然亡くなりました。夫と一緒に宣教者の訓練を受けていたかれの若い妻にとって,これは痛ましい打撃でした。しかし彼女は冷静にこの悲しみに立ち向かいました。今や頼りにしていた夫とともに歩む妻としてではなく,独身女性として任命地に行かねばならなくなりましたが,それでも宣教者の訓練を続けて受ける決心をしたのです。

新聞に時おり報道されることと何と対象的ではありませんか。たとえば,一人の「空中ダイバー」つまりは落下さん降下者は,落下さんが開かなかったために妻が死んだのをみて,自分も落下さんが開かないようにしたのち,970メートル余の上空で飛行機から飛び降り自殺を計りました。また,漕いでいたボートが風でてん覆し,夫が溺死したのをみて,自分も救命ジャケツをぬいで夫と一緒に死んだ学校の教師がいました。「トムが死ぬなら,わたしも死にます」というのが彼女の最後のことばでした。自殺をしようというような乱暴なことがなくても,このような悲しみがもとで,犠牲者の出る場合がよくあります。ブリティシュ・メディカル・ジャーナル誌の最近号によると,愛する人を突然失った人の死亡率は,平均より5倍も高いことが示されています。

それで次の点がよくわかります。敬虔は,たとえ近しい身内の者が急に死ぬようなことがあっても,何か生きる目的を与えてくれます。それは自分の関心が自分の家族だけに集中されるようなことがないためです。そればかりか,敬虔は,復活,地上の楽園における永遠の生命という希望,神の定めの時に,まさしくこの地上で再び愛していた人に会うことができるという希望に対する信仰を与えます。敬虔があれば,あるいは,神聖な事柄に関心を払うならば,創造主であるエホバ神にほまれをもたらすための時間を見いだし,また,自分に対するように隣人にも愛を示すように心を動かされます。同時に,それはクリスチャンがどんな不慮の事態にも対処できるようにさせます。なぜなら,人は敬虔あるゆえに,なぜ死が世に入ったか,なぜ神は不正とともにこの事態をこんなにも長く許しておられるのかを理解できるからです。そればかりではありません。それはエホバ神がすべての悲しみ,叫び,苦しみそして死を終わらせるという確かな希望を与えます。―黙示 21:4。

敬虔,あるいは神聖な事柄に対する関心が,永遠の救い,すなわち来たるべき事物の体制における生命だけを意味するのではありません。それは,霊的な益とともに肉体,精神,感情面にも多くの益を現在もたらします。

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