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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1969
塔69 6/15 355–356ページ

現代の恐怖を克服する

1945年8月6日,広島市の上空で一瞬のうちに火の球がさく裂し,きのこ形の巨大な雲が立ち上った時,新しい恐れつまり,核兵器による人類絶滅の恐怖が人々の心を支配するようになりました。今やわずか1個の爆弾で一つの都市を灰燼に帰することも可能になったのです。

翌1946年,ワシントン大学の総長でノーベル賞を受けたアーサー・H・コンプトンはこうした恐れを表明して次のように語りました。「広島における恐るべき核爆発は全世界に衝撃を与え,もし戦争を除去できなければ,人類は大災害に直面せざるを得ないということを悟らせた。この深刻な恐怖感は,機会にさえ恵まれれば原子力は人類をはかり知れないほど富ませ得るとの希望をも押しのけてきた」。

終戦後,広島を訪れて実態調査をした学者の一行に対し,同市の一当局者は廃虚と化した市街を指さしてこう語りました。「ただ一発の爆弾がこの廃虚をもたらしました。これはあまりにも悲惨なことです」。しかし1969年の今日,広島を灰にした原爆より幾千倍も強力な水爆すら存在しています。こうした核爆弾が現代の諸都市にもたらす恐るべき破壊の可能性と心細い生存の見込みを思うとき,世界の多くの人々は人類の将来を憂慮しないわけにはゆきません。

しかし核戦争に対する恐怖は,現代の人間を悩ます恐怖感の一つにすぎず,人々はちまたに増大する犯罪や暴力行為,あるいは経済上の損失その他さまざまな恐れをいだいています。どうすればこうした恐怖の念を克服し,絶えず不安にさいなまれる生活から脱け出られるでしょうか。それはむずかしいように思えるかもしれませんが,可能なことなのです。

将来について知る

たとえば核戦争の恐怖ですが,これは将来の見通しがわからなければただ増すばかりでしょう。ところが,将来に起きることや諸国家の前途,また自分と家族の生存のために個人個人の行なえる事柄がわかれば,核戦争に対する恐怖は克服できるでしょう。では,どうすれば将来を予知し,将来に対する不安をぬぐい去れますか。

人間は将来のできごとを独力で予知することができません。しかし人間の創造者はそうすることができます。人間の創造者は「終のことをはじめよりつげいまだ成ざることを昔よりつげ」るかたです。このことは遠い者,聖書にしるされました。(イザヤ 46:10)また創造者は,1914年以来の今の時代を「対処しにくい危機の時代」としている種々の災いをさえ久しい昔に聖書に書きしるさせました。(テモテ後 3:1,新)そして予告どおり,今や人々は「地上に臨もうとする事柄に対する恐怖と予感のために,気を失う」事態に陥っています。―ルカ 21:26,新。

しかし聖書は今日の事態にとどまらずさらに将来をすら展望しているのです。人間は核兵器による絶滅を恐れていますが人間の創造者は,戦争がやがてなくなり,人類が全地を治める正当な正しい政府の支配を受け,全地が平和なすみかになることを,文字になったみことばである聖書の中で予告しておられます。(詩 37:11。ダニエル 2:44)今日の危機的な事態を引き起こし,将来に対する深刻な恐れを招いた,人間の政府による現体制は,神の建てるこの新しい政府にやがて道をゆずらねばなりません。神の忠実なしもべは,たとえその時以前に死ぬことがあっても,祝福を得そこなうことがありません。病気や老齢のため,あるいは不幸にも暴力行為の犠牲となって命を失うことがあっても,復活の手段によって命によみがえらされるのです。―使行 24:15。

全地は近い将来,人類のための平和なすみかになります。神はこのことを明らかにされました。かつて核戦争などの恐怖をいだいて生活していた多くの人は,今やこの新しい時代を待ち望んでいます。たとえば,仲間の若者たちとともに放らつな生活にふけっていた18歳の一青年は,将来を不安に思うあまり自殺まで考えましたが,神のみことばが今後の近い将来について述べている事柄を学んで,そうした恐怖を克服しました。

犯罪と暴力行為に対する恐怖

しかし,ちまたで起きている犯罪や暴力行為に対する恐怖を克服するにはどうすればよいでしょうか。この種の危険は存在しないとあえて言うのは愚かなことです。それは確かに存在しており,かつ,神の約束された世界的な大変化の時が迫るにつれそれはいよいよ悪化の度を深めてゆくのです。

それまでの間,わたしたちはこうした現状の下で生活しなければなりません。それで適当な予防策を講ずることによって,危険な事態に対する恐れを軽減できるでしょう。夜遅く人通りの絶えたところを出歩くのを避け,また怪しい人影やそうした人が前方の路上にたむろしていることに気づいたなら,回り道をしてその場を避けられます。予防策を講ずれば,恐怖の念にとらわれずにすむでしょう。

国内および国際間の金融事情が悪化して経済上の損失をこうむりはしまいかと恐れる人もいますが,こうした恐れは,お金に対する見方を改めることによって克服できるでしょう。金銭を愛するあまりお金を生活の中心とするかわりに,お金を生活の中でそれより低い位置にとどめる考え方を学ぶべきでしょう。

自分の資産にたとえどんな事態が生じようと,神の組織と交わっている人には,万一に際して助けを求め,神のみことばの知恵に基づく健全な助言を得られるすぐれた友がいるのです。こうした友人はお金よりもはるかに貴重な存在であり,深い安心感の源となります。

現存する事物の体制下ではお金は有用かつ必要なものです。しかし万一,経済上の深刻ないたでをこうむった場合,そのために生きがいを失うのは愚かなことではありませんか。命はお金や財産よりはるかに貴重なものではありませんか。では,資産を失いはしまいかと心配して健康をそこなうのは愚かなことでしょう。

この点で聖書はすぐれた助言を述べています。「我らは何をも携へて世に来らず,また何をも携へて世を去ることあたはざればなり。ただ衣食あらば足れりとせん」。(テモテ前 6:7,8)こうした物の見方を持てば,経済上の損失に対する恐れを克服できるでしょう。

人々はさまざまな恐れに悩まされていますが,そうした恐怖の念にとらわれる必要はないのです。神のみことば聖書の助けを得,分別を働かせれば,現代の恐怖を克服することができます。

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